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Posted by ブクログ
映画「終戦のエンペラー」で、マッカーサーと会見した昭和天皇が「責任はすべて私にある」旨伝えて、マッカーサーが感激したというストーリーが出てくるが、その種本は「マッカーサー回想録」、藤田尚徳の「侍従長の回想」あたりだろう。しかし、当時の通訳の奥村勝蔵のまとめた手記では、そのような事実は出てこず、著者は疑問を呈している。
11回あるマッカーサーとの会見では、むしろ共産主義の脅威や、米軍駐留の希望、そして天皇制の維持といった要素が天皇の心を占めていたのが分かる。松井明メモなど最近分かった史料を読み解きながら、史実に迫る努力には納得させられる部分も多い。多少、自画自賛的な記述が多いのが気になるが、それを補って余り有る好著だった。
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【以下は本書の主張】
・『マッカーサー回想記』には事実誤認があり、史実としてみる昨今の向きには警戒が必要。たとえば、マッカーサーは天皇が筆頭に記された戦犯リストを英ソが提出したと述べているが、そんなものはない。
・天皇の側近たちは、悪くなったら皆東条が悪いので、すべての責任を東条にしょっかぶせるのが良いと思ったよう。
・天皇の免訴に向けて最も重要な役割を果たしたのが松平康昌
・昭和天皇は、自分は戦争に反対であったが国民や軍閥の意志には逆らえないという弁解と、自らが全責任を負うという相反することを述べているが、マッカーサーは極東委員会やメディアに対しては前者を強調して天皇の戦争責任を回避させようとし、裏では後者が関係者に知らされて天皇を出廷させないべく尽力せしむるという効果を果たした。
・マッカーサーは憲法第9条による国連による日本の安全保障を志向していたが、昭和天皇は米軍の駐留による安全を欲していた。
・昭和天皇は、憲法に規定された立憲君主としての責任を果たすというよりは、天皇自身の事態の認識のレベルに応じて介入を決めている。
・昭和天皇は、天皇制の存続には共産主義が敵対であることを認識し、米軍駐留を強く望んだ。とくに三種の神器を守ることに戦時中から気を遣っていた。
・昭和天皇は安保を強く望んだことから、米軍駐留に否定的な吉田や、吉田よりもっと否定的だった白洲次郎を警戒していた。白洲もまた天皇制存続に否定的だった。
・『木戸幸一日記』によると、御前会議前日の11月30日に、高松宮が海軍の厭戦気分を伝えたので海軍大臣らから事情を聴いた昭和天皇が、予定の通り(開戦)進めるように東条に伝えるようにと命じた。
・満州事変のときは、満州は田舎であるからあまり気にしなかった、と昭和天皇は独白している。
・昭和天皇は内乱への恐怖を抱いていた、というのが有力な説。戦前から高松宮に立場を襲われるのではないかと危惧していた。
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日本国憲法では「天皇は国民統合の象徴であり、いかなる政治的権能も持たない。」と謳われているが、この条文を根底から覆しかねない内容が書かれている。
天皇はマッカーサーと会うにあたって、様々な占領行政について話をした。マッカーサーは当時全権を掌握していたかのように考えがちだが、まだアメリカ本国で設置されそうになっていた極東委員会より先を急ぐ形で日本の民主化を進めようとしていたなど、かなり流動的であった。マッカーサーは日本の占領統治をする中で、日本の反共の防波堤として作るためには、天皇が必要だったと考えていた(極東委員会ではアメリカ以外の国も出席し、憲法草案では天皇制が破棄されかねかった。)など、かなり黒々とした思惑があった。
また昭和天皇も、「国連だけでは日本をまもりきれないのではないか。」と危惧し、日本が沖縄を名義上貸すことで、日本を守ろうとしていた、とする。仮に国連の信託統治とすると、日本は完璧に主権を手放さざるを得ないし、国連の安保理でソ連との千島列島とミクロネシアの取引の結果、手が出せない、など、国際情勢に利用された結果でもあった。また昭和天皇自身、ソ連中国の共産主義の脅威はあったようで、その証左として戦後1970年代に東京都や横浜市、大阪府、京都府で革新勢力が躍進した時、「革命の脅威はないか」と側近に下問したとされている。
「昭和天皇・裕仁」は、かなり狡猾な政治家であったと言えるであろう。
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現・関西大学法学部教授(国際政治論・外交史)の豊下楢彦による戦後の「天皇外交」論
【構成】
第1章 「昭和天皇・マッカーサー会見」の歴史的位置
1 第1回会見の検証
2 「空白」の戦後史
第2章 昭和天皇と「東条非難」
第3章 「松井文書」の会見記録を読み解く
第4章 戦後体制の形成と昭和天皇
本書は、昭和天皇崩御から間もない1990年に著者が『世界』に投稿した論文「「天皇・マッカーサー会見」の歴史的位置」を出発点とし、1995年に岩波新書から出した『安保条約の成立』で提示した「天皇外交」についての仮説を、新史料をもとに「結論」として確定させようというものである。
前半の2章は、東京裁判が開始される頃に行われた天皇・マッカーサー会見において、戦争の責任について昭和天皇がいかなるメッセージをマッカーサーに伝えたのかということを、会見通訳を務めた人物のメモと従来から言及されている日記史料などを組み合わせながら史料批判を行い、事実の推定を行っていく。結論として、昭和天皇は東京裁判の開始直前において、股肱の忠臣と恃んでいた東条英機に戦争開戦の責任を押しつける発言を行ったことが明らかになった。
後半の2章は、東京裁判の訴追を免れた昭和天皇が「象徴」となった新憲法下において展開した「外交」についての考察が行われる。その焦点は前著『安保条約の成立』で詳しく言及された、日米安保条約における米軍駐留についてである。
著者の主張する仮説は以下の通りである。
「①天皇は自らと天皇制の安全のためにも米軍への基地提供を
絶対に必要と考えていた、②そのために、「吉田の裏で米政
府の代表と交渉したいという意志すらもった」、③その結果、
吉田は「基地提供をバーゲニングの道具として使うことを封
じ込められた」(p.192より引用)
著者は、近年新たに(改めて)外務省が出版した『平和条約の締結に関する調書』に安保締結をめぐる日米交渉の節目節目に吉田首相から昭和天皇への「内奏」を行った際の史料が含まれていることに言及し、「天皇外交」の存在を強調する。
前著『安保条約の成立』同様ユニークな視点で面白いことは面白い。前半の2章については新史料を駆使しながら綿密な史料批判を展開しており興味深いが、松尾尊兌先生(京都大学名誉教授)の『戦後日本への出発』を引き合いに出して、持論の正当性の箔をつけようとするところがやや鼻につく。一方、後半の2章については、前著の「仮説」の内容を繰り返し説明するばかりで、天皇のメッセージが本当に吉田外交の「バイパス」だったのか、アメリカ側の政策決定にどのように影響を与えたのかが全く見えてこない。様々な論点を盛り込み、政治的存在としての「天皇」の立ち位置を改めて考えさせられるが、「牽強付会」という感も強い。
Posted by ブクログ
どうも我田引水的になるところが気になるが、自分の持っている疑問であるところの、終戦の聖断をさせたといわれる「三種の神器を守らなければいけないからさすがに伊勢神宮が危うくなってきたから戦争を終わらせなければ」という昭和天皇の感覚に疑問を呈しているところはよかった。
東条英機を切って、アメリカのシナリオにのって、権限を逸脱してまで米軍駐留を自ら所望して守りたかったのは自分の地位ですらなく三種の神器に象徴される「国体」だ。
よくわからない。国体ってなんだ?歴史としての伝統?日本の独立性?
もし三種の神器が侵されて天皇制が廃されたとしたら、その後の日本とはなんなんだろう。日本であり続けるような気もするが。
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