加藤聖文のレビュー一覧
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ネタバレ<目次>
第1章 世界が動き出す
第2章 中国はなぜ「世界の中心」だったのか
第3章 アメリカがやってくる
第4章 尊王攘夷論はこう生まれた
第5章 「日本」の輪郭ができあがる
第6章 日清戦争~変貌する東アジア世界
第7章 植民地化に抵抗する人たち
第8章 世紀転換期のロシアとアメリカ
第9章 日露戦争~国際的プレゼンスの獲得
第10章 「大日本帝国」の完成~明治維新の終着点
<内容>
朝日カルチャースクールの講義をまとめたもの。語り口がいいので、すっと読むことが出来る。近年の「歴史総合」的切り口で、明治期の歴史を上手くまとめているし、日本史だけでは理解しにくかった視点をカバーしてくれている。 -
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満州への移民が,どのような経緯で国策とされたか,を辿る.
発端は,貧困に苦しむ農村を救うという善意と熱意である.そこに,対ソ防衛網を築きたい関東軍と,省益を拡大させたい政府機関とが乗っかり,移民策は拡大してゆく.
そこで起こったことは,都会しか知らない人間が立案した,実情を無視した入植拡大,達成が無理な目標数値,現地に元々住んでいた中国人との軋轢,等々で,最後にはソ連の参戦,および国民党に対する共産党の勝利で,悲劇はさらに拡大した.
戦争が始まって,働き手が残っていない状態で,夢を見て満州に入植する人などいない,なんてことは考えたこともなかった. -
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「満鉄」
この言葉から受けるイメージは、中国東北部を支配した機関というものがあるが、この本を読んでみると、そう言う通りいっぺんの事柄では語れないほど複雑な組織であったことがよくわかる。
そして、満鉄と言えば“アジア号”であるが、その高速列車と中国東北部を支配したと言うイメージが、どうも一致しなかったが、ま「いろいろあったんだな」と言う事がよくわかった。
驚いたのが、戦後、東海道新幹線を実限させた十河信二が、満鉄の理事経験者であったと言う事。不勉強でした。十河に限らず、あの当時の政財界の重鎮達は、多かれ少なかれ、どこかで交わっているんですね。 -
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本書は、1945年8月15日前後に、日本、朝鮮、台湾、満州、樺太、南洋諸島という「大日本帝国」を構成していた諸地域がどのように敗戦を迎えていったのかを描くことで、大日本帝国とは何だったのか、その本質はどこにあるのか、どういうかたちで滅亡していったのか、そして帝国の記憶の何が喪われてしまったのか、そのことが現在のわれわれにとってどう関わっているのか、といったことを明らかにしている。
トルーマンのほぼ独断だったポツダム宣言の作成経緯、米英に見捨てられての自主的な朝鮮独立の動きの挫折、30分で決められた「38度線」、蒋介石の当初の台湾軽視に起因する台湾に上陸した国府軍への台湾人の失望、満州国崩壊に伴う甚大な犠牲、沖縄戦の前哨戦といえる南洋諸島での玉砕、最後まで戦闘が続いていた樺太・千島など、本書で描かれた「大日本帝国」崩壊に係る各地域のエピソードは、まさに知らないことだらけであった。しかも、これらの敗戦前後の出来事が、朝鮮半島の分断、台湾と大陸中国の分断、国共内戦の末の中華人民共和国の成立など、現代まで続く混沌とした東アジア情勢に直接つながるものであることも理解した。
私を含め多くの日本人にとって、その崩壊を含む「大日本帝国」としての歴史は忘却の彼方にあると思われるが、著者が指摘するように、これからの東アジアと向き合うためにも、「大日本帝国」としての歴史を直視することが必要だと感じた。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
「大日本帝国」とは何だったのか。
本書は、日本、朝鮮、台湾、満洲、樺太、南洋群島といった帝国の「版図」が、一九四五年八月一五日、どのように敗戦を迎えたのかを追うことによって、帝国の本質を描き出す。
ポツダム宣言の通告、原爆投下、ソ連参戦、玉音放送、九月二日の降伏調印。
この間、各地域で日本への憎悪、同情、憐憫があり、その温度差に帝国への意識差があった。
帝国崩壊は、東アジアに何を生み、何を喪わせたのか。
[ 目次 ]
序章 ポツダム宣言―トルーマンの独善とソ連の蠢動
第1章 東京―「帝国」解体への道
第2章 京城―幻の「解放」
第3章 台北―「降伏」と「光復」のあいだ
第4章 重慶・新京―「連合国」中国の苦悩
第5章 南洋群島・樺太―忘れられた「帝国」
終章 「帝国」崩壊と東アジア
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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世界史を高校2年で、日本史を3年で勉強しましたが、習う学年が違っていたこともあり両者を並べて理解する機会はありませんでした。幕末や明治維新に関する本を読んできた私ですが、この本のように明治維新を世界史の中の出来事として捉えてみると、新たな発見があると思います。
本の帯にあるように「なぜ日本は帝国=複数の民族を束ねる国」を目指したのか、日本史だけ勉強していただけでは理解できない、とありまして、この本を読む価値があると感じます。日本も世界の一員として歴史を歩んできたので、幕末から明治にかけて、日本を取り巻く世界はどうだったのかを知ることは興味深いことだと思います。
以下は気になったポイントです。
・近世とは、 端的には封建制 の社会である、 封建制とは何かといえば 身分制社会のことである 、身分制社会ということは生まれた段階でもう 将来が決まっている、 どこの家に生まれて親がどんな身分だったか によってその人の人生が確定する、 日本で言うと 「士農工商」のことである(p23)
・封建制 の時代は戦う人と戦わない人が明確に分かれていた、日本の場合 農民は戦わず 武士が戦った。ヨーロッパの場合 大谷貴族が武器を持って 軍隊を指揮するか、 実際に戦場で戦うのは傭兵である。 傭兵とは お金をもらって戦う人たちのことで大家 貴族は資金を出して傭兵を集めた。ヨーロッパの戦争とは傭兵同士の戦争であった。 それに対して フランスは王も貴族もいなくなり、資金がないので 傭兵も雇えない すると もう自分たちで戦うしかない。 当時の価値観で見ればプロと素人の戦い だから フランスが負けるのは誰もが予想したが、実際にやってみると反対の結果になった。この理由は彼らには自分たちの国を守るという意識と連帯感があり 戦争の目的がはっきり あったからである(p34)
・ヨーロッパの起源には2つの文明がある、 すなわち 古代ギリシア と 古代ローマである。 ヨーロッパ諸国はこれら 2つの文明 のどちらを自国の起源にとらえるかによってスタンスが異なる。フランスは古代ローマ文明を継承しているという誇りを強調するがドイツはローマ帝国の勢力圏に入ったことはない、 そこで 無理やり 古代ギリシア文明を期限に据えることにした(p41)
・19世紀の始まりは「 国民国家・ 産業革命・ 植民地支配」がセットになっている、 このセットが揃えば 国力が増すということになっていた。 産業革命が国民国家と親和的なのは 国民国家が封建制 を打破し、 社会的障壁を取り除いたからである(p45)
・ 国民国家と産業革命が噛み合ったことで 国力が増して強い国が生まれるようになったが、 反対に この動きに乗り遅れた国々は没落していく。 19世紀が一つの転換期になったのはこのような理由であった、 実際 近代以前は 超大国 と言える「 オーストリア帝国・ オスマン帝国・ 清・ ロシア帝国」は国民国家 化に失敗して没落していった(p46)
・中国は政治的にも経済的にも 軍事的にも 超大国であった、 しかしそれだけではない、 加えて重要なのは 文化的な力である。 大国である 証は、文明の力を持っていることである。 文明の力が 他国に影響を及ぼしていく(p50)
・漢字も中国における重要な発明品である、文字があるということは、人間の思考において大きな意味を持っている。人はただ単に 言葉で伝え合っているだけではなくそれを「 文字化」することで 抽象概念を使って考える。 話すだけではただの会話として終わってしまうが、 書くことによって自分の考え方を客観的かつ論理的にまとめることができる(p51)
・中国は周りの国々を武力で従属させるのではなく文明の力を 信服させることで 世界の安定を図ろうとした、 このような考え方はヨーロッパとは対照的である。 ヨーロッパの場合 基本的に戦争で相手を屈服させて 支配権を拡大していったが、中国は相手が信服して朝貢国として 支配金に入ることを理想とした(p58)
・日本において「 天下」とは統治者の威令が届く範囲のことであった、そのため 為政者の 権力が及ぶ範囲である 天下の範囲は時代によって大きくなったり小さくなったりした。室町時代の足利幕府は最初は勢いがあったので 足利将軍の威令が「 本州・四国・ 九州」に届くが戦国時代になって衰退していくと、 天下は小さく分裂していく(p67)
・ アメリカは大陸横断鉄道が完成する 1869年まで、 中国貿易の機関ルートは大西洋 周りであった。 米中関係が充実され中国との貿易ルートが整備されていく中で アメリカは中国の近くに有望な中継地点があることに気づいた、 それが日本であった。アメリカにとって中国貿易のための中継地点が必要であった、 大西洋からインド用 周りの航路上にある交通の要衝は、 英仏が抑えていたので 中国ルート上でヨーロッパの国が抑えていない場所といえば 日本か 朝鮮 しか残されていなかった。中でも日本は人口も多く 中国に次ぐ 市場として魅力的であった、ただし この段階でアメリカが 念頭に置いていたのは日本というよりも「 琉球王国」であった(p79)
・クジラを取るために 日本近海に出没するようになった欧米 船は日本のはるか南の無人島にも立ち寄るようになった これが 小笠原諸島である 、江戸時代には誰も住んでいない無人島であったが 船泊として最適だということで 欧米の捕鯨船が立ち寄るようになって 船員たちが 入職するようになった。小笠原諸島に最初に定住したのは 実は欧米人 であった(p81)
・琉球王国は中国と貿易していたので 薩摩藩は実質的に支配関係にあった有給 王国を 薩摩藩領とはせず 独立したまま残した、もし 薩摩藩の領地にしてしまえば 超広告ではない 薩摩藩は中国と貿易できなくなってしまうから、 それでは 薩摩藩にとって うまみがない、 琉球王国は支配しつつ 建前上は独立させることによって 琉球王国を通じて 薩摩藩は中国と密かに攻撃を行っていた (p93)
・ ロシアにとって 樺太の領有権が現実味を帯びてくるのはアロー戦争の後になってからである、 アロー戦争とはアヘン戦争後の清との貿易に不満を抱いていたイギリスが、太平天国の乱で清が 混乱していたことを好機として フランスを引き込んで起こした戦争である。 1856年から60年にかけて行われた この戦争は 英仏連合軍の圧勝に終わった。清は 多額の賠償金を支払うことになったが、 ロシアが資金面を援助した。この時 貸金の担保として「 沿海州」が 差し出された、 ロシア はここを手に入れて極東に年間だった ウラジオストック校を建設、 1860年 ロシアは清と北京条約を結びこれにより 沿海州が 正式に ロシア領となった(p102)
・日本の場合 南北朝合一から現代までの天皇家は北朝系であった、 それなのに「 大日本史」では南朝が正統にされた、特徴は足利幕府の傀儡で「邪」とされた(p116)
・なぜ幕末になって天皇が あれほど多くの人に支持されるようになったのか、 それは天皇と直接結びつけば誰もが平等になれると考えられていたからである。 言い換えれば 江戸時代の身分制度はどれほど強固で息苦しかったか を示している(p128)
・一般に近代国家の条件とは「 領土・ 国民・ 主権」の3つとされる、特に自国の国民として含まれるのはどこまでか、さらに主権が及ぶ範囲はどこまでか、 その範囲を定める領土が最も重要な条件であった(p135)
・版籍奉還 とは 各藩の大名が支配していた領地と 領民を天皇に返還するということである、古代は公地公民と言って土地も 人民もすべて 天皇のものであった。新政府へ変換となると 抵抗 が起きかねないが天皇にお返しするという名目だと反対はできない、 非常に都合がいい 存在として 天皇が用いられた。 領主の代わりに天皇を据えて これから 新しい 漁師は天皇であるといえば納得してもらうことができる、 こうして 領主と両耳の関係を断ち切ることに成功した(p141)
・当時は 個別の農家に年貢がかかるわけではない、領地ごとに年賀がかかってきて 庄屋 たちがそれぞれの農家の規模に応じて 割り振っていた。そうするとある一家が何ですると大変である、 その家が負担していた分をみんなで折半しなければならなくなるからである。家を存続させなきゃ という必要性はそこにあった、 別に 伝統とか文化でなく「 切実な経済的理由」からである だから家を絶やさないように用紙を取ったりしていた(p148)
・廃藩置県によって版は消滅して外国との貿易 も盛んになると、 琉球王国の存在意義は失われた、 そこで 政府は琉球王国も他の半と同じように廃止して日本国内の一つの行政区域にしようと考えた。ここで問題になるのが、清との朝貢関係である、問題解決のために 日本はまず清との外交関係を樹立する必要があった(p152)
・1871年 日本と清 との間で 日清修好条規が結ばれる、日本が外国と結んだ 初めての台頭 条約である。 この時の交渉は 漢文で行われた、当時 国際条約締結の際に用いられる言語は20世紀初頭までは フランス語であったが、 第二次世界対戦後はほとんど 英語になった。 一方で 日本と清との間の共通言語は 漢文 であった、日本人は 漢文の素養があったので 漢文を使ってこの条約は結ばれた(p155)
・ 江戸時代 徳川幕府は鎖国政策を行っていたが 唯一 公式の外交関係があったのは朝鮮王国である、 朝鮮通信使という外交団が日本にやってきて 将軍に謁見したりしていた、 その外交関係を取り仕切っていたのが 日本の対馬藩である(p167)
・ 1888年に日本陸軍は、鎮台制から師団性へと大きく組織体制を変更する、 それまで日本は国内の反乱を抑えるために軍隊を地方に配置していたが、 これが鎮台制である、これに対して師団性とは 有事の際に海外に軍隊を派遣できるという体制であり、 外国の軍隊と戦うことを想定した 組織体制に舵を切った。 さらに1889年に 徴兵制の大改正が行われた、有名な戸主の徴兵免除など初期の徴兵令には免除対象がたくさんあったが 今回の改正によって 免除対象はほとんどなくなった、 さらに 翌年2月の 大日本帝国憲法により、 兵役は日本国民の義務と定められた(p187)
・ 中国の北洋 とは 揚子江という川の北側を指す、 揚子江を挟んだ 北と南でそれぞれ 担当者を分けて皇帝がコントロールする体制をとっていた。 北洋軍閥の担当エリアには朝鮮も入っている、李鴻章は清と 朝鮮の外交も取り仕切っていた、 一方南のエリアにはベトナム 代わり 台湾もそこに含まれる、 こちらは 李鴻章の縄張りではなく、別の軍閥の縄張り であった。 そこで台湾を日本に活動し自身の政治的 ライバルに打撃を与えようと考えた、 これが 台湾 割譲の裏側であった(p196)
・遼東半島は当時 満州の一部であるが ここには 大連 や旅順 という天然の良港がある、 対岸の山東半島はすぐ近くであり 上海に行くこともできる、 遼東半島はつまり、 満州と中国本土を結ぶ交通の要衝 であった(p199)
・ 植民地が本当に利益をもたらすか といえば確実なことはわからない、 植民地支配 が 思ったほど 割に合わないことが明らかになるのは第二次世界大戦が終わってからである。 それゆえ イギリスは あれほど有していた植民地を 戦後になると次々と手放した、反対に フランスは手放さなかったので後に大きな痛手を被ることになる(p274)
2026年8月10日読破
2026年8月22日作成 -
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”満蒙開拓団”、戦前に移民として満州にわたり農業に従事するも敗戦後すべてを失い何とか帰国、中には残留孤児問題として後々まで続く悲劇もあった、イメージとして持っていたのはこのようなこと。
本書は、この満蒙開拓団に関する国策が、いかに立案され実施されていったかを、政策史の観点からまとめた通史である。
「はじめに」にあるとおり、「政策当事者は、…その当時の置かれた状況で自身では最善と思われる政策を立案するのであって、むしろ「善意」や「熱意」が政策実現の推進力になっていることが多い。満州開拓政策も農村救済に熱心な人物であればあるほどのめり込んでいった」
満州移民の契機となったのは、もちろん満州事変でありその後の満州国建国である。満州国の人口バランス比からくる日本人の大量移民を必要とする軍事的要請、また折からの農村不況を解決するための方策として移民政策を求める民間有志、それに関係省庁が乗る形で、国策としての満蒙開拓政策が進められていく。
土地買収を巡る現地人との軋轢や武装叛乱による被害もあれば、日本とは異なる環境での農業の難しさもあり、計画は当初の予定どおりには進まなかったにもかかわらず、
対ソ戦を前提とした軍事的要請から、遂には100万戸移住計画がぶち上げられる。
「〇〇要綱」や「△△計画」、□□組織など固有名詞が煩雑なほど出てくるが、通史として正確に事実を叙述することが大事なので、それは致し方ない。その点、各章の冒頭に当該章の内容の概要がまとめられているので、それで全体像は把握することが適当だと思う。
「おわりに」で、「政策は実施当初において、構想段階では想定できなかった事態に必ず直面するものである。その際、適切な政策の見直しと、それを迅速に実行する柔軟性が求められるが、この機会を逸すると、政策が肥大化するにつれ矛盾も深刻化し、見直し程度ではすまなくなる。満州開拓政策も当初に見直しの機会を逸したために、政策の肥大化とともに誰も止められなくなってしまったのである。」とまとめれらているが、至言である。
企業であれば費用上の制約が大きいが、国策の場合、それまでの投資分を無駄にはできないと、中途でストップすることはより難しくなってしまう。これまでの多くの事例がそれを裏付けている。
そして、「文庫版のためのあとがき」でも触れられているが、残留孤児問題である。「一世にとっては日本は夢にまでみた祖国だったが、二世にとって日本は異国でしかなかった。一世の親は国策の犠牲者だったが、その親の選択が子を犠牲者としたのである」とある。
その行為を正当化するものではないが、怒羅権のような半グレ集団が跋扈したのも、開拓団の歴史が今に続いていることを現わしているのではないだろうか、そんなことも考えさせられた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「大日本帝国」というのは何だったのかというのが、ここ数年の興味の一つで、本屋で見つけた時は大喜びだった。小熊英二「『日本人』の境界」と対をなすような本で、「『日本人』の境界」が大日本帝国の形成過程を描いたものだとしたら、この本は1945年8月15日を起点にしての、大日本帝国の崩壊過程を描いている。
漠然と、日本人一般がもっているイメージはなんか、8月15日の白昼にに玉音放送が流れて、戦争がぶっつりと終わり、暫くするとアジア各地から日本人が続々と帰って来たイメージだけど、それはあくまで「内地」から見た終戦であって、「帝国」の「外地」では具体的にどういう状況で玉音放送を聞き、どういう顛末を経て帰って来たのかと(自らの意志で帰ってこなかった人、意志に反して帰って来れなかった人もいる訳だが)。