Posted by ブクログ
2019年12月17日
教えるとは、学ぶとはどういう営みなのか。教師が生徒に教えるという上から下へに知識を授けるというような方法をイメージしがちな気がするのだが、果たして本当にそのようなことが可能なのだろうか。自身の経験を思い起こしてみると、教師に教えてもらうことがなかったとは言わないが、本当に学ぶということは自分で本を読...続きを読むみ、話を聞き、調べ、自分の頭で考え、書き記し、まとめ、テストへの回答や文章にするなど何らかの仕方で出力する過程を経ることで学びとしてきたように思う。それゆえ、教師とは教える存在というよりも、生徒が学ぶ方向づけをし、学習のペースを崩さないように見守り、時に調整をしてくれるコーチのような存在なのではないかと考えていた。
本書はオックスフォード大学で実施されているチュートリアルという教師と学生が一対一、あるいは教師一人に対して学生が二、三人で構成する個人指導を文章で再現している。チュートリアルとは、「毎週、小論文を書くための問い(エッセイ・クエスチョンと呼ばれる)と、それに回答するために読むべき課題文献リストが渡される。毎週10冊ほどの著書や論文である。それらを読んだ上で、小論文を執筆する。エッセイでは、教員が出したエッセイ・クエスチョンに、文献リストに示された文献を使って、学生が自分なりの議論を展開し、回答を与える。そして、実際のチュートリアルの時間には、学生が事前に提出したエッセイをもとに、教員との間で質疑応答や議論が行われる」というものだそうだ。
この概要の説明を読んだだけでも、何と贅沢な時間だろうと感じた。そして、そのチュートリアルの再現である本書を読んで、その嫉妬にも似た憧れの感覚はますます強くなった。羨ましい。教員と学生とのやりとりにより、当初学生が発した問いが様々な手法、見方で分解され、より深い問いへと導かれていく様は、学生本人にしてみたら手に汗握る緊張の連続かもしれないが、しかしそれは視野を拡げてくれるとても貴重な経験になる。日常感じ、発された素朴な問いをメタ化し、5w1hで分解し、whyを重ねるなどし、発展させることで、深化させるのだ。教員はそれを導くだけで、実際に深化させるのは学生本人であるところが魅力的である。