【感想・ネタバレ】世界史の中の明治維新 なぜ日本は「帝国」を目指したのかのレビュー

あらすじ

名著『「大日本帝国」崩壊』の著者が描く、帝国の始まりの物語は読むしかない。
――加藤陽子(東京大学大学院教授)

明治維新を世界史で理解する名著。現代世界のなりたちと未来が見えてくる。
――磯田道史(国際日本文化研究センター教授)

アジア初の国民国家は、いかにして「大日本帝国」となったのか。
国家の枠組みが揺れる時代に、世界史的視点から明治維新を捉えなおすことで、日本と世界の現在地が同時に見えてくる。
『海外引揚の研究――忘却された「大日本帝国」』で第43回角川源義賞[歴史研究部門]を受賞した著者による、近代日本の出発点を俯瞰する新しい入門書。

【抜粋】
「国民国家が内包する暴力性を自覚してナショナリズムに振り回されない、そういった足腰の強さが日本には備わっているのか、あるいは備わっていないのか。アジア最初の国民国家である大日本帝国をつくり出した明治維新の歴史の中にそれを見出すことができるでしょう。そして、そこから未来の新しい日本の姿を考えることが可能になるのではないか、と思います。」(「はじめに」より)

※カバー画像が異なる場合があります。

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Posted by ブクログ

複雑な世界をわかりやすく、まとめてくれている。説明が合理的で非常に納得感が高い。日本史世界史の授業でこの話が聞けたら、もっと興味を持つ学生が増えるのではないかと思う。

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2026年08月16日

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明治維新を何となくしか理解できていなかったため手にとった。世界史の動きから明治維新とはなんだったか、日本がどのように帝国主義に移っていったのかを理解するのに役立つ本で、伊藤博文や福沢諭吉の当時の役割や考え方も知れる良い本だと思う

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2026年06月30日

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幕末から明治の終わり頃(日露戦争後、韓国併合まで)の日本とそれに関わる諸外国の動きを解説したもの。著者による市民講座の講義録を元にしているとのことで平易で大変わかりやすく、興味深く読むことができました。教科書では、さらっとしか触れられていない政治的背景や外交の思惑が丁寧に述べられているので、ひとつひとつ納得がいきまました。今更ながら外交とは冷徹なもので、裏では打算が働いているものなのか、思い知りました。

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2026年05月31日

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ネタバレ

明治維新とタイトルにあるが、世界史の中の日本近代史といった感じ。ペリー来航から大日本帝国の骨格ができあがるまでをたどっていく。アメリカは南北戦争がなかったらならばアジアへの進出も遅れることはなったかもしれない。日本、清、韓国はそれぞれの国家観や歴史、地政学的な違いにより欧米列強との関係に差が出てしまったような気がする。そして中国、韓国には近代史が無いに等しいという事も重要な観点。琉球、台湾との関係も非常に勉強になった。

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2026年04月03日

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加藤聖文「世界史の中の明治維新」(SB新書)
19世紀にヨーロッパで国民国家が成立し、それが帝国主義勢力として東アジアに到達した。中国・清王朝はアヘン戦争、アロー号戦争に破れ、英・仏による侵略が始まった。日本にも米国が捕鯨船の補給基地を求めて、ロシアも極東進出後の食料等の補給地として日本に通商を求めてきた。徳川幕府は当初は拒否の構えだったが、アロー号戦争の結果をみて開国やむなしとの方向に移行した。
それまで日本は身分制国家で庶民は自分の領主しか目に入っていなかったが、外国を意識することで国民としての意識が生まれてきた。水戸学の伝統や国学がそれを下支えし、尊王思想という形が生じた。それが攘夷と結びついて一気に反幕府のうねりが生じ、明治新政府が生まれた。明治政府は版籍奉還、廃藩置県で一気に中央集権の国民国家を成立させたが、その求心力として天皇を必要とした。
日本は主権・国民・領土からなる国民国家として朝鮮や中国と国交を求めるが、相手側の中華的世界観と真っ向から衝突した。そこから日清、日露戦争を経て日本が帝国主義勢力となるまでを描く。
ところどころ論理の飛躍を感じるところもあるがダイナミックに当時の東アジア世界が描写されている。

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2026年03月30日

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講座を基にしているからか、口語で読みやすい。しかし文量は多め。それもそのはずで、幕末から韓国併合までを近代国民国家を軸に国内外の政治情勢から語っていくため、結構、壮大。高校生はこういう授業を受けてほしい。

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2026年08月29日

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明治維新について日本を取り巻く世界の状況の理解が進んだ。韓国、台湾、中国、ロシア、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ。
戦争が起こるきっかけは今の世と全く同じ気がする。
坂の上の雲を併読しているが、より楽しめそう。

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2026年08月15日

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「明治維新」を経て、国民国家の成り立ちや隣接国との関係性をしっかりと読み解いて、題にもある世界から見た日本という一貫した軸で分かりやすかった。

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2026年08月08日

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面白かったのは、国が存在する以上、多少の対抗関係は避けられないということ。地理的な位置関係や地政学的な力学の中で、各国がそれぞれの思惑で動いている構造がよくわかった。

中でも興味深かったのは中国の思想。自分たちが世界の中心であり、周辺国は貢物を差し出す存在だという考え方が根底にあること。そして日本が帝国として立ち上がった時、同じように自国の文化・考え方を周辺に輸出し、正当性を訴えようとしていた点も興味深い対比だった。

日露戦争についても、単なる「ジャイアントキリング」として語られがちだが、実際にはイギリスの支援など、周辺国の思惑が絡み合った結果としての勝利だったことが詳しく描かれている。日本単体の物語ではなく、世界史という大きな盤面の中の一手として明治維新を捉え直せたのが、本書の一番の収穫だった。

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2026年07月29日

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序盤は地政学の話か…と思ったが、読み進めると本が止まらなかった。
他の幕末〜明治維新の新書も読んできたので、個人的に読み応えがあった。
海外の思惑なども考察されていたが、今後その点も含めて、より深めていきたいと思った。

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2026年05月30日

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明治日本の歩みの世界史的な意義や世界史の中で日本の明治維新をどう捉えるかがわかりやすく書かれ、中高生でも読みやすい。中学校歴史や高校の歴史総合の学びを補完する副読本としても良い。ところどころ気になる表現はあるが、歴史観(歴史的な見方や考え方)を磨くことができる。日露戦争の勝利で終わっているので続編があれば嬉しい。

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2026年04月13日

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 明治維新を世界史の視点から見て書いた本である。明治維新は、日本史として書かれることがほとんどであるが、当時の日本の変化は、他の国から見ても驚異的な事件であったのだ。西欧先進諸国から見れば、他の植民地と違って、自分たちに対抗してくる驚異的な国として映っただろうし、植民地にされている国から見れば、自分たちも日本のようになれるんじゃないかと希望を持つのだ。
 事実その当時の日本はアジア諸国にとって留学する対象地として多くの人が留学しているのだ。ベトナムではドンズー(東遊)運動が起き多くの優秀な若者が日本に留学しており、中国からは、孫文、蒋介石、汪兆銘、周恩来などその後活躍するほとんどの人が留学しているのだ。その留学生を大切にすればよかったのだろうが、フランスから日本が留学生を受け入れていることを非難されると、追い返してしまったようだ。
 要は日本は西欧諸国に尻尾を振って、東洋人には冷たくしていたのが明治時代なのだ。その西洋諸国から仲間はずれにされて国際的に孤立してから、「大東亜共栄圏」なんて言っても、受け入れられるはずがないのだ。福沢諭吉も最初は東洋諸国が協力して西洋と対抗する姿を描いていたのだが、そんなことは無理と諦めてしまったことは有名である。伊藤博文も韓国や中国との協調を願っていたのだが、維新第二世代である桂太郎や小村寿太郎は、日本を西洋のような大国として振る舞おうとするのだ。
 自分の実力以上に背伸びをし、本当は協力すべきところとはうまくやれないというのが島国日本なのだ。他国と揉まれたことのない日本が世界で翻弄されるのは当然だったのだが、国際関係というのは本当に難しいと改めて思いました。とても良い本だと思います。

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2026年04月12日

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ネタバレ

<目次>
第1章  世界が動き出す
第2章  中国はなぜ「世界の中心」だったのか
第3章  アメリカがやってくる
第4章  尊王攘夷論はこう生まれた
第5章  「日本」の輪郭ができあがる
第6章  日清戦争~変貌する東アジア世界
第7章  植民地化に抵抗する人たち
第8章  世紀転換期のロシアとアメリカ
第9章  日露戦争~国際的プレゼンスの獲得
第10章  「大日本帝国」の完成~明治維新の終着点

<内容>
朝日カルチャースクールの講義をまとめたもの。語り口がいいので、すっと読むことが出来る。近年の「歴史総合」的切り口で、明治期の歴史を上手くまとめているし、日本史だけでは理解しにくかった視点をカバーしてくれている。

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2026年03月28日

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日本史は独立したものではないと、改めてわかった。特に外国との関わりが興味深い内容だった。明治の歴史を勉強し直せる一冊でした。

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2026年03月22日

Posted by ブクログ

世界史を高校2年で、日本史を3年で勉強しましたが、習う学年が違っていたこともあり両者を並べて理解する機会はありませんでした。幕末や明治維新に関する本を読んできた私ですが、この本のように明治維新を世界史の中の出来事として捉えてみると、新たな発見があると思います。

本の帯にあるように「なぜ日本は帝国=複数の民族を束ねる国」を目指したのか、日本史だけ勉強していただけでは理解できない、とありまして、この本を読む価値があると感じます。日本も世界の一員として歴史を歩んできたので、幕末から明治にかけて、日本を取り巻く世界はどうだったのかを知ることは興味深いことだと思います。

以下は気になったポイントです。

・近世とは、 端的には封建制 の社会である、 封建制とは何かといえば 身分制社会のことである 、身分制社会ということは生まれた段階でもう 将来が決まっている、 どこの家に生まれて親がどんな身分だったか によってその人の人生が確定する、 日本で言うと 「士農工商」のことである(p23)

・封建制 の時代は戦う人と戦わない人が明確に分かれていた、日本の場合 農民は戦わず 武士が戦った。ヨーロッパの場合 大谷貴族が武器を持って 軍隊を指揮するか、 実際に戦場で戦うのは傭兵である。 傭兵とは お金をもらって戦う人たちのことで大家 貴族は資金を出して傭兵を集めた。ヨーロッパの戦争とは傭兵同士の戦争であった。 それに対して フランスは王も貴族もいなくなり、資金がないので 傭兵も雇えない すると もう自分たちで戦うしかない。 当時の価値観で見ればプロと素人の戦い だから フランスが負けるのは誰もが予想したが、実際にやってみると反対の結果になった。この理由は彼らには自分たちの国を守るという意識と連帯感があり 戦争の目的がはっきり あったからである(p34)

・ヨーロッパの起源には2つの文明がある、 すなわち 古代ギリシア と 古代ローマである。 ヨーロッパ諸国はこれら 2つの文明 のどちらを自国の起源にとらえるかによってスタンスが異なる。フランスは古代ローマ文明を継承しているという誇りを強調するがドイツはローマ帝国の勢力圏に入ったことはない、 そこで 無理やり 古代ギリシア文明を期限に据えることにした(p41)

・19世紀の始まりは「 国民国家・ 産業革命・ 植民地支配」がセットになっている、 このセットが揃えば 国力が増すということになっていた。 産業革命が国民国家と親和的なのは 国民国家が封建制 を打破し、 社会的障壁を取り除いたからである(p45)

・ 国民国家と産業革命が噛み合ったことで 国力が増して強い国が生まれるようになったが、 反対に この動きに乗り遅れた国々は没落していく。 19世紀が一つの転換期になったのはこのような理由であった、 実際 近代以前は 超大国 と言える「 オーストリア帝国・ オスマン帝国・ 清・ ロシア帝国」は国民国家 化に失敗して没落していった(p46)

・中国は政治的にも経済的にも 軍事的にも 超大国であった、 しかしそれだけではない、 加えて重要なのは 文化的な力である。 大国である 証は、文明の力を持っていることである。 文明の力が 他国に影響を及ぼしていく(p50)

・漢字も中国における重要な発明品である、文字があるということは、人間の思考において大きな意味を持っている。人はただ単に 言葉で伝え合っているだけではなくそれを「 文字化」することで 抽象概念を使って考える。 話すだけではただの会話として終わってしまうが、 書くことによって自分の考え方を客観的かつ論理的にまとめることができる(p51)

・中国は周りの国々を武力で従属させるのではなく文明の力を 信服させることで 世界の安定を図ろうとした、 このような考え方はヨーロッパとは対照的である。 ヨーロッパの場合 基本的に戦争で相手を屈服させて 支配権を拡大していったが、中国は相手が信服して朝貢国として 支配金に入ることを理想とした(p58)

・日本において「 天下」とは統治者の威令が届く範囲のことであった、そのため 為政者の 権力が及ぶ範囲である 天下の範囲は時代によって大きくなったり小さくなったりした。室町時代の足利幕府は最初は勢いがあったので 足利将軍の威令が「 本州・四国・ 九州」に届くが戦国時代になって衰退していくと、 天下は小さく分裂していく(p67)

・ アメリカは大陸横断鉄道が完成する 1869年まで、 中国貿易の機関ルートは大西洋 周りであった。 米中関係が充実され中国との貿易ルートが整備されていく中で アメリカは中国の近くに有望な中継地点があることに気づいた、 それが日本であった。アメリカにとって中国貿易のための中継地点が必要であった、 大西洋からインド用 周りの航路上にある交通の要衝は、 英仏が抑えていたので 中国ルート上でヨーロッパの国が抑えていない場所といえば 日本か 朝鮮 しか残されていなかった。中でも日本は人口も多く 中国に次ぐ 市場として魅力的であった、ただし この段階でアメリカが 念頭に置いていたのは日本というよりも「 琉球王国」であった(p79)

・クジラを取るために 日本近海に出没するようになった欧米 船は日本のはるか南の無人島にも立ち寄るようになった これが 小笠原諸島である 、江戸時代には誰も住んでいない無人島であったが 船泊として最適だということで 欧米の捕鯨船が立ち寄るようになって 船員たちが 入職するようになった。小笠原諸島に最初に定住したのは 実は欧米人 であった(p81)

・琉球王国は中国と貿易していたので 薩摩藩は実質的に支配関係にあった有給 王国を 薩摩藩領とはせず 独立したまま残した、もし 薩摩藩の領地にしてしまえば 超広告ではない 薩摩藩は中国と貿易できなくなってしまうから、 それでは 薩摩藩にとって うまみがない、 琉球王国は支配しつつ 建前上は独立させることによって 琉球王国を通じて 薩摩藩は中国と密かに攻撃を行っていた (p93)

・ ロシアにとって 樺太の領有権が現実味を帯びてくるのはアロー戦争の後になってからである、 アロー戦争とはアヘン戦争後の清との貿易に不満を抱いていたイギリスが、太平天国の乱で清が 混乱していたことを好機として フランスを引き込んで起こした戦争である。 1856年から60年にかけて行われた この戦争は 英仏連合軍の圧勝に終わった。清は 多額の賠償金を支払うことになったが、 ロシアが資金面を援助した。この時 貸金の担保として「 沿海州」が 差し出された、 ロシア はここを手に入れて極東に年間だった ウラジオストック校を建設、 1860年 ロシアは清と北京条約を結びこれにより 沿海州が 正式に ロシア領となった(p102)

・日本の場合 南北朝合一から現代までの天皇家は北朝系であった、 それなのに「 大日本史」では南朝が正統にされた、特徴は足利幕府の傀儡で「邪」とされた(p116)

・なぜ幕末になって天皇が あれほど多くの人に支持されるようになったのか、 それは天皇と直接結びつけば誰もが平等になれると考えられていたからである。 言い換えれば 江戸時代の身分制度はどれほど強固で息苦しかったか を示している(p128)

・一般に近代国家の条件とは「 領土・ 国民・ 主権」の3つとされる、特に自国の国民として含まれるのはどこまでか、さらに主権が及ぶ範囲はどこまでか、 その範囲を定める領土が最も重要な条件であった(p135)

・版籍奉還 とは 各藩の大名が支配していた領地と 領民を天皇に返還するということである、古代は公地公民と言って土地も 人民もすべて 天皇のものであった。新政府へ変換となると 抵抗 が起きかねないが天皇にお返しするという名目だと反対はできない、 非常に都合がいい 存在として 天皇が用いられた。 領主の代わりに天皇を据えて これから 新しい 漁師は天皇であるといえば納得してもらうことができる、 こうして 領主と両耳の関係を断ち切ることに成功した(p141)

・当時は 個別の農家に年貢がかかるわけではない、領地ごとに年賀がかかってきて 庄屋 たちがそれぞれの農家の規模に応じて 割り振っていた。そうするとある一家が何ですると大変である、 その家が負担していた分をみんなで折半しなければならなくなるからである。家を存続させなきゃ という必要性はそこにあった、 別に 伝統とか文化でなく「 切実な経済的理由」からである だから家を絶やさないように用紙を取ったりしていた(p148)

・廃藩置県によって版は消滅して外国との貿易 も盛んになると、 琉球王国の存在意義は失われた、 そこで 政府は琉球王国も他の半と同じように廃止して日本国内の一つの行政区域にしようと考えた。ここで問題になるのが、清との朝貢関係である、問題解決のために 日本はまず清との外交関係を樹立する必要があった(p152)

・1871年 日本と清 との間で 日清修好条規が結ばれる、日本が外国と結んだ 初めての台頭 条約である。 この時の交渉は 漢文で行われた、当時 国際条約締結の際に用いられる言語は20世紀初頭までは フランス語であったが、 第二次世界対戦後はほとんど 英語になった。 一方で 日本と清との間の共通言語は 漢文 であった、日本人は 漢文の素養があったので 漢文を使ってこの条約は結ばれた(p155)

・ 江戸時代 徳川幕府は鎖国政策を行っていたが 唯一 公式の外交関係があったのは朝鮮王国である、 朝鮮通信使という外交団が日本にやってきて 将軍に謁見したりしていた、 その外交関係を取り仕切っていたのが 日本の対馬藩である(p167)

・ 1888年に日本陸軍は、鎮台制から師団性へと大きく組織体制を変更する、 それまで日本は国内の反乱を抑えるために軍隊を地方に配置していたが、 これが鎮台制である、これに対して師団性とは 有事の際に海外に軍隊を派遣できるという体制であり、 外国の軍隊と戦うことを想定した 組織体制に舵を切った。 さらに1889年に 徴兵制の大改正が行われた、有名な戸主の徴兵免除など初期の徴兵令には免除対象がたくさんあったが 今回の改正によって 免除対象はほとんどなくなった、 さらに 翌年2月の 大日本帝国憲法により、 兵役は日本国民の義務と定められた(p187)

・ 中国の北洋 とは 揚子江という川の北側を指す、 揚子江を挟んだ 北と南でそれぞれ 担当者を分けて皇帝がコントロールする体制をとっていた。 北洋軍閥の担当エリアには朝鮮も入っている、李鴻章は清と 朝鮮の外交も取り仕切っていた、 一方南のエリアにはベトナム 代わり 台湾もそこに含まれる、 こちらは 李鴻章の縄張りではなく、別の軍閥の縄張り であった。 そこで台湾を日本に活動し自身の政治的 ライバルに打撃を与えようと考えた、 これが 台湾 割譲の裏側であった(p196)

・遼東半島は当時 満州の一部であるが ここには 大連 や旅順 という天然の良港がある、 対岸の山東半島はすぐ近くであり 上海に行くこともできる、 遼東半島はつまり、 満州と中国本土を結ぶ交通の要衝 であった(p199)

・ 植民地が本当に利益をもたらすか といえば確実なことはわからない、 植民地支配 が 思ったほど 割に合わないことが明らかになるのは第二次世界大戦が終わってからである。 それゆえ イギリスは あれほど有していた植民地を 戦後になると次々と手放した、反対に フランスは手放さなかったので後に大きな痛手を被ることになる(p274)

2026年8月10日読破
2026年8月22日作成

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2026年08月22日

Posted by ブクログ

カルチャーセンターでの講座内容がベースになっているそうで、しゃべり言葉の口語体で書かれている。明治維新を、いわゆるイメージされる討幕から明治政府樹立までではなく、日露戦争までと捉えて、討幕から帝国主義に至るまでのファクターを、欧米、アジア(主に中国、韓国、そして琉球)との関わりの中で、ひとつひとつ詳らかにしている。なんとなく腑には落ちた気もするのだが、あまりにも話しというか見解が綺麗に収まりすぎていて、あくまでこれもひとつの見方として捉えるくらいがちょうどよさそう。

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2026年04月22日

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