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「各詩人の人がらから潜って往って、詩を解くより外に私に方針はなかった。私はそのようにして書き、これに間違いないことを知った」。藤村、光太郎、暮鳥、白秋、朔太郎から釈迢空、千家元麿、百田宗治、堀辰雄、津村信夫、立原道造まで。親交のあった十一名の詩人の生身の姿と、その言葉に託した詩魂を優しく照射し、いまなお深く胸を打つ、毎日出版文化賞受賞の名作。
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Posted by ブクログ
文庫としてはちょっと高いけど、充実の一冊!! 手にして良かった~! 室生犀星が敬愛する詩人たちを一人ずつ取り上げて語る。 当時の犀星の様子や、交流の様が、正直に、温かく優しい目線で語られていた。 タイトルには伝記とあるけれど、本書はそんな堅苦しいものではなくて、思い出の記といった感じだった。 詩人へ...続きを読むの愛が詰まっている。 第一章は「北原白秋」。 明治四十二年に自費出版された白秋の処女詩集『邪宗門』を、早速注文した犀星。 自らをキリシタンになぞらえながら官能や幻想を唄う本作を、「解らないまま解る顔をして読んでいた」という。 正直だなぁ。 『屋上庭園』という詩の雑誌も、編集していた白秋宛てに直接注文した犀星だったけれど、「やはり解らないものは解らないままだった」という。 それでも、月給八円だった彼が一冊一円の雑誌を購入したということ。 それから、解らなかったと述べながらも、「活字というものがこんなに美しく巧みに行を組み」、「眼の前にキラキラして来る閃きを持つ」などと、 白秋の紡ぎ出す詩から感じるものを胸一杯に受け止めている様子が見てとれた。 詩そのものに対する思いも、 「処女詩集と呼ばれているものは」「ご念のはいった美しい愛称なのである」という。 「小説集なぞはこれをひと口に初版本といい、処女小説集とはいわれていない。詩集を守りつづけて来た美名が未だに、ふくいくとして匂いこぼれている所以である。」 (ふくいく=馥郁=よい香りが漂っている様) いい表現だなぁ。 明治四十四年頃の犀星は、「本屋訪問がぬきさしならぬ文学展望のかたちになっていた」。 そして白秋宛てに『小景異情』の原稿を送る。 ここにあの「ふるさとは遠くにありて…」が含まれていた。 すると翌月、白秋編である詩の雑誌に、「一章の削減もなく全稿が掲載され」る。 「めまいと躍動を感じて白秋に感謝の手紙を送った」ことからも、飛び上がるほど嬉しかったであろう犀星の喜びが伝わってきた。 そして次々と掲載されるようになる。 この詩の雑誌は『ザムボア』といったが、ここに犀星は、萩原朔太郎の名前をみつける。 以前『二魂一体の友』を読んでいたので、犀星と朔太郎の仲はここから始まってゆくのだなぁとニヤニヤ。 のちに朔太郎から直接手紙が届き、彼もまた犀星の詩を『ザムボア』で毎号読んでくれていることを知る。 って、第一章は北原白秋の章なのになぁ。 やっぱり朔太郎とは、室生犀星という人にとっては欠かせない人間なんだな。 本文は白秋も朔太郎も世を去った後のものだと読み取れるが、「こういう機会に毎日白秋に会えるということも、きゅうくつではあるが、今日は何を書こうかという愉しい朝が夜が明ければあった」とのこと。 「萩原朔太郎と私はなんといっても白秋の弟子だ」とまで言いきっている。 「原稿の字は一字もなおして貰わなかったが、白秋のたくさんの詩のちすじがからだに入って、それが萩原と私にあとをひいている」とも。 章の後半には白秋と女性たちについても記されていたが、ここに印象深い文があった。 「愛情は古いほど永い間薄ら痒い。」 「白秋以後白秋なく、……………その先ざきでほとんど不世出のはればれしさを、抱えきれないくらい抱えこんだ詩人であった。」 第二章は「高村光太郎」。 犀星は素直に彼に対しての嫉妬心を記している。 「私にとってはほとんど生涯の詩の好敵手であったし、かれは何時も一歩ずつ先に歩いていたこと………私は高村にかなわないものを感じていた」 「私がどれほど詩の原稿をたくわえていても、『スバル』に掲載されるということは絶対にありえない、だが光太郎はいつでも華やかにしかも何気ないふうで登場していたのだ。」 高村光太郎という名前に絶えず脅かされていた、癪にさわる、青ざめ、悲しみ…と散々だ。 けれどもこれらは高村光太郎個人を攻撃しているわけではない。 犀星の詩に対する熱い向上心からくるものなのだろう。 何故なら、「高村自身にとっても私のような男に身辺のことを書かれることは、相当不愉快なことであろう」と謙遜し、 彼の死を「巨星墜つ」と表現し、 「光太郎の死後、あらゆる読物娯楽と演出演劇がよってたかって、光太郎と智恵子をめちゃくちゃに見せ物にしてしまった」と、「どいつも、こいつも叩きのめしてやろうかとさえ」憤慨しているからだ。 「巨星は映画演劇におもちゃにされたが、依然見事に聖人高村光太郎にびくとも影響をあたえていないし、そのために彼を軽く見るという境にまで行きつかなかった。」 本書はその他、「萩原朔太郎」(この人は欠かせない!隠しきれないいじらしさ、くすんだ情熱、なんて表現もあって、やっぱり二人の距離の近さを感じる)、 「堀辰雄」「山村暮鳥」「島崎藤村」等11名の錚々たる名前が連なる。 どの章も、詩と詩人に対する犀星の愛情溢れる文章が楽しく読ませてくれる。 「詩というものを作るということは、或る意味で盗まなければならないことだ、小説を書く場合にもまた多くを盗まなければならない、巧みに溶かしてぬすむということは、その詩人なり小説家の、頭の溶かしぐあいと、ぬすむことによって盗んだ十倍も本物を自分から惹き出すことにある。」 「詩人は早く死んではならない、何が何でも生き抜いて書いていなければならないのだ、生きることは詩を毎日書くことと同じことなのだ。」 「………皆は死に、その死を傷むこころはこの伝記を綴ることによって一層に感慨は深い、……」 「詩人の伝記を書いているが、どうもすぐ自分のことを書いてしまうね。」 室生犀星も、愛すべき詩人だ。 最後に、山村暮鳥の詩を1つご紹介したい。 『手』 しつかりと にぎつていた手を ひらいてみた ひらいてみたが なんにも なかつた しつかりと にぎらせたのも さびしさである それをまた ひらかせたのも さびしさである
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