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贈与は人間の営む社会・文化で常に見られるものだが、とりわけ日本は先進諸国の中でも贈答儀礼をよく保存している社会として研究者から注目を集めてきた。その歴史は中世までさかのぼり、同時に、この時代の贈与慣行は世界的にも類を見ない極端に功利的な性質を帯びる。損得の釣り合いを重視し、一年中贈り物が飛び交う中世人の精神を探り、義理や虚礼、賄賂といった負のイメージを纏い続ける贈与の源泉を繙く。
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Posted by ブクログ
日本中世において猖獗を極めた贈与経済についての本。モース『贈与論』とゴドリエ『贈与の謎』の議論によれば、贈与には提供の義務、受容の義務、返礼の義務、神に対する贈与の義務の4つの類型がある。日本古代において租と調は元々、神に対する贈与の義務が税に転化したものだったが、平安時代中期においてそれらは官物と...続きを読む呼ばれる地税に統合されて、神への捧げものとしての性格が失われてしまった。 神への義務は失われてしまったが、その後も他の形態の贈与は生き続け、中世には贈与儀礼が大いに発展した。将軍家に対しても多くの贈与品が集まったが、そこに目をつけたのが室町幕府。1441年9月の嘉吉の徳政令は京都の金融業者である土倉・酒屋に大きな打撃を与え、土倉役を主要な財源としていた室町幕府自身を深刻な財政難に陥れた。財政難の幕府は、将軍家への贈与品を修理費が必要な寺院に寄付し、寺院は贈与品市場でそれらを売却することで、修理費を捻出したという。幕府の倉から一銭も出さずに財政出動を行っていたわけだが、なかなか巧妙な手口であると思う。 中世の信用経済の発展に伴った折紙システムの記述が本書のハイライトであろう。中世では贈り物を持参する際に折紙(目録)を添える作法があり、銭に添える折紙を用脚折紙という。当時は、いきなり銭を贈らず、金額を記した折紙を先方に贈り、後から銭を届けるのが一般的だった。銭が引き渡された後で清算が済んだ証として、受贈者から贈与者に折紙が返却された。折紙システムの登場により、銭がその時に手持ちが無くても贈与がおこなわれるようになり、また折紙で贈与の相殺が行われるようになったという。年中行事で様々な機会に人々が将軍に贈った折紙は、室町幕府の重要な財源とみなされ、そこからの収入は折紙方とよばれ、専属の奉行人の折紙方奉行まで任命された。15世紀末から折紙だけ贈って、銭を未納する事例が目立ち始め、折紙システムは16世紀になるとほとんど見られなくなったという。MMTの議論を絡めて言えば、折紙は室町将軍への贈与(納税)義務によって信用が担保されていたと言えるだろう。 本書は、筆者のさまざまな論文を集めて再構成したものであり、内容はやや詰め込みすぎで散漫な印象を受けたが、神への贈与を起源とする税徴収が行われた古代、それが失われた後でも、中世において発展した贈与儀礼についての流れを理解するには大変面白かった。現代とは違う中世の経済構造について知りたい人にはおすすめの本だ。
人類学における贈与論を一定のベースにしつつも、日本の中世における、主として14世紀から15世紀の贈与・贈答儀礼の在り方や変遷について、具体の史料に拠って、明晰に解き明かした書。随所に切れ味の良い見解が示され、歴史を学ぶ醍醐味を味わうことができた。
[送り送られの心うち]世界の中でも独特の位置づけがなされる日本の贈与文化。その中でも特に特異な発展を示した中世の贈与の在り方を眺めながら、贈与が果たしていた社会的役割や、その裏に隠されていた贈与への人々の思いを明らかにしていく作品です。著者は、日本中世史や経済流通史を専攻としている桜井英治。 中世...続きを読むの文化における贈与というものが本当に複雑で「変わった」ものだったことに驚かされるばかりです。現在行われている贈与を頭に思い描きながら本書を読むと、その違いに興味が湧くと同時に、なんとも中世の人たちも大変だったなと思うこと間違いなしです。それにしても夏に送った贈り物のお返しが年初に届くことがままあったりと、中世の人の時間感覚はずいぶんと今と違っていたんだなぁと。 また、贈与が限りなく発展していった挙句の果てに、経済との境目がはっきりしてこなくなる様子なども記されており、贈与という行為自体に新たな目を開かせてくれるのも本書の魅力の一つ。当然今日においても贈与は人々のあらゆる生活の側面に欠かせないものとなっていますので、本書で先人達の贈与への姿勢を日常生活の参考にしてみるのも一考かと思います。 〜日本の贈与の歴史が私たちに教えてくれているのは、他人との限界的な付き合い方であり、それはつまり身近な人ではなく、もっとも遠い人との付き合い方である。それは現代人が苦手にするところであろうが、中世の人びととてけっして器用とはいえなかった。それは私たちにとって、ひとつの救いでもあろう。〜 贈り物に気苦労しちゃうタイプなので勉強になりました☆5つ
レヴィ=ストロース的なものを期待してはいけない。悪くない本だが、ジャック・アタリの所有論をヨーロッパについての考察としてはともにすすめたい。
Lv【初心者】~ 桜井先生の魅力的な室町描写が光る一冊! 当然、室町だけでなくもっと広い時代、日本を超えた枠組みで贈与を面白く扱っておられる。 だけど、やっぱり先生の室町描写、特に当時の経済のお話は物凄く魅力的で引き込まれる。 貞成親王と六代将軍・足利義教の間で交わされる「折紙銭」の摩訶不思議な遣...続きを読むり取りは、室町期の朝廷と武家の在り方を知る上で、なるほど、うなずかされる事しきり、だ。 桜井先生の「室町人の精神」→「破産者達の中世」→本書の順で読み直しても面白いと思うのでオススメ
日本中世における贈答儀礼の功利的性質にスポットをあて、贈与行為から発展して政治・社会・経済に及ぼす動向と影響、その変遷を明快に解き明かした意欲作で、新書ながら歴史学の醍醐味を堪能できる作品。前提にある経済史や社会史研究の蓄積だけでなく、歴史学のみならず主に人類学や経済学といった近隣諸科学での知見も取...続きを読むり入れ、自分なんかがこの場合はどうなんだ?と思ったことに対しても、明解な回答が用意されているような切れ味のよい論理も魅力的だ。 マルセル・モースのいう贈与をめぐる義務である「贈り物を与える義務」「それを受ける義務」「お返しの義務」そして「神や神を代表する人間へ贈与する義務」を出発点に、「贈与」せざるを得ない状況に追い込まれる(現代でも年賀状とかお歳暮、バレンタイデー・ホワイトデー、香典・香典返し、お返しの贈り物、災害後の寄付しろ「圧力」など。余談ながら3・11直後には、石原軍団お得意の炊き出しをなぜ迅速に行わないのだというマスコミ記事が印象的でした)有り様が、いかに中世日本人を衝動させ政治や経済と結び付き発展していったかの諸相はとても興味深く面白いものだった。 贈与から税への変質を論じた第一章では、律令制下の税である租や調が神への贈り物を起源とし税化した話や、室町幕府へ提供した守護大名の守護出銭も本来の相互扶助的贈与(トブラヒ)であったものが税化されたという話が面白かった。 強制される贈与を論じた第二章では、祇園社祭などに資金を供出される役目を担わされる馬上役が、お金を貯め込んだ「有徳人」に対する「浄財」供出思想を持っていた話や、中世の「遷代の職」に付随する役得(=賄賂)も「先例」である以上、受け取らざるを得ない状況にある、そして一旦「先例」になれば納める方は恒常化するので、いかに「先例」化を回避しようかという努力の話などが面白かった。中世においては、「相当」と「礼」の関係として、相手の身分とのバランスを考慮した贈り物と返礼が必要であり、ポトラッチ(贈り物競争)とは異なる「対称的返済」「同類交換の原理」が働いていたという。具体的事例として、夏の瓜を贈り合う慣習とか、8月の八朔の贈答にまつわる悲喜こもごもの顛末(返礼しない、返礼品の相当が不足しているなど)など、かなり中世人の心を規定していた様子が興味深かった。 そして、第三章では13世紀後半より年貢の代銭納制が進展し、さらに持ち運びに便利な割符(手形)が採用されるという信用経済が普及した市場経済社会の成立に伴い、贈答品の市場売買がひろく個々の経済を支えていたとする。天皇や将軍からの下賜品は売買やオークションで換金されることが前提、贈答品も右から左へ流用(本願寺証如が細川氏綱から受けた年始の祝儀は、実は証如が三好長慶へ贈ったものであったという)は当たり前、そして換金できるということであれば贈り物の「ねだり」「たかり」もあり、日明貿易での調達品も既定の贈与品を前提にしていたという話はとても興味深いものであった。将軍が寺社などへ御成(おなり)した際に献上される贈り物が、将軍の下賜品や幕府財政の一端を担う「贈与依存型財政」の様を呈しており、「将軍家御物(ごもつ)」にもそうした売買前提の鑑識眼により蓄積されたという話も面白い。そして、こうなると贈与の品物がお金に変わってもなんら不思議ではなく、さらに贈り物に必ず付随する折紙(目録)も「信用(経済)化」し、また贈与の相殺に使用され、空手形のような折紙が乱発された揚句(贈与の見返り効果がないと現物は送らない)、債務の肩代わりにも使われる状態になったという。本来、人格的であるはずの贈与が非人格化し贈与経済が限りなく市場経済に接近した時代、贈与を過剰に煽りギフト産業を儲けさせる現代の仕組みとはベクトルの異なる、贈与の省力化・骨抜き化が逆に贈与を市場経済に近づけさせた構造がここにあるということだ。 第4章における贈答儀礼における諸考察が述べられている。かつて足利尊氏の「気前のよさ」は武家棟梁の資質のひとつと見做されていたが、贈与論から考えると贈与には必ず伴う「返礼の義務」=互酬性があり、そのノルマをこなしていただけではないかという着眼は面白い。贈答儀礼をはじめとした儀礼が、権威としての劇場性を持つという考えや、空虚なルーティン化として「儀礼の内旋」に陥る側面だけではない、中世人の非人格的な「法」「先例」遵守の精神に支えられたものであったとする見解はある意味目から鱗が落ちた。(儀礼費用がなければいくらでも裏で助けた)そう、確かに中世人なら2人だけで誰も観ていなくても所定の所作をしそうではある。また、前近代における「時間」が不定時法であったにも関わらず、中世では律令制下とは異なり労働時間単位あたりの報酬が一律であったという労働贈与の話も興味深かった。 長々と備忘的に書いてきましたが、最後に備忘ついでに。1文=100円、10文=1疋、1000文=1貫文、旅籠賃一泊二食で24文、伏見宮家の総収入1500貫文、永享九年将軍義教の伏見宮家訪問接待費760貫文。
極端とも言える発展を遂げた中世日本の贈与儀礼について、具体的な事例を通してその本質を探る内容。極地とも言える15世紀の贈与慣行の特異さ、経済や時代精神との関係性が非常に興味深かった。
モース的贈与論の修正がいかにも現代の学問というところがあって実におもしろい。新書でこういう新しい学問が読めるのは本当に良い。
日本の中世、とくに室町時代の贈与に関する考え方をあらわしたものです。「数寄」や「名物」が評価される歴史的な背景がうかがわれます。贈与とは好意ではなく義務であり、その義務に対する返礼もまた義務であるなど、著者の別の本や論文などにも拠りながら、論がすすめられていきます。参考文献も充実しており、新書でこの...続きを読むボリュームはかなりお得なのではないでしょうか。
元来贈与には、純粋な厚意であるより儀礼的な側面が強く、日本の中世においても、その発達は形式的複雑化の一途を辿った。贈り物の交流は人と人とを繋ぎ、その関係を保守強化する契機となりうるが、贈り物が義務化、秩序化するに至っては、むしろ個々の関係の人間性は失われてしまう。それは、ゆくゆく市場経済の発達とも相...続きを読むなって、ヒト、モノ、カネのすべてを非人格的で交換可能なものに浸食していくのである。やがて、過剰な流動性のもと、市場経済は実体を介さない証文だけの取引となって金融を発達させ、贈与もまた、実体を動かさない目録だけをやり取りとなってその最盛期を迎える。(市場経済にせよ、贈与にせよ、信用取り引きの高じるほど、人間性を退くというのは、とても示唆的である。)そして、その破綻によって、人間性の復権、地方の擁立、戦国時代の幕が上がるのだ。
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