高畑勲のレビュー一覧
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高畑勲さんは冒頭からこう言う。「火垂るの墓は反戦映画ではありません。」
さらに高畑さんは、国民学校(今の小学校)4年の6月29日に岡山市内で受けた空襲体験をもとにこうも言う。「戦争末期の負け戦の果てに、自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、これから突入していくかもしれない戦争を防止することにはならないだろう。」
でも高畑さんは一貫した憲法9条改正反対、戦争反対論者だ。
一見、さっきあげた引用の内容と矛盾するとも思われるけど、通読して改めて高畑さんの思いについて深く考えてみると、次のような、ちょっとビックリする考えに突き当たった。
――高畑さんは、実はこう言いたかったのではないだろうか?『14歳の清太と4歳の節子を死に至らしめた直接の原因は、アメリカ人じゃなくて日本人にあるのだ』と。
たしかに戦争の相手国はアメリカで、空襲したのもアメリカ。
でも冷静に考えてみればわかる。アメリカと戦争するように「理性を失って」「突っ走った」のは他ならない日本人である。
この本を読めば、火垂るの墓に出てくる意地悪い親戚のおばさんや、仕方なく野菜を盗んだ清太を殴る大人を持ち出すまでもなく、幼い兄妹を追いつめたのは、当時の日本全体の世相であり、そういう「全員一致」の方向に(無意識であっても)突き進んだ日本人全員にあると直視せざるを得なくなる。
もう一方で高畑さんは、「全員一致」の暗雲が別に戦時中の話だけではなく、戦後70年を経てまだ日本や日本人を覆い続けているのではと表明する。その証拠として、表現者として、火垂るの墓の評価が1つのところに“落ち着いている”ことに一種の警戒感を持っているようだ。
さらに高畑さんは、戦中の「撃ちてし止(や)まむ」「進め一億火の玉だ」というフレーズに、戦後民主主義教育を受けた日本人にとって誰もが違和感を持つのだというのは今更否定できないはずなのに、オリンピックやワールドカップなどの際に、それらと似ているとしか思えないフレーズを平気で日本人の誰もが口にすることに素直な目で疑問を持っている。
いや、そのこと自体に疑問を持つというよりもむしろ、その雰囲気からはみ出る考えや意見を、日本人全体で封じ込めたり消そうとする傾向が今も厳然と残っていることに大きな疑問を持っているという方がより近いのかもしれない。
1つの国の国民が一つの方向に全体的に進む、というのは日本に限った話でもないのは私もわかっている。しかしそういう雰囲気になった時に、そこからはみ出る弱い立場の者(まさに節子など)や異なる考えを持つ者を、有無を言わさず隅に押しやる傾向が特に日本人は強いというのを、高畑さんと同様に、もうそろそろ日本人は自覚すべきではないだろうか。
高畑さんはそれを日本人の「体質」と表現している。体質は容易には変えられないので、高畑さんは日本人が戦争をしない状態を今は保ち続けているものの、ちゃんと考えていかないと、いつか戦争やむなしという雰囲気が大勢となる日が再び来てしまうのでは、と予言している。(そしてそれを防ぐ唯一の方法が憲法9条を改正させないことと高畑さんは言及している。)
良いところだけでなく悪いところも同じように描き込むことで事象の真実に迫るという高畑流のリアリズムは、火垂るの墓でもいい面で出ていたと私は思うけど、この本での戦争や日本人に対する考え方にもそのリアリズムが顕著に表れているように感じて、好感をもった。 -
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『火垂るの墓』は反戦映画ではない、すなわち、この映画を観たからといって戦争を止められるわけではないという現実認識からスタートする。
岡山市での焼夷弾被害の体験。岡山市の親水公園は建物の強制疎開でできたスペースだったというような、キャッチーな部分はありつつ、焼夷弾の構造の話に代表されるようにリアリズムをベースにしている。
日本人は反戦であった。でも戦争が始まってしまえば、勝つために協力をした。高畑はこれを「ずるずる体質」と呼ぶが、今も全くそのままだと思う。だから、絶対に戦争を始めてはいけないのだ。
ではどうするか、それがタイトルにある。政治家は「君が平和を欲するならば、戦争に備えよ」と言って、結果、国民を戦争に導く。これをもじって詩人ジャック・プレヴェールは「君が戦争を欲しないならば、平和を修繕せよ」と言ったという。「平和の修繕」、すなわち交際協調と外交努力である。
現実的かつお洒落な講演である。 -
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主人公・タエ子の小学5年生時代の回想を軸とし、大人になったタエ子が当時を振り返って何を感じるのかを読者と一緒に見ていく物語。思い出っていいよな。青春と呼ぶには回想が小学生時代なのは若すぎる気がするけど、当時好きだった事や、影響を受けた人物や、周りの出来事が今の自分を作っている、だからこそ振り返りって大事。人間は今を生きることしかできないけど、今をどう生きて未来をどう変えていくかは過去にヒントがあるのだと思う。
タエ子とトシオの車の中での会話がささる。仕事が生きがいかという質問に、イヤじゃないけど生きがいではないと答えるタエ子。それに対しトシオは、この前まで勤めていた会社を辞めて農家をする事に生きがいを感じており、勢いが必要だと説く。
全体を通して、ストーリーは特に大きな展開は何もなく、ただタエ子が小学生時代の自分を回想しながら今を生きていくというだけにすぎないので、読み終わって「これで終わり?」感がすごかった。アニメ映画で観たらまた印象は違うのかもしれないが。この作品は何を伝えたかったのだろう。
田舎での農作業、旅行が好きな事、自然が好きな事、今の仕事にやりがいを感じていない事、自分探しや自己分析をして今後の人生を考える事、30歳になるという節目。そういったものが自分の境遇と似ていることもあり親近感のある作品として惹かれたのかもしれない。世代が同じであれば懐かしいと思いながら読めたのであろう。自分が生まれる全然前の時代設定で流行りなどは知らないものばかりであった。 -
購入済み
短いですが、説得力あって趣旨の内容は整理されやすく相性が良いと思います。ETV特集で高畑さんの特番されてましたが
その前に20%OFFだったのでお得に買えました。 -
Posted by ブクログ
2015年6月29日、岡山市戦没者追悼式・平和講演会での講演記録を収録したもの。60ページほどの本で、すぐ読み終わります。
9歳のとき岡山で焼夷弾の空襲を経験した高畑勲による、平和への提言。大変真面目で、まっすぐで、わかりやすい言葉でした。重みがあります。
高畑勲は、いままで戦争の体験を語ってこなかったという。その理由は簡単で、悲惨な戦争を語り継いだところで、
①「あんな悲惨な戦争を繰り返さないために、武器を捨て平和憲法を守ろう」
②「あんな悲惨な戦争を繰り返さないために、武器を持ち戦える準備をしよう」
これら両方の意見が出てくるからだと。とくに為政者は②を支持するだろうと。なるほど確かにその通りだ。
そして、日本の「責任を取らないずるずる気質」、「空気を読む」国民性が、70年前からいままで何も変わっていないという。どれだけ戦争に反対している人でも、いざ始まってしまえば、「始まったからには勝つしかない」と反転してしまう。偉大な詩人や芸術家も同じ、市民も同じだった。そして自分もきっと同じ。それが一番怖いという。
読みながら、まったくその通りだと思った。平和憲法を守り抜くしかないという結論は、現代においてはあまり響かない主張かもしれませんが、しかし、それしかないと私も思います。
緊張が高まっているから軍拡して備えなければいけない、というのが最近の流行りですが、その道はどれだけ不安定だろうと思う。
戦闘機やミサイルをたくさん持って多少強くなったとして、中国やアメリカの軍事力に対抗できるのか。それこそ桁が違う戦闘力の国に対して、同じように武器を持って準備して、誰も殺さず殺されない道をずっと歩めるか。できそうにない。ちょっとバランスを崩しただけで、戦争に転がり込むだろう。
では仮に世界一の軍隊を手に入れたところで、果たしてそれはいつまで続くか。盛者必衰は歴史を見れば明らかで、そんな不安定な道のりに進んではいけない。その不安定さがはっきり想像できるから、私は軍拡には賛成できない。
唯一の戦争被爆国である日本だからこそできる、平和への歩みがあると思う。平和憲法などお花畑だという人は多いが、お花畑を目指さずして、平和な世界を作れるというのか。
笑顔で握手をしながら裏では銃を突きつけあうのが大人の世界の平和だ、という言説を何度か見かけたことがある。互いに武力を持ち緊張状態を保つことが平和だと。そんなわけあるかと思う。そういうことをずっとやってきて、失敗し続けているのが人間ではないか。武力による緊張状態を保ち続ける、という思想こそが、お花畑ではないか。
武器のない世界をどうやって作れるか、戦争をけしかけた方が損をする仕組みはどうやって成立できるか。それを考え続け、世界にも発信し続ける。それしか本当の平和への道はないのではないか、と私は思います。
半分以上、自分の思いを書いてしまった。しかし、そういう思いを抱かせる本でありました。 -
Posted by ブクログ
『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』で知られる高畑勲が自身の戦争体験の経験や、昨今の憲法改正に向かおうとする日本への危機感が語られている。
日本は戦後70、80年足らずで、もう以前の戦争でどれだけ悲惨なことが行われたのか忘れられようとしている。
広島、長崎で原子爆弾が落とされ、亡くなった日本人の魂に黙祷が毎年の行事として行われようと、戦争の傷跡をもう忘れてしまったようだ。
その証拠に2023年の日本は軍事費を増やし、自民党主導による憲法改正(しかもその憲法に緊急事態条項まで追加しようとしている)への道を諦めてはいない。
本著で指摘される「ずるずる体質」「責任を取らない体質」も、この10年でどんどん酷くなっていっているように思える。
高畑勲が『火垂るの墓』で清太を糾弾しようとする意見が大勢を占める時代が来るかもしれないという危惧をしていたが、今の日本国民はそうなっているのではないだろうか……。
ロシアのウクライナ侵攻で「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」に似た主張から軍備の拡大や、憲法改正を唱える声が聞こえようとも、「もし きみが戦争を望まないなら、繕え 平和を」のプレヴェールの言葉、そして高畑勲が語る主張を信じたい。 -
Posted by ブクログ
「パクさんの教養は圧倒的だった」と、博識の宮崎駿に言わしめた高畑勲の最後のエッセイ集。昨年の「高畑勲岡山展」の時に購入していたが、未だに完読できない。あの圧倒的な「岡山展」の内容をふた回り三回り理論化したような内容で、まとまり切らないからである。高畑勲はアニメの周辺を語っているのだけだけれども、その範囲だけでも古代から現代まで、日本から遠く世界の芸術まで語っていて、しかもかなり専門的で濃い。私の手には負えないかもしれない。しかし、日本の文化を考える上で重要な指摘が多く含まれていて、とても大切な書物です。とりあえず私の関心あるトピックだけピックアップしたい。
「加藤周一『日本 その心とかたち』をめぐって」
加藤周一がNHK TVシリーズで展開した「日本文化の文法」は「1.彼岸性 2.集団主義 3.感覚的世界 4.部分主義 5.現在主義」であると分析し、それに全面的に賛同したうえで、それに付加する形で古代絵巻物からアニメに至る特徴と日本文化との関連を述べている。
日本のアニメの特徴
・セルアニメ‥‥アメリカで開発された技術。最初から目標は立体的に動くことだった。しかし日本は動きよりも「きめポーズ」を大事にする。それでも面白いと感じさせるのはカット割りがうまかったから。リズム、テンポが生まれ、物語も作れた。絵で時を刻み、時間の流れを感じさせる。辿れば、紙芝居、江戸時代の幻冬芝居「写し絵」があり、12世紀の連続式絵巻に至る。
・線の絵‥‥動きが少ないから主人公に強い個性は要らない。たいていは凡人で、追い詰められると強い力を発揮するが、線と平面のキャラクターは、それを頭の中で想像出来る。観客は我がことのよように入り込む。加藤周一の言う「文楽」に近い。西洋のように陰影があれば、かえって絵が「おれは本物だぞ」と主張し始めて、すぐに本物らしくないことがバレて見るのも嫌になってしまう。日本アニメで3Dが成功しないのはそういうわけではないか?それでも「ドラえもん」が作られ始めた。これは日本アニメの「バロック化」です。
・闇と光‥‥日本の伝統絵画には、闇と光の表現がほとんどない。絵画だけでなく、蛍光灯が普及すれば一挙に闇を追い出した。「しかし、ここにきて実写やアニメがぎらつくCGに夢中になっている。おそらく、人々のこの世で生きている現実感がどんどん薄れていって、現実以上に生々しく強烈な現実感を映像に求めている現れではないかという気がします」(18p)←アニメ「鬼滅の刃」で使用されるCGはそういうわけで、見事な効果をあげていると思える。
・強い主観主義‥‥「現在だけが問題」で、「その現在は、いわば予想を超えて、次々と出現する」、そして「状況は〈変える〉ものではなく、〈変わる〉もの」だから、「そこで予想することのできない変化に対し、つまり突然あらわれた現在の状況に対し、素早く反応する技術ー心理的な技術が発達する」というようなあり方が『千と千尋の神隠し』をはじめとする日本のアニメの一大特徴だ。(「」内は加藤周一の『日本文化のかくれた形』から)最近のアニメは、主人公が素早く反応し危機を乗り越えますし、観客はそれに喝采を送りますが、主人公が物事の因果関係を探ったり原因をつきとめる行動に出ることはほとんどありません。(←「鬼滅の刃」が正にそうです!!)主人公の良い心情は、必ず良い結果を生みます。因果関係の客観性・論理性は問われません。よってアニメは「建て増し主義」になる。豊富な細部のリアリティを、保証して全体を作り上げる。(←「鬼滅の刃」が正にそうです!!)
・「おたく的文化」の「集団主義」‥‥技術を、それを生み出した精神風土とは切り離して器用に受け取ったり、「遊び」として採り入れてしまったりする傾向。絵巻物(平安サロン)も浮世絵(黄表紙)も、マンガやアニメもそういうところから出発しながら、ほぼ自力で(留学もせず、外国の先生にも学ばず)独創的なところまで到達できた数少ない例。「集団主義」はそれを助ける。「そこには感覚の無限の洗練が起こるだろう」。(←大英博物館マンガ展図録を見ても、漫画家が世界を意識していた者は1人もいなかった)
「この世を力いっぱい生きたかった宮沢賢治」
宮沢賢治のことならおもしろい。と始まる高畑勲の賢治ミニ評伝。たった4頁に、賢治の言葉を換骨奪胎しながら、賢治の本質を述べる。
「タエ子の顔のいわゆる「しわ」について」
高畑勲は「日本のアニメの特徴」は「立体的に描かない」「単純な線にする」と自覚していたのにもかかわらず、近藤喜文という稀有な描き手を使って『火垂るの墓』『おもいでぽろぽろ』でリアルな立体的な主人公を描かせた。『ぽろぽろ』の27歳のタエ子にシワを描いている。高畑勲は筋肉の問題だとする。笑う時に見えるシワは、彼女の人格・意思の表れなのである。それは「成功した」と監督は感じた。一方で、この「しわ」を「醜いものとして感じて嫌う男たちがいる」と監督は述べる。アニメに自らの理想を投影して見たい人にとって、タエ子は夢想の対象となり得ない。実は私も「せっかくの美人が台無しだ」と思った男の1人である。女性はどう思ったのだろうか?(2000年記事)
「『竹取物語』とは何か」(2009年の未発表論文。映画企画書の一部)
←私はかつて何度もこのアニメ(「かぐや姫の物語」)の映画評を書いた。その本質をある程度は掴んでいたつもりだった。けれども、監督による28頁の解説を読んで、それが如何に浅かったかを思い知った。
←高畑勲は常に革新を求めた。
←高畑勲は常に仲間を大切にし、尚且つ活かした。
←高畑勲は常に総合「作家」だった。
←高畑勲は常に教養の塊だった。