スピノザのレビュー一覧

  • 神学・政治論(下)

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    前半はテキストを元とした聖書神学の先駆けとも言える内容。後半になり『エチカ』にも通じる思想が現れてくる。

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    2025年01月25日
  • 神学・政治論(上)

    Posted by ブクログ

    前半はテキストを元とした聖書神学の先駆けとも言える内容。後半になり『エチカ』にも通じる思想が現れてくる。

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    2025年01月25日
  • 神学・政治論(上)

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    一言でいうと
    「考えることを放棄するな!」
    これが当時としては危険思想であった。

    考えない人間ほど為政者にとってコントロールしやすい人間はいない、
    ということは歴史を振り返っても、火を見るよりも明らか。

    自分の頭で、
    知性で考えることの需要性をスピノザと共に考える、類稀なる良書。

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    2020年06月18日
  • 神学・政治論(上)

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    めちゃくちゃ面白い

    スピノザを知るには、まずはこの本なのでは

    翻訳が古い岩波の知性改善論とか、短論文で挫折するくらいなら(みすずの新訳はどうなのだろう?)、まずはこれを読むべきでは

    大事なポイントの多くがここに出てくるし、スピノザ の問題意識もよくわかる

    何を正そうとしていたのか
    「デカルトの哲学原理」(読んでない。國分さんの「スピノザ の方法」でかなり詳しく検討されてたが、それだけ)と合わせて読むと、当時のキリスト教、ユダヤ教の聖書の読み方などの方法論への疑問と、デカルトの哲学への共感と疑問とが露わになるのでは。

    そうすると、エチカは何だったのか

    デカルトのコギトからの哲学や、聖書の説く道徳論を超えつつ統合したスピノザの倫理学、幾何学的確かさで皆を神の認識へと至らせるメソッド的な(メソッドではいけないとしても)倫理学、としての、新たな聖書を目指したのでは。

    物語で道徳を説く聖書の方法論ではなく、デカルトの心身二元論の矛盾やコギトから始めることの問題点を踏まえて、幾何学的に倫理に到達するという新たな方法を提示した書なのかと思う

    下巻が楽しみ

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    2019年11月12日
  • 神学・政治論(上)

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    ネタバレ

    スピノザが住むオランダはカトリック国家スペイン領からプロテスタント国家として独立したため、1648年にはプロテスタントのみ公認されていた。そして、1672年、カトリック国家フランスに侵攻されたときにカトリックに侵略されていると感じていた。当時はヨーロッパ全体に異端を処罰する法律があった。異端とは国教に反する教えのことで、プロテスタントの国でカトリックの教えを広めたり、カトリックの国でプロテスタントの礼拝をしたりすると、国家の宗教秩序を乱すものとして犯罪となった。当時のオランダは宗教比率がプロテスタント4〜5割、カトリック3割、その他2割。スピノザはどの宗派にも属さず距離を置いた。そして、宗教の自由を説いた。「物知り同士のさまざまな争いに政府が法律で片を付けようとした結果、教会内にどれほど多くの分派が生じたことだろうか」「ひとと違う考えをもっていて迎合することができないという[だけの]理由で、誠実な人たちが悪人として追放刑に処せられるなら、国家にとってこれよりも大きな災いが考えられるだろうか。」また、聖書は難しい哲学ではなく、神は人のために誰でも理解できるようわかりやすく作ってくれた。だから、例え話や物語が多いのだと説いた。当時は無神論者扱いだったようだが、スピノザは自分が信じる神を深く信仰していた。オランダが穏健な国だったとはいえ1670年出版でこの内容、捕まらなかったのはすごい。エチカは死後だけれど。

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    2026年06月28日
  • 神学・政治論(下)

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    国家論とか政治論とかにはいつでもどうしても興味が持てず、後半、16-19章は飛ばし、20章だけ読んだ

    スピノザの宗教観、とてもいい

    要するに、聖書は、神への服従を言ってるのだ。そして神への服従とは、隣人への愛として行われるのだ。
    要するにこれだけのことだ、と。

    素晴らしい。初めてあのわけのわからん宗教がよくわかった。確かにそうだよ。

    そして、発言の自由を認めるべき、ってとこね。
    これは今なら表現の自由と読み替えたい。

    発言の自由を抑えることは不可能なのだ、どんなに法で否定しても、人は自分の好きに考えることをやめられない。
    つまり、好きに考えることをやめさせようとするのは、人間の性質を無視した矛盾でしかなく、結果、破滅的な結果をうむことにしかならない、と。
    そんな抑圧しなきゃいいのだ、好きなこと考え、好きなことを言えばいいのだ、ただし、法を犯すような行為はだめよ、と。法には従うように、と。国が腐敗してない限りは、と。

    さすが、厳密なだけで、答えはめちゃくちゃシンプルなんだよなー


    なるほど、「どうしてソクラテスは死ななければならなかったのか」という問いがプラトンの基本にあるとしたら、スピノザにはやはり、「どうして自分の意見を言うことに命をかける必要があるのか」という疑問があるのだろう。
    それは、ユダヤ教から破門されたこと、その後、暗殺されそうになったことが根本だろうし、そのとき切り裂かれたマントをその後もずっと手放さなかった、というのに現れてるんじゃないか。

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    2019年11月16日
  • エティカ

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    読んでて、面白いところもあるんだけども、でもこれをしっかり理解しようとすると、ここからでは正直、しんどいと思った
    入門書、解説書的なものを頼ろうと思う

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    2019年09月12日
  • エティカ

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    「神とは、絶対無限の存在者、いいかえれば、そのおのおのが永遠・無限の表現する無限に多くの属性から成りたつ実体のことである。」
    ・・・・・・第一部 定義6

    この『エティカ』という本は、幾何学的記述によって世界を説明している。
    定義、公理、定理、証明で構成される、極めて異質な存在だ。
    誤謬なく出来る限り排除し理解してもらうため、この記述法を選択したらしい。
    「冗長ではあるが」と本人が言っているので、繰り返し似たような記述があることは、自覚してもなお、これが最善と判断したのだろう。
    ただ、読み解くのは、困難を極め自分がどこまで理解できたのか判断しがたい。
    それでも、多くの興味深い思想がそこにはあった。

    「われわれは、どのような場合にも、ものを善と判断するから、そのものへ努力し、意欲しあるいは衝動を感じあるいは欲求するのではない。むしろ反対に、あるものを善と判断するのは、そもそもわれわれがそれにむかって努力し、意欲し、衝動を感じあるいは欲求するからである。」
    ・・・・・・第三部 定理9 注解(193頁)

    善悪の解釈について、ニーチェのそれに似ていると感じた。
    (時系列を考えれば、ニーチェのそれが、スピノザに似ていると表現すべきかもしれない。)

    「人間が自然の部分でないということは不可能であり、またそれ自身の本性のみによって認識され、そしてそれの十全な原因であるような変化しかうけないことも不可能である。」
    ・・・・・・第四部 定理4(306頁)

    『神即自然』という言葉で表される汎神論はスピノザの思想の基盤といっていいと思う。
    現代では、人間と自然を、対立する関係と表現、理解されることが多いと思う。「人間と自然の共存」を声高に叫ぶ人もいるだろう。共存と表現すること自体、人間と自然を別個のものと捉えているからだ。だが私は、そこに自然の価値を不正に貶める人間の傲慢さ、奢りを感じずにはいられなかった。人間は所詮、自然の一部に過ぎない。構成するパーツであり、人間を含め、全てを包括するのが自然なのだ。誰も「森と木が共存する」などとは言わない。それと同様に「人間と自然の共存」という言葉には違和感と意味の履き違えがある。
    スピノザの思想に出会ったときに、私の思想を言語化してくれている、そう思った。
    また、スピノザは、その自然そのもの、世界そのものを神と呼び、唯一の実体と解した。
    あらゆるモノが神の一部であり、様態なのだと。
    これは、よく擬人化される神のイメージとは全く違う解釈であり、八百万の神をもつ日本の伝統的思想にも、他のあらゆる宗教にも相容れない。だが、現代の科学的世界解釈と比較的近しい思想ではないかと思う。

    「われわれは第三種の認識によって認識するすべてのことを楽しむ。しかもこの楽しみは、原因としての神の観念をともなっている。」
    ・・・・・・第五部 定理32(449頁)

    「神は自分自身を無限の知的愛をもって愛する」
    ・・・・・・第五部 定理35(452頁)

    世界をより深く正しく認識すること、それこそが神への愛であり。それを行う人間は神の一部であるから。人間の神への愛は、神による自分自身への愛と解することができる。
    私がスピノザに好感を持つ理由のひとつに、理性への信頼、あるいは「理性への強い期待」
    を感じるからだ。

    巻末の最後の言葉を、私はとても気に入っている。

    「さて、私がここに到達するために示した道は、きわめてけわしい道であるかのように見えるが、それを見いだすことは不可能ではない。じっさい、まれにしか見いだされないものは、困難であるに違いない。なぜなら、もし幸福が手近なところにあり、たいした労力もかけず見いだされるならば、それをほとんどすべての人がどうして無視することができようか。
    とにかくすぐれたものは、すべて希有であるとともに困難である。」
    ・・・・・・463頁

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    2011年02月27日
  • エティカ

    Posted by ブクログ

     何を言っているのかよくわからない、というのが正直な感想。幾何学的方法に基づき「定理」「証明」が繰り返され、しかもそれが思いついた順に書かれているような感じで全体像が見えづらい。もっとも、このわかりづらさはスピノザ自身も認めているようで各章の最後にまとめがある。それによって何をどう考えていたのかがおぼろげながら見えてきたが、それは解説のおかげで何を言わんとしているのかを事前に知らされていたからで、それがなければ読み進めることはできなかった。

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    2016年11月05日
  • エティカ

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     エティカの重要性とは、その徹底的に論理的帰結を追及した幾何学的方法である。この方法が形而上学的な存在論、いっさいを包括する全体的、統一的空間を創造している。定義と公理によってすべての命題を導きだすことで、哲学の体系を構成する数学的アプローチはあらゆる意味で、彼の偉大な仕事であったと思う。 

     スピノザの神即自然、すべての事物は神の中に存在するという汎神論的立場は、意志の自由をも否定する決定論に帰結することになる。しかし、この自由意志の否定は単に自然的・機械的法則に服するという意味ではなく、神的存在の永遠な唯一の権力に服するということだ。(ここで神という言葉を使っているが通俗的な意味での、人格的な存在としての神ではなく、非人格的な無限という絶対存在のこと)
    この自由意志の否定こそ汎神論の完成であり、ここでは善悪の根源的対立も解消されることになる。

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    2011年11月07日