瀬戸口明久のレビュー一覧
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ニーチェの『悲劇の誕生』、フーコーの『監獄の誕生』、平朝彦の『日本列島の誕生』と「誕生モノ」で感銘を受けた名著は多いが、この『害虫の誕生』も名著である。
現代に生きる私たちは、パソコンやテレビなどの現代生活の必需品に対しては、それなりの経緯を知っているが、生活の場から消え去ったものにたいしての「誕生」の経緯を知らない。
私は、よく変人扱いされるが、一般人がもつゴキブリ、ハエや蚊(ひどい場合には、昆虫全般)に対する嫌悪感にはまったく同感できず、常々、なぜこんなにこの人たちは、昆虫を怖がるのだろうと感じていた。
その嫌悪感の由来が、害虫の誕生とともに伝承された習慣であるという認識の正しさをこの書物 -
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害虫という概念は普遍的なものではなく、きわめて近代的な認識によるものであるということ。しかし、農耕が人間の生活に深く根づいて以降、虫による害は確実にあった。では近代以前の害虫たちは、なぜ害虫と認識されなかったのか。どのように認識されていたのか。
近代以前、虫たちによる農作物への被害は自然現象のように捉えられていたそうだ。これは有名な蝿と肉の実験を思い浮かべるとわかりやすい。
日本においては虫送りやお札によって害虫を追い払おうとしていたように、虫たちは超自然的な現象のように扱われていた。ゆえに、害虫による被害は台風や地震などと同じで、人の手に余るものであった。
近代以降、科学の発展とともに害 -
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[ 内容 ]
江戸時代、虫は自然発生するものだと考えられていた。
そのため害虫による農業への被害はたたりとされ、それを防ぐ方法は田圃にお札を立てるという神頼みだけだった。
当時はまだ、いわゆる“害虫”は存在していなかったのだ。
しかし、明治、大正、昭和と近代化の過程で、“害虫”は次第に人々の手による排除の対象となっていく。
日本において“害虫”がいかにして誕生したかを、科学と社会の両面から考察し、人間と自然の関係を問いなおす手がかりとなる一冊。
[ 目次 ]
第1章 近世日本における「虫」(日本における農業の成立 江戸時代人と「蝗」 虫たちをめぐる自然観)
第2章 明治日本と“害虫”(害虫と -
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日本の社会の推移を害虫対処の見地から眺めた本。害虫排除は明治以降に始められ、江戸時代には、害虫の大量発生は天災と考えられ、祈祷やお札によって対処を計っていた。明治以降は農業害虫が、大正以降は衛生害虫も、天敵による駆除、除虫菊をはじめとする化学殺虫剤の散布により排除されている。年代により、害虫に対する考え方も変わり、以前は害虫とは考えられていなかった、ハエやゴキブリなど、政府による排除促進により、害虫化したものもある。現在の問題は、駆除による種の絶滅と殺虫剤への耐性化が大きなものであり、エコロジカルを考慮した害虫とのつきあい方が求められる。
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「害虫」という概念は実はそれほど古いものではない。
そもそも虫による農業被害は天がもたらす災いであり、
人知の届くものではないという意識が、
少なくとも江戸時代までは主流であり、
それが人々と虫との「付き合い方」だった。
今と比べれば、そこら中、虫だらけだったのだろう。
明治に入っても相変わらず「お札」やら「虫送り」といった
迷信的対策に頼るのが普通で、
国や一部の昆虫学者が提唱していた科学的アプローチは
普及しないばかりでなく、農民の反発を買うことすらあった。
それが第一次大戦に入ると一変する。
すなわち、食料輸入が不安定になったことにより、
農業の生産性向上が国家の至上命題となった。
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社会科なのか理科なのかチョット不明。凄くマニアチックな本という気がするが結構レビューを書いている人が多い。
雑草に対応することばはないが、虫は害虫と益虫に分けられる。もちろん、本書にもあるように害虫というのも時と場所によって変わってくるのであって、大いに各個人の認識によるわけではあるが。
日本において害虫ということばが一般的になるのは20世紀になってかららしい。それまでは、虫の害というのは自然現象として仕方が無いこと、冷害とか干魃とかとかと同列の人間では制御できす、神頼みをするだけのモノであったらしい。
と言う事で、この本では副題「虫から見た日本史」どおり、日本人の虫観というモノが語られて -
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害虫を排除するための科学技術である応用昆虫学の立場から、
害虫と農業、病気、戦争などをめぐる社会史を描き出す。
日本の事例を中心に、近世から戦中までを中心に扱っている。
特に近世の記述が面白かったので、以下抄訳を付す。
害虫ときくと、われわれ現代人はゴキブリなどを思い浮かべるが、
科学技術の未発達だった時代から、やはり農業(農薬)との関連は強かった。
ただし明治初期まで、民衆のあいだでは害虫=たたりとの考えが支配的だった。
たとえば一八八〇年に北海道十勝地方で起こった
トノサマバッタの大発生に対して、アイヌたちは「神罰」とみなしたという。
また同時期に全国で報告されるようになったニカメイガ