佐藤幹夫のレビュー一覧
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ネタバレ
超面白くて為になる応答集!
「明日戦争がはじまる」で世間を騒然とさせた詩人の宮尾節子さんと津久井やまゆり事件を総括する決定版をあらわしたジャーナリストの佐藤幹夫さんによる往復書簡、ならぬ往復メールによる対話本をいっきに読みました。
対話編ときけばあの有名なプラトンが聞き書きした「ソクラテスの対話編」を思い出すけれど、ああいう誰かが誰かにものを教えるというような高尚な対話ではない。私はなぜか1982年のウィンブルドン男子決勝戦で実際に見たジミー・コナーズとジョン・マッケンローの、手に汗握る対戦を思い出しました。
宮尾マッケンローが超高速の直球サーブを見舞うと、ラインぎりぎりまで後退した佐藤コナーズがこれをやわらかに受け止めて、緩やかなロングロブをうち返し、待ち構えた宮尾マッケンローが、ネットぎりぎりのスライスボールを落としてみせるいうような、ハラハラドキドキ丁丁発止自由闊達談論風発天地無用の遣り取りが最初から最後まで続いて、まあ当節これくらい面白くて為になる応答集はない、と断言できましょう。
コロナ禍とそれ以降の社会変化や政治家襲撃、津久井やまゆり事件などの障害者殺人、福祉とケアの問題、海の向こうの戦争と目の前の5分後の戦争など我われの耳目を釘づけにした話柄が続々と俎上に載せられます。
しかし私はこの2人の対論者が、強権を発動して民草を抑圧し、新たな戦争を招き寄せようとする専制政治に対して心をひとつにして激しく燃やす怒りと粘り強い異議申し立て、そしてこの劣悪な環境の中をけなげに生き抜く社会的弱者や障害者に捧げる慈愛に満ちたエールに深く感じいったことでした。
末尾の第5章では芥川賞を受賞した「ハンチバック」の作家と作品にかんする佐藤さんの鋭い省察が披露され、それに応えて宮尾さんが持ち出した同郷の広末涼子の一世一代の肺腑の言「きもちくしてくれてありがとう」が圧倒的に素晴らしい。
「週刊文春」で一読したときにも、これぞ「にんげんとうたの原点」ではないかと胸を激しく打たれたのですが、ここに宮地さんのリライトそのままに再録して、拙い感想文を終えたいと思います。
出逢ってくれて
会ってくれて、
合ってくれて、
くっついてくれて、
入れてくれて、
泣かせてくれて、
きもちくしてくれて、
いつもどんな時も
あなたらしく居てくれて、
対峙してくれて……
本当にほんとに、
ほんとうに、ありがとう。
心からのありがとう。
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Posted by ブクログ
制度の隙間に生きる「人間」を凝視する。現場のリアルを突きつける力作。
介護の現場に身を置き、多くの利用者様やスタッフと関わってきましたが、
本書を読んだ時の衝撃は今も忘れられません。
ここに描かれているのは、
きれいごとだけでは済まされない介護の「最前線」です。
制度の不備、人手不足といった構造的な問題だけでなく、
ケアの現場で交わされる言葉や、そこにある静かな感情の動きが、
佐藤幹夫さんの緻密な取材によって浮き彫りにされています。
特に、
ケアの質が「効率」や「管理」によって削ぎ落とされていくことへの危惧は、
現場を知る人間として痛いほど共感しました。
私たちが日々向き合っているのは「症例」ではなく、
かけがえのない人生を歩んできた「一人ひとりの人間」であるという
当たり前の事実を、本書は改めて突きつけてきます。
論理的な分析と、現場への深い慈しみが同居したこのルポルタージュは、
これから高齢社会を生きるすべての人にとって、
避けては通れない問いを投げかけています。
「良いケアとは何か」という正解のない問いに対し、
安易な答えに逃げず、考え続ける勇気をくれる一冊です。 -
Posted by ブクログ
これから到来する超高齢社会は、大量に高齢者が死んでいく社会である。
それに直面するのは、70歳や80歳の高齢者ではなく、現在40歳代、50歳代、そして65歳前後の団塊の世代である。
著者は次のような危機感を抱く。
施設や病院から非人道的な扱いを受けた家族の無念の言葉。「なぜ、人生の最後になって、こんなひどい目に合わなくてはならないのか」(p10)
「普通に老いて、普通に死ぬ、…そんなことができるのはむしろ一握りの恵まれた、幸せな高齢者」(p10)ではないか。
10年前にそう考えたが、現在、ますます情況はひどくなっているのではないか。
そして今後ますますそうなっていくのではないか。
本書は、この危機感とともに都市と農村部での超高齢化対応の実践例を報告しながら、二つメッセージを伝えようとしている。
「高齢者を地域で支えようにも、地域自体が活力を失っているときにどう支えることができるのか。地域包括支援システムとはいっても、それを駆動させる地域の力が枯渇しているならば、絵に描いた餅に過ぎなくなる。地域づくりとは端的に地域の再活性化だと言い換えてもいいが、高齢者へのケア(システム)の充実は、地域の活性化と両輪である」(p15)
「活力ある地域のケアは、活力と受容性の溢れた良質なものになる」(p15)
「医療・介護一体改革法案」(地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律案)が5月15日に衆議院を通過し、これから高齢者の医療と介護の仕組みが大きく変わっていくわけだが、その影響をもっとも受けるはずの団塊の世代の人々や、40歳代以上の人々が、それぞれの将来を考えるための格好の読物となっている。 -
Posted by ブクログ
日本文学史に続く闘いの歴史の中で、現在もその闘いを続けている村上春樹という視点の本。
漱石、鷗外、志賀、太宰、三島と闘いの歴史が語られたのち、村上春樹の三島由紀夫に対する闘いを描いている。ちょっと無理があるのでは?は思える部分が多々あったが、村上春樹の小説読むにあたってまた新しい視点で読めそうでなかなか楽しい本だった。
「羊をめぐる冒険」と「夏子の冒険」は有名だが、「ノルウェイの森」と「春の雪」はなかなか意外な組み合わせだったけど、少し納得出来る部分もあった。
「ダンスダンスダンス」と「奔馬」はちょっと無理がある気がしたけど、全体的に村上春樹の小説の奥深さを実感できたので、改めて「風の歌を聴け」から順番読み返してみたくなりました。
日本の近代文学の有名どころを読んでから読むのがオススメです。特に三島由紀夫の作品は沢山読んでおいた方が面白く読めると思います。 -
Posted by ブクログ
志賀、太宰、三島の系譜は昔々の講義を思い出さされ、かなり楽しく読めた。
連綿と続く日本文学の延長に村上春樹をのせて進める話は、面白いものの少々無理も感じた。
ただ小説を読みかたという点では、勉強になった。
とはいえ、こんな読み方ちょっとできないけれど。
80年代村上春樹の小説はよく読んだが、その後たまに読んでもいまひとつピンとこない。 一番怖かったのはノルウェイの森。 あれほど皆が良いというので読んだものの、さっぱり、、、 これはおかしいとすぐに再読してもやっぱり、、、 感受性がなくなったのかなぁ。
これを機会に村上春樹を再読しようか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
「作家の発言は多かれ少なかれみんな嘘だと思っています」。
そう語る本人が25年間ついてきた“嘘”?
「日本の小説はほとんど読まなかった」。
作品にちりばめられた周到な仕掛けに気づいたとき、村上春樹の壮大な自己演出が見えてきた。
しかしそれは読者を煙に巻くためだけではない。
暗闘の末に彼が「完璧な文章と完璧な絶望」を叩き込まれ、ひそかに挑んできた相手はだれか?
夏目漱石、志賀直哉、太宰治、三島由紀夫…。
「騙る」ことを宿命づけられた小説家たちの「闘いの文学史」が、新発見とともに明らかになる。
[ 目次 ]
序となる文章 「巨大な事物の真実は現われにくい」(村上春樹)
第1部 闘いと迷宮と-新しい“村上春樹”の発見(ある闘いの文学史-志賀直哉・太宰治・三島由紀夫 太宰と三島という「二」の問題-『風の歌を聴け』 「三」という出口へ-『1973年のピンボール』)
第2部 世界分裂体験-村上春樹とその時代(「鏡の中」の異界の問題-『羊をめぐる冒険』 脳と意識の微妙な関係-『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 「死=生」を描くリアリズム-『ノルウェイの森』を中心に)
第3部 世界を含む世界へ-『豊饒の海』から読む村上春樹(「『絶対の不可能』=可能」という主題-『春の雪』と『ノルウェイの森』 「幻でないものがほしい」-『ダンス・ダンス・ダンス』と『奔馬』)
終わりとなる文章 「(小説家は)理解したほうが負けなのである」(三島由紀夫)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
20年近くになるハルキストとしては、無視できないタイトルに、
思わず衝動買い。
現在のわが国において圧倒的な人気と実力を誇る村上春樹。
現代作家でありながら、既にその作品は時代を超え、
『名作』の域に達している。
文壇に入ることを嫌い、外国文化の影響を大いに受けていると
自他共に認めている一方で、国内の文学の影響を殆ど語らず、
むしろ否定しさえしていると思われる彼だが、
実は、彼の念頭に最もあったのは、三島由紀夫だったという話。
著者は、これを世紀の大発見を語るかのように、
「なぜかこのことは、これまでほとんど語られてきませんでした」と
書いているのだが、私に言わせれば、この著者は本当にちゃんと
研究したのかと言いたかった。
というのも、この話は、12年前に出版された
『ねじまき鳥の探し方―村上春樹の種あかし』という
本の中で、大いに語られていることだからだ。
確かに、『羊をめぐる冒険』は、
1970/11/15・・・三島由紀夫が自決した日に始まっていたり、
彼と符合する部分が色々あるのは事実だ。
でも、だから、何だというのだろうというのが正直な感想。
作家は、作品の中で、本当に言いたいことを巧妙に隠したがる性
のようなモノを持っており、中でも村上春樹は、そのような技術にかけて、
一級の技術を駆使しているというのが著者の言い分であり、
それをこの本の中で、一生懸命解読して見せるのだが、
どうもこじつけとしか思えない部分が多く、
私にはあまりピンと来なかった。
ただ、著者が強調しているように、村上春樹が
只者の作家でないことは間違いない。
彼の小説は、確かに、複雑な計算に基づいて
書かれていることも確かだろう。
だからこそ、彼の作品は、何度読んでも新しい感動があり、
いつ読んでも、決して陳腐化することがない。
私自身、『海辺のカフカ』は2度読んだだけだが、
『ノルウェイの森』や、『風の歌を聴け』などは、
何度読み返したかわからない。
ここに書く本には珍しく、必ずしも必読を勧める気にはなれないが、
村上春樹の世界を別の目で見てみたいという人は、
チェックしてみる価値はあるのかもしれない。