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従来のハイデガー『存在と時間』解説書はアリストテレスや中世スコラ哲学、新カント学派、フッサール現象学、ユクスキュルの生物学等からの影響や相関関係をめぐる専門的な問題に集中しすぎるきらいがあった。それがどうして当時のドイツやフランスの若者を引き付けたのか、現在でも多くの哲学者を魅了するのか、思考の枠組みは従来の哲学とどう違うのか、普通の人の人生にどのような意味があるのか等、哲学学習者の興味に答える。
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Posted by ブクログ
後輩が勉強しているというので、ハイデガーを勉強するのに読んだ二冊目。つくづく仲正昌樹の入門書は、初心者にやさしいつくりになっていることに割と感動した。 この一つ前に、ちくま新書の『ハイデガー入門』を読んだのだが、そちらは、『存在の時間』でハイデガーが示している概念を、プラトンやアリストテレスの概念か...続きを読むら解釈して、哲学史的なつながりを解説するものだった。個人的には、まったくためにならなかったのだが、仲正もまず最初に、従来の入門書が、そうした哲学史的な拘りから、他の哲学者との影響関係を説明するものばかりだったことを指摘していて、前回の本への感想が、自分だけの違和感でなかったことに安心した。 では、この本では何をしているかというと、ハイデガーの主著『存在と時間』が、何を問題にしていて、どういった結論を出しているのかを解説してくれている。その際、専門家の興味をそそるような、哲学史的な説明ではなく、テクストに即して書いてあることを解釈するという形を取っている。入門書や概説書としては、とても当たり前のような気がするが、前回読んだ入門書のイメージがあるので、非常にありがたい一冊だった。 一番説明としてありがたかったのは何かと言われると、第一章の「何故、「主体」ではなく、「現存在」と言うのか?」が、一番かもしれない。というのも、これまで読んだ本だと、「現存在」という概念が、なんとなく特別な何かのような気がしていたのだが、この問いの立て方によって、「主体」のことを言っているのだということがわかったからだ。 このことはけっこうありがたくて、ハイデガーの色々な概念が、実は、他の人たちと同じものを指しているのだけれども、ハイデガー特有の「存在論的」な理解から、名付け方を変えているのだということが分かった。例えば、第二章で説明されている「共現存在」なんかも、基本的には、フッサールなんかの言う「間主観性」なんかに似た概念で、ハイデガーがどうしてそういった現象を、そういった名付け方で捉えようとしたのかという視点から捉え直すことができた。この辺、一般的によく知られている哲学的な概念や日常的な例で、ハイデガーの用語を解説してくれているので、非常にわかりやすい。 そうしてハイデガーの思想の概要が分かってみて思ったことは、自分の考えが、いかに認識論的だったかということだ。ところどころで、著者の仲正さんも、デカルト的な世界観にどっぷりと使ったわたしたちの感覚からすると〜、みたいな説明の仕方をしているが、ハイデガーの言っていることを聞くと、たしかに自分たちがデカルト的な認識の世界にいることを、ものすごく感じさせられる。ハイデガーの言う通り、存在するとはどういうことか、それ自体を考えなくなって、すべて認識の問題に還元している節が、たしかにある気がする。 ハイデガーの哲学的な位置付けではなくて、ハイデガーの思想自体の概要を知るのであれば、新書としてはこの本一択な気がする。それくらいに、初心者に対して、ハイデガーに哲学者的な関心のない読者に対して、良心的な本だった。
歴史の客観性を考えるにあたっても、それはそういう将来を見据えて歴史を選んでいるのであり(Materialとして選ぶ)、まったく客観的な歴史というのはない、というのはそうだなぁと思う。トルストイの戦争と平和もそうで、歴史というのは主観的な要素を多く含んでいる(?)のだろうか。歴史のところが印象だったの...続きを読むで先に書いているけれど、実存から時間を考えるというのはとても面白い。やっぱり公共的な時間とか水平的な時間とかではなく、私固有の時間に興味があるからだ。時間は各人に同じではないかもしれない、その驚き。
ハイデガーの有名かつ難解な『存在と時間』の入門本。 哲学にちょっと興味が出て来て、原著の『存在と時間』を手に取ったところ、1ページを解読するのにさえ四苦八苦し、挫折(知 っ て た)。これをきっかけに本書からまず読むことにした。 ハイデガーが元来のデカルト的・自然科学的な認識論(認識があって初めて...続きを読む存在がある!)から距離を置いて、従来の存在論を解体しようとしたという『存在と時間』の目的から解説が始まり、重要概念である現存在、配慮的気遣い、「ひと」、死への先駆などについて説明がなされている。筆者はハイデガー専門の研究者ではないのだが、だからこそ可能な、良い意味で中性的で、読者に寄り添う形で解説がなされており、素人の自分でもついていくことができた。難し過ぎず、かつ原著から離脱した都合のいい要約になっている訳でもなく(原著からの引用が多くある)、入門書としては良書なのではないかと思う。とはいえ、原著がかなり難解であるため、それなりに骨を折るし、十分に理解できなかった部分も多い。 それでも『存在と時間』の提起する問題は新鮮かつ刺激的なものが多く、それらは読んでて惹かれるものであった。例えば「死」について。現存在(私たち)は生まれた時点で「死」を背負っており、それへの漠然とした不安(従来の思想家はその曖昧さから注目しなかった)から逃れるために、「ひと」へ没入するのだ(世間の考えに身を任せる)というハイデガーの指摘は、平均寿命という世間の基準を受け入れて、明日訪れてもおかしくない自分の死から目を反らしている私たちにまさしく当てはまるものである。
本書は、「存在と時間」の読解を主な内容とする、ハイデガー哲学の入門書である。 筆者は「存在と時間」の原典をときどき引用しながら、難解な思想を卑近な事柄に例えて解説してくれるので、比較的わかりやすい解説書になっている。 特に「存在と時間」原典の文章にはハイデガーの造語や難解な哲学用語が多く、それらの用...続きを読む語の意味の理解に、この本の説明は役に立つ。とはいえ、原典自体が難解なので、筆者の丁寧な解説にもかかわらず、この本一冊で「存在と時間」が読めるようになるといったものではない。次のもっと詳しいハイデガーの解説書に挑むための最初のステップに読むのに適した本であるような気がしている。
ハイデガーの『存在と時間』の入門的解説書です。 著者は「はじめに―ハイデガーは何故重要なのか?」で、「日本でも多々出版されてきたハイデガー入門書・解説書にしばしば見られるような、哲学史的な過度の拘りは避けるつもりである」と述べて、ハイデガーの「存在史」の構想から『存在と時間』を位置づけるような議論...続きを読むにあまり踏み込まないと断っています。 新書形式の入門書としては、木田元の『ハイデガーの思想』(岩波新書)が、実存哲学としてハイデガーの思想を捉える見方を否定して、正当なハイデガー解釈を打ち出しており、細川亮一の『ハイデガー入門』(ちくま新書)も同じ路線で、よりマニアックな議論を展開しています。一方、本書と同じ講談社現代新書から刊行されている古東哲明の『ハイデガー=存在神秘の哲学』は、ハイデガーの秘教的な側面への偏愛と明晰な議論の展開を両立させた名著だと思うのですが、本書はこれらの入門書とは違う特徴をもっています。 著者は、「『存在と時間』の“実存主義=ヒューマニズム”的な側面を切り捨ててしまうのは惜しいような気がする」とも述べており、じっさい『存在と時間』の実存哲学的な部分についてていねいな解説をおこなっています。こうした性格の入門書としては、竹田青嗣の『ハイデガー入門』(講談社選書メチエ)がありますが、竹田が自身の欲望論の土俵にハイデガーを引っぱり込んでいるのに対して、著者はもっとハイデガー自身の思索にそくしたかたちで解説をおこなっているといえそうです。竹田がほとんどハイデガーを離れてみずからの哲学を開陳している「先駆的覚悟生」や「良心の呼び声」についても、ドイツ思想史の背景を紹介しながら解き明かしており、勉強になりました。
入門書だが個人的にはかなり難しく感じた。アーレントやナチズムとの文脈も読解したかったが、結局理解できずに終わったので、後ほど再読。
・一度「存在」への問いに囚われると、そこから完全に逃げ出すことはできなくなり、「存在」を気遣い続けることになる。逆に言えば、「気遣」っているからこそ、「現存在」は「実存」として「存在」しているのであり、「気遣い」しなくなった時、「現存在」はもはや「存在」しない ・「死」をもって、自分の現存在の全てが...続きを読む顕わになるが、その瞬間を自分で経験することはできない。「死」の瞬間に、経験する主体である自分自身が消滅するからである。「死」をもって、各人のそれまでの各種の気遣いや、自明視してきた有意義性の連関も消滅する(ように思える)。「世界」がその後も”存在”し続けるかどうか分からないし、たとえ”存在”し続けたとしても、もはや「現」を失った”私”にとっては無意味である ・ハイデガーは、死へと関わる本来的存在の核心は、「(死の)可能性への先駆」にあると見ている。つまり、自らの「死」と対峙することを「回避」するのではなく、必ず到来する「死」を自らの存在の「終わり=目的」として見据え、そこに向かって自らの実存を「投企」し直すということである。平たい言い方をすると、「死」を意識し、そこに至るまでの自分の生き方を、積極的な意味を見出すことができるような仕方で、再イメージ化する、ということだ
『存在と時間』。過去なんども読破に挫折。本書でようやくわかったような気分になれて、やっと胸のつかえがとれた感じ。
デカルト以降の自我中心の哲学が課題とした我思うゆえに我ありの我が存在する根拠に対して、死という固有の経験から自分に固有の生き方や責任を考えて主体的に将来に向かって投企していくポジティブな人間というハイデガーが出した解がわかった
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仲正昌樹
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