関榮次のレビュー一覧

  • チャーチルが愛した日本

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    イギリス人ってアメリカ人徹底的に馬鹿にしててアメリカ人でもないのに不快になった。

    関榮次
    (せき えいじ、1929年[1]7月[2] - 2020年7月21日[要出典])は、日本の外交官、ノンフィクション作家。沖縄県北大東島出身。沖縄県[1]北大東島生まれ。旧制松山高等学校を経て、1953年に東京大学法学部卒業[1]、外務省入省[1]。1954年オハイオ州アンティオーク大学留学、1955年在米国日本大使館外交官補[3] 。帰国後は、経済局、通商産業省出向、経済協力局を経て、インドネシア、連合王国(イギリス)、タイ、ユーゴスラビア、ブラジルに在勤[2] 。本省では、国際連

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    2024年07月24日
  • チャーチルが愛した日本

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    第二次世界大戦へアメリカを引き込むために日本が参戦することに暗躍したやら、参戦が決まって喜んだと言われたチャーチルへの印象が変った。
    日本が戦争に関わる事を回避しようと努力したり、戦後、悪化した日英関係を改善しようと奔走したりと、終始日本の味方であろうとした事がわかる。
    吉田茂・重光葵・チャーチルなどなど、終始戦争に反対した人物が居ながらなぜ戦争に向かっていったのか・・・

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    2012年07月02日
  • チャーチルが愛した日本

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    日本人にとっての英国チャーチルの評価は大きく2つに割れるだろう。多くの人の印象は太平洋戦争でルーズベルト率いるアメリカを第二次世界大戦に巻き込むために暗躍し、結果的に対日戦線に引き入れた張本人として認識されているのでは無いだろうか。だから意地悪そうに笑みを浮かべる狡猾な老人という印象が大きい様に感じる。一方でチャーチルの母方は日本を旅行で訪れ日本の素晴らしさを書籍に残す程の親日家としても知られており、幼い頃に母親からその素晴らしさを耳にしていたチャーチルの親日家としての側面もある事はそれほど知られてはいない。当時はもちろん船の旅になるから、資産家のもとに生まれ首相候補にもなりうる様な大政治家と

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    2023年09月12日
  • チャーチルが愛した日本

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    ネタバレ

    チャーチルは第二次世界戦後、日本に対して密かな温情を持っていたというのは母の影響が色濃く出ていた。 あれほど、ドイツに対しては憎しみとあきらめることの無い勝利を描き、その裏では日本に対しての思い入れがあった。

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    2012年11月06日
  • チャーチルが愛した日本

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    チャーチルの、日本に対する優しい、熱い思いが伝わってきた。
    前半は、チャーチルのご両親について。特に母上がいかに素晴らしく魅力的な人物であったかということ。母上が日本を訪れたことがあり、日本をとても気に入って、チャーチルによくその話をしていたという。箱根の富士屋ホテルなど、現存する地名もちらほら出てくる。
    後半は、そのバックグラウンドを踏まえたうえで、チャーチルの政治的な活躍ぶり、人柄などが書いてある。特に、皇太子が英国に訪問したときの、チャーチルのスピーチは素晴らしい。

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    2011年05月20日
  • チャーチルが愛した日本

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    こういう話はあまり一般的に紹介されていないので、信じられない面もある。チャーチルの母が日本に来て日本びいきになり、それがチャーチルにも受け継がれ 第二次世界大戦に日本が巻き込まれないよう努力するが日本の外相/内閣の対応や理解がわるく太平洋戦争に突入していまう。戦後は英国内で反日論議が活発ななか 日本のために尽力し今の関係があるという話。本当の話ならとても良い話で、太平洋戦争に突入してしまったのは非常に残念。
    2008年4月読

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    2009年10月04日