【感想・ネタバレ】バイバイ、エンジェルのレビュー

あらすじ

ピレネーの旧家デュ・ラブナン家のイヴォンは、スペイン戦争の際レジスタンスに参加し、失踪する。同家の小作人、ジョゼフ・ラルースはイヴォンと行動を共にするが、単独で帰国後、イヴォンから山を贈与されたと主張し、そこに鉱脈が発見されたため裕福となった。二十年後、死んだはずのイヴォンから手紙が届き、裁きが行なわれるだろうと無気味な予告をしてくる。それが現実となって、ジョゼフの次女オデットの首を切り取られた惨殺死体が発見される……。司法警察のモガール警視の娘ナディアと不思議な日本人青年矢吹駆は真相究明を競い合う。日本の推理文壇に新しい一ページを書き加えた笠井潔の華麗なるデビュー長編。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

幾度目かの再読。
何度も読む理由は、純粋に忘れるから。あと、哲学部分がなかなか難しく、年を重ねて、読む度に理解度が上がっているのを実感できるから。あと、この連作は私が一番好きな作品だから。私には何度だって読む価値のある矢吹駆シリーズの第1作目。
改めて思うが、このシリーズの基盤になる現象学が一番難しい気がする。何度読んでもそう思う。

0
2025年09月14日

Posted by ブクログ

 著者は、1948年生まれ。私は初めて読んだ。小川哲が、紹介していたので読んだ。実に刺激の強い本で、かなり興味深いヒントがあった。学生運動の闘士で、プロレタリア学生同盟のイデオローグで、連合赤軍事件から、思想的に離れたという人物。
 
 本書は、1970年代のパリを舞台とした探偵小説であり、笠井潔のデビュー作であるとともに、彼の代表的な探偵・矢吹駆(やぶき・かける)シリーズの第一作である。

 物語は、パリの高級アパルトマンの一室にて、首を切断された女性の死体が発見されるところから始まる。被害者は富裕な中年女性、オデット・ラルースと見られ、血痕により「A」の文字が記されていた。捜査の過程で、ラルース家をめぐる複雑な人間関係や過去の因縁が次第に明らかになっていく。
 とにかく登場人物が多く、読むのに混乱する。ジョセフラルースが、イヴォンデュラブナンから譲り受けた山で、鉱山を発見し、一躍金持ちになり、ジャネット、オデット、ジョゼットの3姉妹のうち、ジョセフの遺産を受け継いだのが、オデットだった。

 この物語は、大学生のナディアであり、司法警察のモガール警視の娘だった。彼女の同級生に、ジェネットの息子アントワーヌがいて、事件に絡んでいく。
 警察の捜査が進展する中、この事件に興味を持ったナディアは、たまたま知り合った日本人青年・矢吹駆と共に事件の謎を追い始める。矢吹駆は、現象学を駆使して事件の背後にある「真実」を追究する、従来の探偵像とは一線を画したキャラクターである。

 事件はさらなる殺人へと拡大し、ラルース家にまつわる過去の歴史や、スペイン内戦、革命といった大きなテーマが絡み合う。物語は、単なる犯人探しに留まらず、犯人と矢吹駆の間で繰り広げられる思想や哲学を巡る激しい対決へと展開していく。矢吹駆のふっかける論議が絶妙でいいのだ。

 矢吹駆は「現象的本質的直感」に基づいて、事件を考察する。この作品の最も重要な特色であり、これは簡単に言えば、従来の論理的推理とは異なる方法で事件の「本質」を見抜く能力である。

 従来の探偵像への批判が痛烈である。従来の探偵は、現場に残された物的証拠や証言を論理的に組み立てて犯人を特定する。しかし、カケルは、同じ証拠からでも複数の論理的な可能性が導き出されるため、論理だけでは真実の全貌にたどり着けないと考える。

 カケルは、個々の事実や証拠の背後に潜む、その事件をこの世に引き起こした「本質」を直感的に理解しようと努める。カケルのいう「本質」とは、単なる犯行の動機やトリックにとどまらず、その事件を引き起こした個人の思想や、置かれた歴史的・社会的背景までも含む、より根源的な次元のものである。この事件で、首なし死体があるが、なぜ首なしにしたのかを、首を狩るという歴史から考察する。そして、フランスではなぜギロチンだったかなど、現象学の見地から考察する。

 カケルの推理は、哲学者フッサールらが提唱した「現象学」に基づいている。これは、物事を既成概念や先入観にとらわれることなく、ありのままに観察し、その本質を直観的に捉えようとする哲学である。カケルは、この手法を事件の謎解きに応用することで、従来の論理的探偵では見落とされがちな、犯人の内面や事件の深層的意味に迫る。

 要するに、矢吹カケルの「本質的直感」とは、事件の表層的な謎を解くのではなく、「なぜこのような事件が起こらねばならなかったのか」という問いに対して答えを導き出すための、哲学的かつ直感的な能力である。そして、その本質を理解した上で、犯人との思想的な対決へと向かうことが、このシリーズの大きな魅力の一つである。革命がなぜ悲惨な結果になるのか?という考察が、実におもしろい。

 この物語は、推理小説になっているので、なかなかレビューは難しいが、いい推理小説だと納得した本だった。ちょっと、笠井潔は読んでみたい作家の一人となった。

0
2025年08月01日

Posted by ブクログ

思った程難しくなかったよ。
作者がワザと難しい言い回しをしている所はあったけど、直後に説明してるし。
哲学を学んでからミステリーを読む人はいない。けど哲学を学んでいたらより深くこの作品を楽しめる事は確かだと思う。

あと、久しぶりに事件を解決する気の無い探偵役の作品を読みました。

0
2022年01月03日

Posted by ブクログ

舞台はパリのヴィクトル・ユゴー街。発生した連続殺人事件の謎を、現象学を駆使する日本人探偵・矢吹駆(以下カケル)が解き明かすというもの。この探偵、他の推理小説に登場する名探偵たちとはその推理手法が大きく異なっている。
カケルは「観察と推論と実験」を通じて真実へたどりつくという、一般的に用いられる推理手法に対し疑問を投げかける。「推論」は唯一の論理的筋道をたどっているというわけではない。なぜならその推論と論理的には同等の権利を持つ、他の無数の解釈が存在しうるからだ。そして仮に仮説に基づく推論の正しさを、実験的に証明できたとしても、なぜ探偵は無数の解釈の中から、その正しい推論に達することができたのだろうかという疑問は、依然として残る(その仮説が相対的に論理的妥当性が高かったから、という反論は当然失当である)。
カケルの答えは、探偵は推論をするまでもなく、最初から真実を知っていたのだ、というものである。それは「本質直観」によってである。よくわからない。カケルはさらに続ける。「正しい直観が与えられているからこそ、無数にありうる論理的な解釈の迷路を辿って真実に到達できるということに目を閉じたとき、一方では観察、推論、実験がそれ自体で真理への道であるというような自己欺瞞の精神が生まれ、他方その対極に、直感をなにか非合理で神秘的なものであるという発想が固定化される」。まだよくわからない。ただシャーロックホームズの推理手法についても、過去に似たような解説を読んだことを思い出した。ホームズは演繹的に推論を積み重ねていって真実にたどり着くわけではなく、まず直感的に真実にたどり着き、後からその真実に沿うように、帰納的に仮説を組み込んでいっているのだ、という内容だったように記憶している。となると、ホームズも一種の「本質直観」を用いていたということかな。
カケルは「本質直観」について、誰でもほとんど無自覚のうちに日常的に働かせている、対象を認識するための機構だとし、円の概念を用いてさらに説明を加える。曰く、我々は誰でも円の概念を持っており、ある対象が円いかどうか判別することができる。しかしこれは奇妙なことである。円の概念を円周率で定義することはできるにしても、我々はこの世界にあるすべての円形の物体の円周率を計算してから円の概念、つまり円の本質を知ったわけではない。むしろ精密に測れば測るほど、純粋な円など存在しないことに気づかされるだろう。つまり円の本質にはどうやってもたどり着くことはできない。しかし我々は明らかに「円いもの」と「円くないもの」を判別することができる。つまり誰もが円の本質を知っている。それはなぜか?
現象学者が出した答えは以下のようなものである。我々はなにか円いものを見たとき、その一つの見本に「円なるもの」一般の一つの原型という性格を持たせる。そして次に、その「円なるもの」を、自身の想像の中で無限に多様な無数の形に変容させる。この想像の中で行われる変容作用により、円の本質が直感されるようになるという。例えば円い太陽、円い時計、、というふうに考えていき、どこかの段階で円い歯車と考えたとき、我々は想像の中からこの像を撤回しなければならないと感じる。歯車には歯が刻まれおり、円い歯車という想像を不可能にしてしまうからである。このように想像の中の無数の変容作用を繰り返した結果、「円いもの」「円くないもの」を判別しうる一般的な基準、つまりは円の本質に達することになる。
わかったようなわからんような、「経験的に分かる」というのが、どういう思考経路を経ているかについて、説明を加えた一つの解釈だという風に理解する。
そんなこんなで物語は進み、事件が起こる。本作のワトソン役でもあるナディア・モガールが、事件の謎は解明できたと、その推理を披露する。その推理に論理的な瑕疵はなく、一見正しい答えであるかのように思えたが、カケルは一笑に付す。ナディアの推理は、まさに小説における探偵の手法と同様のものであったからである。カケルは、本来無限の意味を込めている事物が、ただ一つの意味にだけ固定され扱われることを「意味沈殿」であると前置きしたうえで、ナディアの推理はこの「意味沈殿」に陥ったドクサさであると突き放す。日常生活者の知恵は、たとえ一面的であっても、生活世界の現実に根差した根拠を持っているのに対し、ナディアが陥っているドクサはより恣意的で薄弱なものであり、それは現実的でないが故に、その表面的な論理整合性にも関わらず、真の意味で理性的ではないというのだ。とんでもないことを言うやつである。そりゃあナディアも大激怒するわ、、、しかしその後の展開でナディアの推理は誤っていたことが判明し、結局はカケルが事件を解決することになる。
犯人は過激な革命グループの手によって行われていた。首謀者は、真の革命は核戦争によって世界が滅ぶことによって完成するとのたまう、スーパークレイジー野郎だった。めちゃくちゃな論理だと思うが、作者の笠井潔からすれば、自身もイデオローグとして携わった学生運動が、凄惨な内ゲバを経て、あさま山荘事件にまで発展してしまったという状況を目の当たりにしており、まさに自分自身が直面した、革命が孕んだ本質的な矛盾を表しているのかもしれない。その首謀者に対するカケルの反論も明るい、希望に満ちたものではない。資本主義でも社会主義でもない細く狭い道を、ニヒリズムに毒されることなく、進んでいくしか道は無いということか。なんとも困難な道であろうか。

0
2021年01月03日

Posted by ブクログ

憂鬱なパリの冬空の下に流される緋い鮮血。
本格ミステリの様式を以って幕を開け、全ての現象はある人物の極めて悪魔的な企みに美しく帰結する。

0
2019年05月16日

Posted by ブクログ

殺人に手を染めるほどの思想的根拠を持たない一般市民に
それを行わせるのは何だろうか
軽薄な実存主義ではけして言い表せないほどの正義の重みだろうか
いや違う
正義によって糾弾される罪の意識が肝要なのだ
みんな戦ってる
おまえは戦わないのか?
そういう類のやつだ
しかしそんなものを真に受けたのだとしても
いまここにある平和を偽りと断じ、ぶち壊しにかかる権利は誰にもない
それはエゴである
平和の裏には虐げられてる人がいて
自分にはそういう権利があると考えてしまいがちだが
それもエゴである
まあエゴはエゴでいいんだけどね
そんなものと革命の理想を一緒にするのは冒涜的でゆるせん
矢吹駆はそういうやつ

0
2017年10月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

パリで起こる首切り死体から始まった連続殺人事件の謎を解明する話。
謎解きの肝は最後に記すとして、ラストの犯人と探偵役矢吹駆のやりとりが圧巻!
するとこなんだが何を言ってるのかついていけない。人間の死に関する自論展開になっている。

犯人たちが最後死ぬことになったのはやるせない。矢吹駆は犯人たちをそこまで追い込むやり方をとるのは賛同できないが、彼ならやってもおかしくないと思わせるだけの説明は作中されている。そこらへんは上手い。

以下メモ代わり
謎解きの肝となった何故死体の首が切られたか。死体が化粧をしていなかったことをばれないようにするため。
アリバイ作りのために犯人は被害者が化粧をし終わった時間に部屋を訪れたのに、前日飲んだ睡眠薬のせいで被害者はまだ化粧をしていなかった。仕方なく犯人は被害者の首を切り取って外出する準備が終わった形を装った。また犯人は男であったためハンドバックの準備まで思考が至らなかったのも味噌。

0
2015年05月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

矢吹駆の凄まじいイケメン描写に圧倒され、しばらく読まないだろうと思っていたが、思いきって読むことにした。

やけに小難しく、かなり衒学的な小説だが、読んでみると意外と納得できる部分もある。

追記:犯人やあの人物の正体は、はじめからかなりヒントが出ていたので予想通りだった(特に黒幕はタイトルだけでわかるかも…)。動機はほとんど推理不可能なものだったが。

最後の黒幕との舌戦?や、たまに入る蘊蓄がいかにも文系という感じで笑えるくらいだったが、舞台が外国であることや、矢吹駆が日本語ではない言葉を話しているということでまぁ納得できる。

ナディアが推理を披露して玉砕する点や、殺人の動機が思いもよらないものだった点から、アンチミステリー的な雰囲気を感じた。小説の探偵が語る推理は、本当に正解かどうかなんて誰にもわからないというような。

それにしても、ナディアは今まで私が読んだ小説の中には出てこない強烈なタイプの女の子だった。

思想モデル:永田洋子、マルクス

0
2015年03月20日

Posted by ブクログ

矢吹駆シリーズ。名探偵はいいやつとは限らない(ポアロ然り、ホームズ然り)。戯言シリーズのいーちゃんが引き継いでいるような精神性。続刊も読みたい

0
2014年04月17日

Posted by ブクログ

『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』の著者が書いたミステリ。
初の矢吹駆シリーズに挑戦してみた。
女子大生が語り手なので、とっつきやすい。ぐいぐい物語に、引き込まれていく。
シリーズ、全部読んでいきたいなぁ。

0
2013年02月10日

Posted by ブクログ

会話文から推理、ルビまで、何をとっても日本人だとは思えないセンス。流れとしては如何にも怪しい人間関係、殺人、容疑者そろい踏み、からの推理という極めてオーソドックスなものなのだけど、そこからはもうひっくりかえるわお楽しみにされるわ哲学だわ倫理だわで揉みくちゃ。面白すぎる!新本格、特にコズミック・ジョーカーなんかを先に読んでいると、この作品が日本ミステリ界に与えた影響は相当大きかったのだろうなと思う。

0
2016年01月17日

Posted by ブクログ

笠井潔といえば、巻末の解説で小難しいことを語るおじさんというイメージがあったが、自身の小説でも小難しいことを語るおじさんというのが正解だった。矢吹駆は現象学や直観云々やたら本質めいたことを言ってたけど、解決編を読むと手がかりから論理を積み上げるフツーの名探偵と何が違ったの?とやや疑問。
それでも首切りの動機と論理は見事。物語の中核にあるのはフーダニットならぬワットダニット。真犯人が明かされたとしても真の真犯人は別の何かなのだ。それは「生物的な殺人」の具体性とは対照的な何か。人民と国家への憎悪が引き金となって人間の心に憑依する倒錯した何か。矢吹駆はそれに理解を示しつつ、それの卑小さを断罪した斬新な名探偵であった。とか分かってる風なことを言いつつ私は著者の深淵なる思想を微塵も理解はできてはいないのだろう。

0
2025年10月07日

Posted by ブクログ

 アパルトマンの広間で発見された女性の首無し死体、とある一族を巡る連続殺人事件、現象学を駆使する日本人矢吹駆と推理小説好きのナディアなどが複雑に融合した本格ミステリーで、魅力的な謎と哲学思想、衒学要素が絡み合って難しくあるものの最後まで楽しく読めた。

0
2025年05月26日

Posted by ブクログ

「煉獄の時」を読もうと思って、復習の意味も込めて、「哲学者の密室」と「バイバイ・エンジェル」を読み直しました。

世界大戦を通しての大量殺戮による「死」
抵抗運動を通してのカッコつけによる「死」
革命を通しての破壊の通り道にある「死」
生物的殺人による「死」
観念的殺人による「死」
ミステリー殺人事件小説に出てくる論理的な「死」

バイバイ・エンジェルは、世界同時革命思想がどのように歪んで日本赤軍の思想の下支えになっているのか?を著者なりに小説に落とし込んだものとも言えます。

わたしは日本赤軍の記憶がないのですが、オウム真理教とオーバーラップしても読めないことはないと思いました。

煉獄の時は、なかなかのボリュームみたいです。
気合入れて読もうかな。

0
2025年02月11日

Posted by ブクログ

矢吹駆シリーズ第一弾。すんごい小説だ。現象学的推理を駆使して事件を解決する探偵役の矢吹駆、と書くといかにもなミステリに聞こえるがとんでもない。この作品をただのミステリに括るのは難しいだろう。しかし、この矢吹駆という探偵役には現代の想像上の名探偵たちに通ずる原初のなにかがあるのは確か。それでいて事件に積極的に関与することが命題とされている名探偵たちに対する痛烈なアンチテーゼともいえる存在でもあるように思える。名探偵とは真理を探究し追及するものではあるのだろうが、それが死神になることもあるのだと思い知らされた。

0
2021年11月18日

Posted by ブクログ

このシリーズは知人の紹介から読み始めたのだが、名探偵の推理法が現象学的本質直観に基づくという哲学に疎い人間にはあまりにも意味不明なものだったので、てっきり字面から事件のあらましを聞いただけで理屈もなく犯人を当てるトンデモな話かと思い込んでいた。

実際に読んでみると駆のキャラクター造形のみならず所々に挟まれる蘊蓄や哲学的問答にさらに面食らってしまったが、解決編の推理自体はきちんと筋だっていて妙に安心した。むしろ合うひとにはこのバランスが妙にクセになると思う。

駆が事件に対して全く積極的ではないことで、ミステリーにつきものの事件の最後まで探偵が真相を明らかにできないという問題を解決している点や、「なぜ犯人はわざわざ被害者の首を切ったのか?」という謎への答えには感心した。最後の思想的対決に作者の熱量を推理パート以上に感じるのもこのシリーズの異色さを表していると思う。

0
2020年03月21日

Posted by ブクログ

昔読んだ再読

矢吹駆かっけー
と昔思ってたけど、今読むとそこまでではw
昔は真似したりした
また、真似してみようかと読んだけど
そこまで今は感じられなかった

作品的には、殺人事件がおきて、それを調査するっという普通の感じなんだけど、
主人公は事件の真相というよりも、
観念?信念?的な部分で敵と戦う事をメインにしている
記憶だと、それが事件と強く無図日ついてた気がするけど、
それほどではなかったかも
事件としては顔無ししたい
内容としては面白い

0
2020年08月26日

Posted by ブクログ

『森博嗣のミステリィ工作室』での紹介から。
探偵さんの言ってることが、哲学的すぎて全くわからない。
ラストの犯人さんとの会話なんて一つも理解できない。
それでも面白いと思った。

0
2014年01月16日

Posted by ブクログ

哲学者で探偵、というのは珍しいんじゃないかしら、なんて思いながら読みました。
これを読んだ当時、私はまだ高校生で、イギリスの寄宿学校で過ごしていて、隣の国なのにまだ足を踏み入れたことのないフランスという国が舞台になっているのにも興味を覚えたし、それでいてまったく想像できなくて不思議な感じでした。
偵がグロを望んでいるわけでもないのに、ものすごく凄惨なシーンがあったりして。犯人がまったく分からなかったのは、女性キャラクターに感情移入していたのからなのでしょうか。犯人による殺害の動機もまったく理解できず、それが故に、読んだ後長い間この作品のことを考えていました。

0
2013年12月31日

Posted by ブクログ

硬い文体と、キーワードである哲学部分が邪魔して読み難いですが、過去の確執や首のない死体、失踪した人物からの手紙など、本格の魅力がたっぷりです。
死体の首を切った理由は斬新ですし、犯人特定のロジックや、電話の記録帳が盗まれた理由もよく考えられていて秀逸な推理小説だと思います。

0
2015年12月18日

Posted by ブクログ

矢吹駆シリーズ一作目。
1975年頃のパリが舞台(戦争が終わって30年という記述より)。カタカナ名だらけで一見読みにくそうではあるけれど、理路整然とした文章はむしろ頭に入りやすく、語り手ナディアの内心の感情的な描写との対比も面白かった。
終盤の革命論も興味深い。テロと革命の違い、またレジスタンスとの線引きについて考えさせられた。

0
2013年02月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ラルース家の次女オデットの首無しの死体、行方をくらました妹ジョゼット。容疑をかけられたイヴォンの息子アンドレの爆死。

0
2025年11月08日

Posted by ブクログ

観念的・抽象的な描写が多々見られるけど、推理小説として楽しく読めた。その深い観念描写の一方で、密室の時のトリックあかしが説明不足というか、帳尻合わせなところを感じたのが残念。

0
2025年09月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

オイディプス症候群だけ以前読んでて、本作のこともちらっと書いてあったのでどういう話なのか気になった。
相変わらず哲学の部分が分からなかったけど、オイディプスの時よりは哲学講座がなかった。
ナディアが自己中心的というか、探偵気取りで推理披露してるの若いなと苦笑しました。恥ずかしくないのかなと傍から見てて思いました。
あと、マチルドあんな感じになってしまったのは幼少期の経験からだと思うのですが、その辺を見たかったですね。
でも、このシリーズは哲学的観点(?)から犯人を推理していくから、あまり個人の背景や感情みたいなのには焦点充てないんですかね。。

0
2025年01月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ヴァンダインの僧正殺人事件とエラリークイーンのYの悲劇の結末が好きな自分としてはテンションがあがった。

0
2018年02月24日

Posted by ブクログ

首なし死体が登場した時点で、似非推理小説マニアの私は「またあの手か…」と失望したが、中盤からそんな先入観も吹っ飛ばされた。
終始クールで冷酷な主人公矢吹駆、自尊心が強いナディアモガール、また独特の倫理観を持つ犯人。そのどれにも感情移入することができず、彼らの会話にもついていけないところがあった。

普段ならカタカナの名前に拒絶反応を示す所だったが、今回はスラスラ読めた。日本人が書いているというのが要因か?
そしてこの作品、後味の悪さがまた格別!

0
2015年05月23日

Posted by ブクログ

矢吹駆シリーズ、第1作。

フランスが舞台の素人探偵もの。

人名が横文字なだけでこれだけ入り込めないなんて。

日本人作家の作品としては、外国が舞台ってのは珍しいと思う。

0
2015年02月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

すこし縁があって、いつか読もうと思っていたこの本に手を伸ばした。笠井潔の処女作。
ミステリとしての謎解き、雰囲気についてはなるほどこれか、という感じ。ミステリが好きなので、なにかこう「そうそうこれこれ」という懐かしさに浸されながら最後まで読み切れた。
作者が描ききりたかったのは謎の部分よりも殺人の意味、観念、その辺りの議論だったんでしょうかね。
でもやはり、ナディアが聞いた最後のアントワーヌの肉声となったあの言葉は、心にひっかかりますね。
サマー・アポカリプスも読むか悩み中。

0
2013年04月17日

Posted by ブクログ

王道本格ミステリー。
名探偵役である、矢吹駆は輪をかけて思わせ振りでもったいぶる。殺人事件が進行しても被害者を減らす努力をするでもなく、事件が終わってから解決。

哲学的な犯人と探偵。

0
2012年12月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 矢吹が作中で語られるとおり、様々な事件は大きく2つに分けられる。「自らの欲を満たすための事件」と「憑かれた観念を正当化するための事件」だ。そして事件の真相は後者である。

 思想、政治、宗教。あらゆる「観念による犯罪」は、古今東西、いつでも、どこでも、更に虚実も差別することなく起きている。しかし、「観念」には罪もあれば功もある。観念による「犯罪」をこの世から一掃することは、その観念による「芸術」も一掃することになり、ゆえに、「人間」である限りは観念による犯罪は無くならないと矢吹は言っている。

 犯罪者に憑いた観念を、矢吹は「悪魔」と称した。ミステリ好きを公言する者なら、「悪魔」を「憑き物」と言い換える者もいるだろう。憑き物と言えば「憑き物落とし」――そう、古本屋の主、中善寺秋彦である。彼もまた、犯罪者に罪を犯させた「概念」を解体することで、事件を考察している。

 だが二人には相違点がある。中善寺の周りには人と物があるのに対し、矢吹の周りには必要最低限の人と物しかない。
 事件への一貫した立場も異なる。中善寺は、自分が関わることで起こる悲劇を望まない。だが矢吹は、自分の関心に沿って事件を考察し判断し、事件の方向性によっては、関係者に苦渋の選択をさせる立場に追い込むこともする。

 まだ『バイバイ、エンジェル』を読んだだけなので、感想はここで一旦終わらせることとする。私の中ではこの時点で、矢吹は事件を解決する「探偵」ではなく、現象学を実践する者――行動する「哲学者」となっている。ゆえに、あらゆる剰余を纏って日々を暮らしている人間にとって、矢吹駆を真に理解することは難しい。だが、矢吹が論じる「現象学」は、現代にも通ずるであろうとは思う。

0
2012年11月13日

「小説」ランキング