鷲田康のレビュー一覧

  • 長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14

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    昭和49年10月14日後楽園球場の巨人対中日ダブルヘッダー。それがプロ17年長嶋茂雄最後の試合。V10を逃し川上監督から長嶋監督に禅譲される場面。
    引退のスピーチが有名であるが、第1試合終了後に長嶋がファンに顔見せのためグランドを1周したところが、ミスターのミスターたるゆえんだろう。警備上の問題から予定外の行動。名選手を支えるスタッフたち、そしてテロと戦う長嶋ファンの警察官なと。
    自分は現役で長嶋茂雄を見た世代ではないが、あれだけの人気のあったことが良くも悪くもで分かる屈指のドキュメンタリー。

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    2025年06月18日
  • 10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦

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    試合展開をほとんど覚えていないことに気づかされる。それだけ試合に入り込んでいたからかもしれない。あの場所にいて声を枯らした、その事実だけで十分だったりする。20年たっても酒の肴になる試合なんてそうそうあるもんじゃない。さて、いまから20年がたって振り返った時、そんな試合にどれだけ出会えるかなあ。

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    2019年03月16日
  • 1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))

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    あの年の興奮を振り返るだけでなく、当時は知らなかった背景なども知ることができる。

    まず、1985年のチームは、安藤監督が作り上げたという。実際、1984年の終盤には、真弓は「来年優勝するから」と口にしていた。
    5年契約の4年目が1985年だったが、前年終盤のホームラン王争いのための四球合戦の影響もあり、吉田監督に交代。
    大きな補強はなかったが、コンバートや若手の抜擢で基本布陣を完成させ、キャンプでは阪急の取り入れていた総合ノックで守備を鍛えた。
    二遊間の岡田、平田は居残りで守備を特訓したという。

    投手力は弱いが攻撃は何とかなる、しかし攻撃をチームとしてまとめることの重要性から、「一丸」「挑

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    2018年12月02日
  • 長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14

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    子供の頃の一茂を球場へ連れて行ったはいいが試合終了後に
    置いて帰ったり、ストッキングを忘れてソックスをマジックで
    黒く塗ったり。そんな長嶋茂雄伝説は知っているが、現役時代
    の長嶋茂雄を私は知らない。

    ヤクルトvs阪急の日本シリーズでヤクルト・大杉の打球を巡って
    の「魔の1時間19分」や、広島vs近鉄の日本シリーズでの「江夏の
    21球」は覚えている。王貞治の本塁打の記録だって、勿論、記憶
    のなかになる。

    だが、私の一番古い記憶にある長嶋茂雄は既に読売巨人軍の監督
    としての長嶋茂雄だった。

    プロ野球を見始めた時期が微妙にずれていたとしか思えない。だって、
    長嶋茂雄が引退した昭和49年と言えば

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    2017年08月20日
  • 1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))

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    この年の阪神のことを、それはそれは詳しく書いてあります。当時小学生で大阪に住んでいた自分としては懐かしく、覚えていないこととか知らなかったこととかたくさん勉強になって楽しませてもらいました。

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    2016年02月27日
  • 10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦

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    今年の日本シリーズが第5戦で終わってしまい、なんとなく物足りなく消化不良だったところへ、この本を見つけてしまった。あの時は確か土曜日で、みんなでテレビに齧りついていた記憶がある。この試合がプロ野球史上最高視聴率なのもなんだか納得。
    この本を読んでいろいろと思い出したけど、あの年は巨人にも中日にもドラマがあった年だったんだなぁーとあらためて思った。そしてもうあれから20年以上経ってしまったかと思うと感慨深い。

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    2015年11月10日
  • 長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14

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    ミスタープロ野球、長嶋茂雄の引退の日を追ったドキュメンタリー。

    当時のミスターの人気と社会的影響の凄さを改めて思い知る。プロの世界は数字が全てだが、この人は例外。王貞治やイチローなど、長嶋を上回る数字を持っている選手はいるが、その数字を超越しているのが「長嶋茂雄の存在」だ。時代や社会、そして個人の才能、努力、運、全てが綺麗に結びついて、長嶋茂雄を作り上げた。そんな存在なのだ。

    ところで、長嶋の引退といえば「巨人軍は永遠に不滅です」という名言。しかし、長嶋引退の1日のクライマックスはこの言葉が発せられた時ではなかった。盛り上がりの最高点は試合直前、長嶋が1人で球場を1周し、ファンに直接挨拶し

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    2015年02月24日
  • 長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14

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    ネタバレ

    チェック項目6箇所。「監督が何を気にしていたかというと、ファンなんですよ。選手よりファン。ファンにどう喜んでもらうか、そのためにどういうチームを作って、どうやって戦うか。どういうタレントを集めるか。他の監督とは全然違うプロデューサーなんです、長嶋茂雄っていうのは、それを理解しないと。長嶋監督っていうのは理解できないと思う」(松井秀喜)。「ミスターはまだまだ肉体的にはプレーは出来た。だが、ミスターだからこそやめなければいけなかったのだろう。ON時代は終わった。ひたむきに打ち込んだ姿、あの情熱。それを今後は巨人にそそいでほしい。ミスター、本当に長い間、おつかれさんでした――」(王貞治)。「オイ、分

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    2015年01月20日
  • 10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦

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    1994年10月8日ナゴヤ球場。プロ野球史上初めて同率勝率チームの対戦、勝った方が優勝というドラマチックな1戦。中日と巨人の死闘を監督、選手など多くの関係者への取材から再現するノンフィクション。
    一球一球に秘められたドラマ、双方の思惑の相違など野球というスポーツの魅力を十二分に伝えてくれる。

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    2024年08月20日
  • 勝つプロ野球監督論

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    今の原監督の采配は、もう二次政権の時のような采配は望めないのだろうか。この本読むと、そんなことやってたんだというような采配が載っている。あの時代の巨人は、この三十年でみたら一番強かったし、うまく歯車も回っていたように思う。
    そしてその原巨人と毎年のように優勝争いをしていた落合監督の中日。嫌われた監督と比べるともう少しで落合の考えを垣間見ることが出来そうだったのだけど、辿り着けず残念だった。
    この時代の原と落合、巨人と中日の戦いを、この作者か誰か、書いてくれないかなあ…

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    2023年03月13日
  • 1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))

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    鷲田さん、ホンマにすごいとかでは終わらない作品です。阪神ファンではないけども、当時の状況などがすごくわかりやすい作品でした。

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    2019年02月22日
  • 10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦

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    この試合はテレビで見ていた。1試合だけで1冊の本になるほど、奥が深い意義のある試合だったのだど、改めて知ることができた。

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    2015年11月14日
  • 1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))

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    阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝し、日本一に輝いた1985年。その一年を選手、監督、ウグイス嬢やグランドキーパーなどの裏方のスタッフの方にまで入念に取材して振り返るノンフィクション。300ページを超える力作で、阪神ファンの方ならあの年で記憶に残る試合はバックスクリーン3連発をはじめとしていくつもあるはず。様々な立場の方が「あの時」を振り返ります。強打で打ちまくり、ダントツの強さで優勝したようなイメージが残っていますが、本書を読んで以外だったのは次の点でした。
    1)優勝したチームは実は前年まで監督をされた安藤氏がその骨子を整え、バース曰く「優勝したチームは安藤の作ったチームだった」
    2)9

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    2015年10月04日
  • 長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14

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    長嶋という一選手の引退試合だけで一冊の本がかけるという、改めて長嶋の凄さを感じた。

    ダブルヘッダー合間にグランドを回ったシーンのエピソードには泣けた。
    P116.117の写真は当時の感動を思い出させる。

    長嶋の引退試合に相手チームの中日が主力選手を出さなかったことは、未だに腸が煮え繰り返るが、優勝パレードを優先したという事実を知り、改めて煮え繰り返った。
    そんな中、高木守道が侘びの電話を長嶋にかけたというエピソードは、唯一救われるものであった。

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    2014年12月30日
  • 1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))

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    伝説のバックスクリーン3連発が飛び出し、新たなクローザー中西清起が生まれた1985年。開幕4カード11試合が終わった時点で、1番真弓426、6ホーマー。3番バース381、7ホーマー。4番掛布293、6ホーマー。5番岡田447、3ホーマー。平田450。1試合平均約8点のチームは単独首位をひた走る。日本シリーズも、管理野球を見事に打ち砕き、球団史上初の日本一に輝く。大阪魂が萌えに燃えあがった1年であった。栄光の軌跡が幾多の感動とともに綴られている。終章は、一転、栄華から落剥していく暗黒時代が語られる。選手一人ひとりの辿った足取りが興味深い。明暗あわせたタイガースの真の姿をみることができる。

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    2015年12月09日
  • 長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14

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    長嶋さんの現役時代を知らない私のような世代の人が読んでも価値のある本だと思います。有名な「我が巨人軍は永久に不滅です。」の言葉以外に、長嶋選手引退の裏にこれだけのドラマがあったこと、当時の日本人にとって、長嶋さんがどれだけ英雄であったのかということが、初めて分かりました。

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    2015年02月12日