福永文夫のレビュー一覧
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子供ごころに首相として最初に認識した人物で、在任中に亡くなったという以外、あまりイメージは持っていなかった。たまたま、今年の夏休みに旧師を訪ねた際に、私の先輩にあたる、という由で話題に上った。カーターかキッシンジャーか(どっちか忘れた)が信頼を寄せていたとか、周恩来が褒めていたとか、人物的な評価があったというような話だった。また、首相も自民党顔の人に替わったところだし、普段はあまり読まぬ政治家の評伝を読む気になった。
讃岐の貧農(は少し言いすぎで中の上の農家だったようだ)の倅。政治家としては貧しい家庭の出身だが、奨学金で東京商大に進学して大蔵官僚を経て政治の世界に入る。
官僚時代に中国駐在を経験。その影響もあるかどうか、池田内閣での外相就任以降、政治家としてはわりあい外交での活躍が多かった。代表は角栄と組んだ日中国交回復。
鳩山、岸、福田が国家主義・戦前回帰派とすると、池田、大平は戦後憲法にも肯定的で、吉田茂の流れを汲む軽武装・経済重視の「保守本流」のラインとなる。
思索的な文筆家・理論家、政治倫理にはあまり拘らない良くも悪くも中庸を好む現実主義者の両面があった。
1970年代アタマには、今までは欧米へのキャッチアップでやれていたが、経済成長も曲がり角に来て「戦後の総決算」を唱えていた。これは大平に限らぬ問題意識。考えてみると40年後の今日でもその問題に答えは出ていないようだ。
70年代にわたって三角大福が総理の座を激しく争うわけだが、いったい何が争点なのかはよく分からん。積極財政・親中国の田中と緊縮財政・親台湾の福田くらいの色分けはある。でも政策はすり合わせで決まって、ポジションだけを熾烈に争う感がある。いま現在の政治も同じか。
政治の役割を限定的に捉えて権力の行使に抑制的だった。70年代のインフレ当時も、無理矢理物価を抑えるよりは市場重視の姿勢。はっきりしないが「小さい政府」派と言えるかもしれない。消費税導入でつまづいたのは皮肉。
こういう人、好きかも。
座右の銘「一利を興すより、一害を除くに如かず。」by耶律楚材 -
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地元の駅ビルで購入する。大平元首相は、気になる政治家です。城山三郎さんの最後の仕事は、大平元首相の伝記でした。にもかかわらず、何も知らないのです。ですから、気になるのです。正直、失望しました。出来の悪い本ではありません。読みやすい本です。にもかかわらず、失望しました。理由は簡単です。僕の期待値が高すぎたのです。政治家になる前の大平氏のことが分かったのは収穫でした。池田、前尾と異なり、主税畑ではなく、主計畑なんですね。また、強固な均衡財政主義者のようです。失望したのは、長富補佐官です。長富補佐官のことは言及されています。ただし、具体的に、この本を読んだだけでは、何をしたのか分かりません。この人脈の中から、竹中平蔵が登場しました。どうも気になるのです。気になるならば、他人に求めるのではなく、自分で調べるべきなのでしょう。数式のない論文を書いたことはありません。暇なので、一度書いてみましょう。
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獨協大学法学部教授の福永文夫(日本政治外交史)による大平正芳の評伝。
【構成】
序 章 「戦後の総決算」の主張
第1章 青少年期-人間と思想の形成
1 生い立ち
2 大蔵官僚として
3 大平と「戦後」の出発
第2章 「保守本流」の形成-宏池会の結成
1 秘書官から政治家へ
2 池田政権-新しい保守主義
3 大平外交の展開
4 佐藤政権-宏池会の「冬の時代」
第3章 宰相への道-「三角大福」派閥抗争の時代
1 大平派の誕生
2 田中政権の成立-盟友と外交
3 三木・福田政権-激化する派閥抗争
第4章 大平政権の軌跡
1 宰相大平正芳の誕生
2 波乱の船出
3 苦闘の宰相
終 章 「含羞」の保守政治家
著者の福永は元々占領期に誕生した片山哲社会党政権などの研究で知られているが、その人物が大平正芳を書くというのは少し意外な感じがしたが、サブタイトルに惹かれて手に取ってみた。
言うまでもなく、自民党結成以前からの戦後日本の「保守本流」は吉田派である。そして、その吉田派の流れを汲む宏池会は佐藤派と並ぶ55年体制下の自民党の主流派であった。個人的には保守本流としての宏池会の思想なり政策理念なりが中心に描写されるかと思っていたのだが、多くの描写はいわゆる「政局」についてであった。
20年前ならともかく、今の時代にかつて新聞紙上を賑わせた自民党の派閥抗争をくどくどと取り上げる必要は感じないし、その党内政治や派閥内政治における大平の役割を中心的に論じてしまうのはこの面白そうな題材を活かしきれず、もったいない話である。
著者が利用した大平記念財団所蔵の一次資料は本文中に引用される部分だけを読んでもなかなか面白いものがあるが、それをより大きなスケールでの「戦後保守」の政治の表象として論じていくには、著者の筆がだいぶ足りないと感じる。