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ピレネーの旧家デュ・ラブナン家のイヴォンは、スペイン戦争の際レジスタンスに参加し、失踪する。同家の小作人、ジョゼフ・ラルースはイヴォンと行動を共にするが、単独で帰国後、イヴォンから山を贈与されたと主張し、そこに鉱脈が発見されたため裕福となった。二十年後、死んだはずのイヴォンから手紙が届き、裁きが行なわれるだろうと無気味な予告をしてくる。それが現実となって、ジョゼフの次女オデットの首を切り取られた惨殺死体が発見される……。司法警察のモガール警視の娘ナディアと不思議な日本人青年矢吹駆は真相究明を競い合う。日本の推理文壇に新しい一ページを書き加えた笠井潔の華麗なるデビュー長編。
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Posted by ブクログ
いやー、早くも決まりました。まだ4月だというのにな。
そうです私の2026年、年間ベストはバイバイ、エンジェルに決まりました。
やられたぜー、まさか私が産まれる前の作品が令和8年のベストとは。個人的ミステリー、オールタイムベストでも1位かもだわ、これは。
この小説はもはやミステリーなんかね、危険な思想書の類いかなんかかね。いやー言論は自由で良かったですね。
たしかにテーマはあまりに70年代的でありますが、差し引いてもスゴいスゴい、ゴイスーよ。
何がスゴいって、そう全部スゴいのよ…。
例えば現象学による推理の解説は長年私がミステリーに対して感じていた違和感を見事に言い当ててるんですな。事実から真実を見出すのには理論の成立では不十分なんよな。もはやアンチミステリーまであるな。
最期の犯人達との対決時のカケルの死生観もぐうの音も出ん。ぐう。
オチもヴァンダインのオマージュだし、どんだけ沼に落とすんよ。
ひとつ分からなかったことは、自殺の意味というか価値よな。
真犯人の構想の実現と等価なんかね。そうは思えんよな。やっぱカケルやってもうたんか…。
そもそもバイバイエンジェルってタイトルなんだよダセェなって思ってたんですがね。読後には、まあバイバイエンジェルでしたよ。ごめんなさい。
もはや何云ってるか分からんでしょう、私も何を書いてるのでしょうか…。兎にも角にもスゲーから読んでくれよ、それからよ。
感想止まらんので、コレで終わりにします。
ただの神作品ですた。至高の1冊。
Posted by ブクログ
著者は、1948年生まれ。私は初めて読んだ。小川哲が、紹介していたので読んだ。実に刺激の強い本で、かなり興味深いヒントがあった。学生運動の闘士で、プロレタリア学生同盟のイデオローグで、連合赤軍事件から、思想的に離れたという人物。
本書は、1970年代のパリを舞台とした探偵小説であり、笠井潔のデビュー作であるとともに、彼の代表的な探偵・矢吹駆(やぶき・かける)シリーズの第一作である。
物語は、パリの高級アパルトマンの一室にて、首を切断された女性の死体が発見されるところから始まる。被害者は富裕な中年女性、オデット・ラルースと見られ、血痕により「A」の文字が記されていた。捜査の過程で、ラルース家をめぐる複雑な人間関係や過去の因縁が次第に明らかになっていく。
とにかく登場人物が多く、読むのに混乱する。ジョセフラルースが、イヴォンデュラブナンから譲り受けた山で、鉱山を発見し、一躍金持ちになり、ジャネット、オデット、ジョゼットの3姉妹のうち、ジョセフの遺産を受け継いだのが、オデットだった。
この物語は、大学生のナディアであり、司法警察のモガール警視の娘だった。彼女の同級生に、ジェネットの息子アントワーヌがいて、事件に絡んでいく。
警察の捜査が進展する中、この事件に興味を持ったナディアは、たまたま知り合った日本人青年・矢吹駆と共に事件の謎を追い始める。矢吹駆は、現象学を駆使して事件の背後にある「真実」を追究する、従来の探偵像とは一線を画したキャラクターである。
事件はさらなる殺人へと拡大し、ラルース家にまつわる過去の歴史や、スペイン内戦、革命といった大きなテーマが絡み合う。物語は、単なる犯人探しに留まらず、犯人と矢吹駆の間で繰り広げられる思想や哲学を巡る激しい対決へと展開していく。矢吹駆のふっかける論議が絶妙でいいのだ。
矢吹駆は「現象的本質的直感」に基づいて、事件を考察する。この作品の最も重要な特色であり、これは簡単に言えば、従来の論理的推理とは異なる方法で事件の「本質」を見抜く能力である。
従来の探偵像への批判が痛烈である。従来の探偵は、現場に残された物的証拠や証言を論理的に組み立てて犯人を特定する。しかし、カケルは、同じ証拠からでも複数の論理的な可能性が導き出されるため、論理だけでは真実の全貌にたどり着けないと考える。
カケルは、個々の事実や証拠の背後に潜む、その事件をこの世に引き起こした「本質」を直感的に理解しようと努める。カケルのいう「本質」とは、単なる犯行の動機やトリックにとどまらず、その事件を引き起こした個人の思想や、置かれた歴史的・社会的背景までも含む、より根源的な次元のものである。この事件で、首なし死体があるが、なぜ首なしにしたのかを、首を狩るという歴史から考察する。そして、フランスではなぜギロチンだったかなど、現象学の見地から考察する。
カケルの推理は、哲学者フッサールらが提唱した「現象学」に基づいている。これは、物事を既成概念や先入観にとらわれることなく、ありのままに観察し、その本質を直観的に捉えようとする哲学である。カケルは、この手法を事件の謎解きに応用することで、従来の論理的探偵では見落とされがちな、犯人の内面や事件の深層的意味に迫る。
要するに、矢吹カケルの「本質的直感」とは、事件の表層的な謎を解くのではなく、「なぜこのような事件が起こらねばならなかったのか」という問いに対して答えを導き出すための、哲学的かつ直感的な能力である。そして、その本質を理解した上で、犯人との思想的な対決へと向かうことが、このシリーズの大きな魅力の一つである。革命がなぜ悲惨な結果になるのか?という考察が、実におもしろい。
この物語は、推理小説になっているので、なかなかレビューは難しいが、いい推理小説だと納得した本だった。ちょっと、笠井潔は読んでみたい作家の一人となった。
Posted by ブクログ
舞台はパリのヴィクトル・ユゴー街。発生した連続殺人事件の謎を、現象学を駆使する日本人探偵・矢吹駆(以下カケル)が解き明かすというもの。この探偵、他の推理小説に登場する名探偵たちとはその推理手法が大きく異なっている。
カケルは「観察と推論と実験」を通じて真実へたどりつくという、一般的に用いられる推理手法に対し疑問を投げかける。「推論」は唯一の論理的筋道をたどっているというわけではない。なぜならその推論と論理的には同等の権利を持つ、他の無数の解釈が存在しうるからだ。そして仮に仮説に基づく推論の正しさを、実験的に証明できたとしても、なぜ探偵は無数の解釈の中から、その正しい推論に達することができたのだろうかという疑問は、依然として残る(その仮説が相対的に論理的妥当性が高かったから、という反論は当然失当である)。
カケルの答えは、探偵は推論をするまでもなく、最初から真実を知っていたのだ、というものである。それは「本質直観」によってである。よくわからない。カケルはさらに続ける。「正しい直観が与えられているからこそ、無数にありうる論理的な解釈の迷路を辿って真実に到達できるということに目を閉じたとき、一方では観察、推論、実験がそれ自体で真理への道であるというような自己欺瞞の精神が生まれ、他方その対極に、直感をなにか非合理で神秘的なものであるという発想が固定化される」。まだよくわからない。ただシャーロックホームズの推理手法についても、過去に似たような解説を読んだことを思い出した。ホームズは演繹的に推論を積み重ねていって真実にたどり着くわけではなく、まず直感的に真実にたどり着き、後からその真実に沿うように、帰納的に仮説を組み込んでいっているのだ、という内容だったように記憶している。となると、ホームズも一種の「本質直観」を用いていたということかな。
カケルは「本質直観」について、誰でもほとんど無自覚のうちに日常的に働かせている、対象を認識するための機構だとし、円の概念を用いてさらに説明を加える。曰く、我々は誰でも円の概念を持っており、ある対象が円いかどうか判別することができる。しかしこれは奇妙なことである。円の概念を円周率で定義することはできるにしても、我々はこの世界にあるすべての円形の物体の円周率を計算してから円の概念、つまり円の本質を知ったわけではない。むしろ精密に測れば測るほど、純粋な円など存在しないことに気づかされるだろう。つまり円の本質にはどうやってもたどり着くことはできない。しかし我々は明らかに「円いもの」と「円くないもの」を判別することができる。つまり誰もが円の本質を知っている。それはなぜか?
現象学者が出した答えは以下のようなものである。我々はなにか円いものを見たとき、その一つの見本に「円なるもの」一般の一つの原型という性格を持たせる。そして次に、その「円なるもの」を、自身の想像の中で無限に多様な無数の形に変容させる。この想像の中で行われる変容作用により、円の本質が直感されるようになるという。例えば円い太陽、円い時計、、というふうに考えていき、どこかの段階で円い歯車と考えたとき、我々は想像の中からこの像を撤回しなければならないと感じる。歯車には歯が刻まれおり、円い歯車という想像を不可能にしてしまうからである。このように想像の中の無数の変容作用を繰り返した結果、「円いもの」「円くないもの」を判別しうる一般的な基準、つまりは円の本質に達することになる。
わかったようなわからんような、「経験的に分かる」というのが、どういう思考経路を経ているかについて、説明を加えた一つの解釈だという風に理解する。
そんなこんなで物語は進み、事件が起こる。本作のワトソン役でもあるナディア・モガールが、事件の謎は解明できたと、その推理を披露する。その推理に論理的な瑕疵はなく、一見正しい答えであるかのように思えたが、カケルは一笑に付す。ナディアの推理は、まさに小説における探偵の手法と同様のものであったからである。カケルは、本来無限の意味を込めている事物が、ただ一つの意味にだけ固定され扱われることを「意味沈殿」であると前置きしたうえで、ナディアの推理はこの「意味沈殿」に陥ったドクサさであると突き放す。日常生活者の知恵は、たとえ一面的であっても、生活世界の現実に根差した根拠を持っているのに対し、ナディアが陥っているドクサはより恣意的で薄弱なものであり、それは現実的でないが故に、その表面的な論理整合性にも関わらず、真の意味で理性的ではないというのだ。とんでもないことを言うやつである。そりゃあナディアも大激怒するわ、、、しかしその後の展開でナディアの推理は誤っていたことが判明し、結局はカケルが事件を解決することになる。
犯人は過激な革命グループの手によって行われていた。首謀者は、真の革命は核戦争によって世界が滅ぶことによって完成するとのたまう、スーパークレイジー野郎だった。めちゃくちゃな論理だと思うが、作者の笠井潔からすれば、自身もイデオローグとして携わった学生運動が、凄惨な内ゲバを経て、あさま山荘事件にまで発展してしまったという状況を目の当たりにしており、まさに自分自身が直面した、革命が孕んだ本質的な矛盾を表しているのかもしれない。その首謀者に対するカケルの反論も明るい、希望に満ちたものではない。資本主義でも社会主義でもない細く狭い道を、ニヒリズムに毒されることなく、進んでいくしか道は無いということか。なんとも困難な道であろうか。
Posted by ブクログ
殺人に手を染めるほどの思想的根拠を持たない一般市民に
それを行わせるのは何だろうか
軽薄な実存主義ではけして言い表せないほどの正義の重みだろうか
いや違う
正義によって糾弾される罪の意識が肝要なのだ
みんな戦ってる
おまえは戦わないのか?
そういう類のやつだ
しかしそんなものを真に受けたのだとしても
いまここにある平和を偽りと断じ、ぶち壊しにかかる権利は誰にもない
それはエゴである
平和の裏には虐げられてる人がいて
自分にはそういう権利があると考えてしまいがちだが
それもエゴである
まあエゴはエゴでいいんだけどね
そんなものと革命の理想を一緒にするのは冒涜的でゆるせん
矢吹駆はそういうやつ
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