作品一覧

  • 勝つプロ野球監督論
    4.0
    1巻1,188円 (税込)
    名将から取り入れる、最高の結果を残すチームづくりの方法。 野村克也は書かせることで考えさせた/落合博満は核心を語らず見つけさせた/原辰徳は主力にこそ自己犠牲を求めた/工藤公康は世代交代を容赦なく進めた 監督・長嶋茂雄はどんなリーダーだったのか/なぜ工藤公康は短期決戦で勝てるのか/藤田元司と仰木彬はなぜ名将たり得たのか/落合博満は全てをなぜ語らなかったのか/原辰徳は巨人をどう復活させたのか/カリスマ指導者に共通する資質とは/野村克也はなぜ阪神で勝てなかったのか/原辰徳と高橋由伸のかつての失敗とは/リーダーという存在はそもそも必要なのか/ナンバー2のヘッドコーチはどんな人間が適任なのか/どんな選手を控えに選ぶべきか/どうしてソフトバンクはここまで強いのか――侍ジャパン、悲願達成の道筋も見えてくる!
  • 10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦
    4.5
    1994年10月8日、優勝をかけたシーズン最終戦。 長嶋監督が「もはや国民的行事」と語ったように、この一戦は、平均視聴率48.8%(プロ野球中継史上最高)。2010年に日本プロ野球機構が現役の監督、コーチ、選手を対象にしたアンケートで「最高の試合」部門1位だった。伝説として語り継がれる「世紀の決戦」を、今中、松井、立浪、桑田、大豊、斎藤……戦った男たちの証言でつづる。 長嶋監督は言う。 「野球のすべての面白さを凝縮した試合だった」
  • 1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))
    4.2
    1985年に日本一となった阪神タイガース、このシーズンの対巨人戦、甲子園でのバックスクリーン3連発はいまや伝説となっている。あれから30年、本書では吉田元監督をはじめコーチ、主力選手はもちろんのこと、グラウンドキーパーやウグイス嬢に至るまで数多くの関係者に取材し、球団史上初の日本一がどのように成し遂げられたかを明らかにしている。
  • 長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14
    4.3
    昭和49年10月14日、「我が巨人軍は永久に不滅です」の名セリフとともに現役引退したミスタープロ野球・長嶋茂雄。伝説となったあのフレーズはどのように生まれたのか、長嶋本人は何を考えていたのか。本人を含め、当時の関係者に徹底的に取材、「長嶋茂雄引退の日」の真実がいま明かされる。
  • 10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦

    Posted by ブクログ

    試合展開をほとんど覚えていないことに気づかされる。それだけ試合に入り込んでいたからかもしれない。あの場所にいて声を枯らした、その事実だけで十分だったりする。20年たっても酒の肴になる試合なんてそうそうあるもんじゃない。さて、いまから20年がたって振り返った時、そんな試合にどれだけ出会えるかなあ。

    0
    2019年03月16日
  • 1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))

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    あの年の興奮を振り返るだけでなく、当時は知らなかった背景なども知ることができる。

    まず、1985年のチームは、安藤監督が作り上げたという。実際、1984年の終盤には、真弓は「来年優勝するから」と口にしていた。
    5年契約の4年目が1985年だったが、前年終盤のホームラン王争いのための四球合戦の影響もあり、吉田監督に交代。
    大きな補強はなかったが、コンバートや若手の抜擢で基本布陣を完成させ、キャンプでは阪急の取り入れていた総合ノックで守備を鍛えた。
    二遊間の岡田、平田は居残りで守備を特訓したという。

    投手力は弱いが攻撃は何とかなる、しかし攻撃をチームとしてまとめることの重要性から、「一丸」「挑

    0
    2018年12月02日
  • 長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14

    Posted by ブクログ

    子供の頃の一茂を球場へ連れて行ったはいいが試合終了後に
    置いて帰ったり、ストッキングを忘れてソックスをマジックで
    黒く塗ったり。そんな長嶋茂雄伝説は知っているが、現役時代
    の長嶋茂雄を私は知らない。

    ヤクルトvs阪急の日本シリーズでヤクルト・大杉の打球を巡って
    の「魔の1時間19分」や、広島vs近鉄の日本シリーズでの「江夏の
    21球」は覚えている。王貞治の本塁打の記録だって、勿論、記憶
    のなかになる。

    だが、私の一番古い記憶にある長嶋茂雄は既に読売巨人軍の監督
    としての長嶋茂雄だった。

    プロ野球を見始めた時期が微妙にずれていたとしか思えない。だって、
    長嶋茂雄が引退した昭和49年と言えば

    0
    2017年08月20日
  • 1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))

    Posted by ブクログ

    この年の阪神のことを、それはそれは詳しく書いてあります。当時小学生で大阪に住んでいた自分としては懐かしく、覚えていないこととか知らなかったこととかたくさん勉強になって楽しませてもらいました。

    0
    2016年02月27日
  • 10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦

    Posted by ブクログ

    今年の日本シリーズが第5戦で終わってしまい、なんとなく物足りなく消化不良だったところへ、この本を見つけてしまった。あの時は確か土曜日で、みんなでテレビに齧りついていた記憶がある。この試合がプロ野球史上最高視聴率なのもなんだか納得。
    この本を読んでいろいろと思い出したけど、あの年は巨人にも中日にもドラマがあった年だったんだなぁーとあらためて思った。そしてもうあれから20年以上経ってしまったかと思うと感慨深い。

    0
    2015年11月10日

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