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年間10万件を突破し、今なお児童虐待は増え続けている。困窮の中で孤立した家族が営む、救いのない生活。そこで失われていく幼い命を、なぜ私たちの社会は救うことができないのか? 日本社会の家族規範の変容を追いながら、悲劇を防ぐ手だてを模索する。
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Posted by ブクログ
過去の虐待事件の裁判傍聴や加害者への接見を通して筆者が得た情報を元に、虐待の背景にあるものは何だったのかが考察されている。普段見聞きするニュースではここまで深い情報を知ることができないため、とても勉強になった。 親になって改めて思うが、子育ては周りの助けがなければ絶対にできない。誰からも何の助けも...続きを読む受けず、親だけで育てることは不可能だ。それでも現代では「子育ては親の責任である」とい考え方が根強い。(確かに子どもは親のことをよく見ているなと感じることも多々あるし、子は親の鏡という言葉も間違ってはいないと思う。) 一方で、自身が自立できていない親、子どもをコントロールすることで自分自身を保つ親、自身も被虐待者で暴力以外での育て方がわからない親、等も一定数存在していて、「子育ては親の責任である」論で言うと、そのような親から生まれた子は運命を受け入れかろうじて生き延びるか死を待つかのどちらかになってしまう。 中には、虐待やネグレクトを受けても自身の力で立派な大人になる子もいる。もちろん個人の能力も関係あるとは思うが、そのような子たちは大抵、人生のどこかで恩師や恩人に出会っている。「人生に希望を見いだせる何か」があるというのはとても重要で、人生のどこかでそのような希望に触れられるかどうかが、子どもの成長においてとても重要なことだと思う。 「どの親から生まれたとしても子どもが社会に希望を見いだせる」そんな社会であってほしいし、そのために自分自身には何ができるのか(たとえ微力だとしても)、改めて考えるきっかけとなった。
子供を思い通りにできると思う「所有感」 裏を返せば思い通りにならないと苛立つ。 ハッとさせられます。 娘にも息子にも所有感は感じます。 でも強さが違うような気がする。 娘は早くに自立したので同じフォローでも息子のフォローとは違うように思います。 同じ塾の送り迎えでも娘の場合は主体が娘。 頼まれてから...続きを読む動きます。 しかし息子の場合は頼まれるより先に自分で動いてるような感じです。 虐待する親もそんな感じなんでしょうね。 親にもハンデがあれば余裕がなくなって。 例えば 子供時代に発見されなかった障害があったり 虐待があったり シングルやったり けっこう子供に暴力が向かうリスクは身近なところにあるんですよね。 僕が司法試験受験しようと思ったのは福祉の限界を感じて法律の知識をそんな家庭に届けたいと思ったから 法曹を断念してからは今の僕にできる範囲でがんばろと思ってます。
タイトル通り、虐待に詳しいルポライター杉山春の考察がまとめられた本書。子どもを死なせてしまった親の実像から社会のあり方まで様々な考察が収録されている。先日読み終わった森達也著『U』と同じテーマが含まれている偶然に驚いた。 あるシングルファザーはアパートに子どもを閉じ込めて働いていた。その末に死なせて...続きを読むしまうが、その後7年間家賃を払い続けていた。彼には知的障害があった。IQ69は境界知能より低いが、仕事はこなしていた。それを根拠に「子どもの死を予想できたはず」として長い懲役刑の判決が下った。 そこにはマスコミと裁判員制度の問題が絡んでいる。マスコミが虐待に対する市民感情を煽る。虐待死させた親は「鬼畜」(石井光太著『「鬼畜」の家』)とされる。それを背景に、虐待に対する厳罰化が進んでいる。それを加速させているのが裁判員制度だ。裁判員にはレッテルを貼った説明が分かりやすい。「残酷な親」というレッテルが裁判員の感情を揺さぶる。 虐待は親子という最小単位の問題だが、家族の問題でもある。そしてそれは、地域の問題であり社会の問題でもある。ゆえに、本書は様々な話題に展開していく。大変勉強になる良書であった。
ルポ虐待を読んでからすぐ拝読。 苦しい話だが、ただただ感情的な個人の悲しい 目を背けたい事件 で終わらせず、背景や物語を丁寧に伝えてくれる。 いま、自分が生きるために食事の準備をしたり栄養を考えたり運動したり、誰かと一緒にいきようとしたり、ペットのお世話をしたり、保育士になったり。それらは"...続きを読む;普通のレール"かもしれない。けどそのこちら側の普通は、向こうにとっての"知らなかった生活"な場合もあるのだと。そうした若者が、小さい時にアタッチメントのなかった子どもが歳を重ね性に出会い親になっていく。 社会の仕組みや戦争時代のレポートを含めた聴取や、何より孤児を出さないことが虐待防止になると知った。フィリピンの在留孤児についても学びになった。
児童虐待のニュースを目にするたび、自分のことのように感じる。逮捕される親を映像で見るたびに、違和感を感じていた。 私も3児の母だが、虐待をして逮捕される親と、自分との違いは何なのか。そんな疑問に答えてくれた本だった。
虐待をするのはひどい親、と言うのは簡単だが、実はそう単純ではない。DV、貧困、両親との不仲、社会的孤立、非行、幼少期の虐待経験、軽度知的障害など、重なりに重なって親を苦しめている現実がある。 読んでいると、目を覆いたくなるような悲惨な状況があり、何の罪もなく亡くなった子供達が本当に哀れだと感じた。...続きを読む 満州女塾の話と、現代の児童虐待の状況が似ているという見方がなるほどと思った。追い詰められた人間のしわ寄せが、一番弱い者へ向かう。 考えさせられる箇所が多々あったが、著者の取材を元に書かれた文章は非常に具体的で、読むのに辛い部分もあった。
厚木男児遺体放置事件、大阪2児ネグレクド事件などの児童虐待事件について、丁寧に取材され、その上で考察されているので事件を深く理解するきっかけとなった。 満州女塾の話は初めて知り、とても衝撃的だったが、現代の孤立する家族に似ている。 この本で一番の衝撃は、大阪2児ネグレクド事件の母が語った「子どもが...続きを読む嫌になったのではなく、子どもの周りに誰もいないのを見たくなくなったから。」。実際、下の子の1歳の誕生日に誰からも連絡なく、翌日から外泊が始まってる。誕生日前には元旦那に一緒に過ごすことを提案しても断られていて、ギリギリまで母として頑張っていたことを知ると、必ずしもこの母だけが悪いのではなく、育った環境、元旦那との関係なども影響している。懲役30年は妥当なのか、、やはり母に子育てが押し付けられていると感じざるを得なくなる。 虐待親を攻めるだけでは何も変わらない。タイトルの通り、国家が家族に強いていることを念頭に置いた上で、私たちが出来ることを考えていかなければならない。 また読みたい。
【犠牲者たち】 虐待される児童は被害者。 虐待する親も被害者。 親はなぜ被害者なのか? 自身が親から虐待を受けていた。 貧困。 社会資源と繋がっていない。 社会資源にどのようなものがあり、誰が繋いでくれるのかが分からないのだ。なんと「不親切」な世の中なのだろうか。虐待が見つかってからでは遅く、虐...続きを読む待前に支援をしなくては虐待は無くならない。 加えて「不寛容さ」 社会資源を使うことに対する後ろめたさ、「社会資源を使うこと、人に頼ることは親として失格」と思う恐れ。 親が虐待するのは不寛容な社会が原因だ。
児童虐待に関して背景要因やさらにはその要因の歴史的な経緯についても触れていて、読み応えのある一冊。感傷的な内容になりがちなテーマをしっかりと考察できている。
事例として出てくる事件については、もっと詳しい本も読んでいたが、著者独自の視点でシングルファザーやシングルマザーに大きく心を寄せる。部屋に閉じ込めパンを与えて死なせた父親に対して、家の恥を外に出さなかった家庭環境や一人で仕事と両立しようとした心理状況など、人を陪審するときにはここまで心を寄せなくては...続きを読むいけないのだと身が引き締まった。 仕事満州開拓民の話まで相当ページをさいて引き合いに出し、追い込まれる親の心境、国家や社会が子供の成長に責任を持つことの重要さを説く。中盤、著者の子供も長らく不登校だったことがわかる。
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児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか
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杉山春
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