【感想・ネタバレ】贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだのレビュー

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Posted by ブクログ 2021年06月25日

日本中世において猖獗を極めた贈与経済についての本。モース『贈与論』とゴドリエ『贈与の謎』の議論によれば、贈与には提供の義務、受容の義務、返礼の義務、神に対する贈与の義務の4つの類型がある。日本古代において租と調は元々、神に対する贈与の義務が税に転化したものだったが、平安時代中期においてそれらは官物と...続きを読む呼ばれる地税に統合されて、神への捧げものとしての性格が失われてしまった。

神への義務は失われてしまったが、その後も他の形態の贈与は生き続け、中世には贈与儀礼が大いに発展した。将軍家に対しても多くの贈与品が集まったが、そこに目をつけたのが室町幕府。1441年9月の嘉吉の徳政令は京都の金融業者である土倉・酒屋に大きな打撃を与え、土倉役を主要な財源としていた室町幕府自身を深刻な財政難に陥れた。財政難の幕府は、将軍家への贈与品を修理費が必要な寺院に寄付し、寺院は贈与品市場でそれらを売却することで、修理費を捻出したという。幕府の倉から一銭も出さずに財政出動を行っていたわけだが、なかなか巧妙な手口であると思う。

中世の信用経済の発展に伴った折紙システムの記述が本書のハイライトであろう。中世では贈り物を持参する際に折紙(目録)を添える作法があり、銭に添える折紙を用脚折紙という。当時は、いきなり銭を贈らず、金額を記した折紙を先方に贈り、後から銭を届けるのが一般的だった。銭が引き渡された後で清算が済んだ証として、受贈者から贈与者に折紙が返却された。折紙システムの登場により、銭がその時に手持ちが無くても贈与がおこなわれるようになり、また折紙で贈与の相殺が行われるようになったという。年中行事で様々な機会に人々が将軍に贈った折紙は、室町幕府の重要な財源とみなされ、そこからの収入は折紙方とよばれ、専属の奉行人の折紙方奉行まで任命された。15世紀末から折紙だけ贈って、銭を未納する事例が目立ち始め、折紙システムは16世紀になるとほとんど見られなくなったという。MMTの議論を絡めて言えば、折紙は室町将軍への贈与(納税)義務によって信用が担保されていたと言えるだろう。

本書は、筆者のさまざまな論文を集めて再構成したものであり、内容はやや詰め込みすぎで散漫な印象を受けたが、神への贈与を起源とする税徴収が行われた古代、それが失われた後でも、中世において発展した贈与儀礼についての流れを理解するには大変面白かった。現代とは違う中世の経済構造について知りたい人にはおすすめの本だ。

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Posted by ブクログ 2020年05月05日

人類学における贈与論を一定のベースにしつつも、日本の中世における、主として14世紀から15世紀の贈与・贈答儀礼の在り方や変遷について、具体の史料に拠って、明晰に解き明かした書。随所に切れ味の良い見解が示され、歴史を学ぶ醍醐味を味わうことができた。

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Posted by ブクログ 2014年09月02日

[送り送られの心うち]世界の中でも独特の位置づけがなされる日本の贈与文化。その中でも特に特異な発展を示した中世の贈与の在り方を眺めながら、贈与が果たしていた社会的役割や、その裏に隠されていた贈与への人々の思いを明らかにしていく作品です。著者は、日本中世史や経済流通史を専攻としている桜井英治。

中世...続きを読むの文化における贈与というものが本当に複雑で「変わった」ものだったことに驚かされるばかりです。現在行われている贈与を頭に思い描きながら本書を読むと、その違いに興味が湧くと同時に、なんとも中世の人たちも大変だったなと思うこと間違いなしです。それにしても夏に送った贈り物のお返しが年初に届くことがままあったりと、中世の人の時間感覚はずいぶんと今と違っていたんだなぁと。

また、贈与が限りなく発展していった挙句の果てに、経済との境目がはっきりしてこなくなる様子なども記されており、贈与という行為自体に新たな目を開かせてくれるのも本書の魅力の一つ。当然今日においても贈与は人々のあらゆる生活の側面に欠かせないものとなっていますので、本書で先人達の贈与への姿勢を日常生活の参考にしてみるのも一考かと思います。

〜日本の贈与の歴史が私たちに教えてくれているのは、他人との限界的な付き合い方であり、それはつまり身近な人ではなく、もっとも遠い人との付き合い方である。それは現代人が苦手にするところであろうが、中世の人びととてけっして器用とはいえなかった。それは私たちにとって、ひとつの救いでもあろう。〜

贈り物に気苦労しちゃうタイプなので勉強になりました☆5つ

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Posted by ブクログ 2014年06月20日

レヴィ=ストロース的なものを期待してはいけない。悪くない本だが、ジャック・アタリの所有論をヨーロッパについての考察としてはともにすすめたい。

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Posted by ブクログ 2014年05月25日

Lv【初心者】~
桜井先生の魅力的な室町描写が光る一冊!
当然、室町だけでなくもっと広い時代、日本を超えた枠組みで贈与を面白く扱っておられる。
だけど、やっぱり先生の室町描写、特に当時の経済のお話は物凄く魅力的で引き込まれる。

貞成親王と六代将軍・足利義教の間で交わされる「折紙銭」の摩訶不思議な遣...続きを読むり取りは、室町期の朝廷と武家の在り方を知る上で、なるほど、うなずかされる事しきり、だ。

桜井先生の「室町人の精神」→「破産者達の中世」→本書の順で読み直しても面白いと思うのでオススメ

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Posted by ブクログ 2013年09月26日

日本中世における贈答儀礼の功利的性質にスポットをあて、贈与行為から発展して政治・社会・経済に及ぼす動向と影響、その変遷を明快に解き明かした意欲作で、新書ながら歴史学の醍醐味を堪能できる作品。前提にある経済史や社会史研究の蓄積だけでなく、歴史学のみならず主に人類学や経済学といった近隣諸科学での知見も取...続きを読むり入れ、自分なんかがこの場合はどうなんだ?と思ったことに対しても、明解な回答が用意されているような切れ味のよい論理も魅力的だ。
マルセル・モースのいう贈与をめぐる義務である「贈り物を与える義務」「それを受ける義務」「お返しの義務」そして「神や神を代表する人間へ贈与する義務」を出発点に、「贈与」せざるを得ない状況に追い込まれる(現代でも年賀状とかお歳暮、バレンタイデー・ホワイトデー、香典・香典返し、お返しの贈り物、災害後の寄付しろ「圧力」など。余談ながら3・11直後には、石原軍団お得意の炊き出しをなぜ迅速に行わないのだというマスコミ記事が印象的でした)有り様が、いかに中世日本人を衝動させ政治や経済と結び付き発展していったかの諸相はとても興味深く面白いものだった。
贈与から税への変質を論じた第一章では、律令制下の税である租や調が神への贈り物を起源とし税化した話や、室町幕府へ提供した守護大名の守護出銭も本来の相互扶助的贈与(トブラヒ)であったものが税化されたという話が面白かった。
強制される贈与を論じた第二章では、祇園社祭などに資金を供出される役目を担わされる馬上役が、お金を貯め込んだ「有徳人」に対する「浄財」供出思想を持っていた話や、中世の「遷代の職」に付随する役得(=賄賂)も「先例」である以上、受け取らざるを得ない状況にある、そして一旦「先例」になれば納める方は恒常化するので、いかに「先例」化を回避しようかという努力の話などが面白かった。中世においては、「相当」と「礼」の関係として、相手の身分とのバランスを考慮した贈り物と返礼が必要であり、ポトラッチ(贈り物競争)とは異なる「対称的返済」「同類交換の原理」が働いていたという。具体的事例として、夏の瓜を贈り合う慣習とか、8月の八朔の贈答にまつわる悲喜こもごもの顛末(返礼しない、返礼品の相当が不足しているなど)など、かなり中世人の心を規定していた様子が興味深かった。
そして、第三章では13世紀後半より年貢の代銭納制が進展し、さらに持ち運びに便利な割符(手形)が採用されるという信用経済が普及した市場経済社会の成立に伴い、贈答品の市場売買がひろく個々の経済を支えていたとする。天皇や将軍からの下賜品は売買やオークションで換金されることが前提、贈答品も右から左へ流用(本願寺証如が細川氏綱から受けた年始の祝儀は、実は証如が三好長慶へ贈ったものであったという)は当たり前、そして換金できるということであれば贈り物の「ねだり」「たかり」もあり、日明貿易での調達品も既定の贈与品を前提にしていたという話はとても興味深いものであった。将軍が寺社などへ御成(おなり)した際に献上される贈り物が、将軍の下賜品や幕府財政の一端を担う「贈与依存型財政」の様を呈しており、「将軍家御物(ごもつ)」にもそうした売買前提の鑑識眼により蓄積されたという話も面白い。そして、こうなると贈与の品物がお金に変わってもなんら不思議ではなく、さらに贈り物に必ず付随する折紙(目録)も「信用(経済)化」し、また贈与の相殺に使用され、空手形のような折紙が乱発された揚句(贈与の見返り効果がないと現物は送らない)、債務の肩代わりにも使われる状態になったという。本来、人格的であるはずの贈与が非人格化し贈与経済が限りなく市場経済に接近した時代、贈与を過剰に煽りギフト産業を儲けさせる現代の仕組みとはベクトルの異なる、贈与の省力化・骨抜き化が逆に贈与を市場経済に近づけさせた構造がここにあるということだ。
第4章における贈答儀礼における諸考察が述べられている。かつて足利尊氏の「気前のよさ」は武家棟梁の資質のひとつと見做されていたが、贈与論から考えると贈与には必ず伴う「返礼の義務」=互酬性があり、そのノルマをこなしていただけではないかという着眼は面白い。贈答儀礼をはじめとした儀礼が、権威としての劇場性を持つという考えや、空虚なルーティン化として「儀礼の内旋」に陥る側面だけではない、中世人の非人格的な「法」「先例」遵守の精神に支えられたものであったとする見解はある意味目から鱗が落ちた。(儀礼費用がなければいくらでも裏で助けた)そう、確かに中世人なら2人だけで誰も観ていなくても所定の所作をしそうではある。また、前近代における「時間」が不定時法であったにも関わらず、中世では律令制下とは異なり労働時間単位あたりの報酬が一律であったという労働贈与の話も興味深かった。
長々と備忘的に書いてきましたが、最後に備忘ついでに。1文=100円、10文=1疋、1000文=1貫文、旅籠賃一泊二食で24文、伏見宮家の総収入1500貫文、永享九年将軍義教の伏見宮家訪問接待費760貫文。

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Posted by ブクログ 2023年01月22日

「過去が現在よりもつねに素朴だと思うのは、過去にたいする見くびりであり、現代人の傲慢である。」
至言。(現代の)自分達が過去より良いもの、進んだものに囲まれてるとは限らない。

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Posted by ブクログ 2022年08月22日

極端とも言える発展を遂げた中世日本の贈与儀礼について、具体的な事例を通してその本質を探る内容。極地とも言える15世紀の贈与慣行の特異さ、経済や時代精神との関係性が非常に興味深かった。

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Posted by ブクログ 2013年09月25日

モース的贈与論の修正がいかにも現代の学問というところがあって実におもしろい。新書でこういう新しい学問が読めるのは本当に良い。

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Posted by ブクログ 2013年04月19日

日本の中世、とくに室町時代の贈与に関する考え方をあらわしたものです。「数寄」や「名物」が評価される歴史的な背景がうかがわれます。贈与とは好意ではなく義務であり、その義務に対する返礼もまた義務であるなど、著者の別の本や論文などにも拠りながら、論がすすめられていきます。参考文献も充実しており、新書でこの...続きを読むボリュームはかなりお得なのではないでしょうか。

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Posted by ブクログ 2013年03月07日

元来贈与には、純粋な厚意であるより儀礼的な側面が強く、日本の中世においても、その発達は形式的複雑化の一途を辿った。贈り物の交流は人と人とを繋ぎ、その関係を保守強化する契機となりうるが、贈り物が義務化、秩序化するに至っては、むしろ個々の関係の人間性は失われてしまう。それは、ゆくゆく市場経済の発達とも相...続きを読むなって、ヒト、モノ、カネのすべてを非人格的で交換可能なものに浸食していくのである。やがて、過剰な流動性のもと、市場経済は実体を介さない証文だけの取引となって金融を発達させ、贈与もまた、実体を動かさない目録だけをやり取りとなってその最盛期を迎える。(市場経済にせよ、贈与にせよ、信用取り引きの高じるほど、人間性を退くというのは、とても示唆的である。)そして、その破綻によって、人間性の復権、地方の擁立、戦国時代の幕が上がるのだ。

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Posted by ブクログ 2012年06月24日

内田樹さんの提唱される「贈与経済」に強く惹かれたので、贈与、贈与と唱えていたのだが、日本政治思想を研究している水野氏からこの本を貸していただいた。

ひと通り読んだだけでは、なんか私がイメージしていた贈与経済とこの本との接点がつかめなかったのだが、最度、読み返してみると朧気ながら浮かんでくるものがあ...続きを読むるような気がしてきた。まだ、これというものはつかめないのではあるが、大事なヒントを蔵している著作のような気がする。

それにしても驚いたのは、13世紀には日本に市場経済が成立していたという事実である。そりゃぁそうではあるが、改めて説明されるとなんだかショックを受けた。私の頭の中では市場経済が貧者の不幸を生み出しているような気がしていたからだ。「市場経済」から「贈与経済」へという内田さんの構想にひかれたのも、自分が貧乏な気がして窮屈だったからだ。

しかし、問題は市場経済ではない、どうもそれを取り巻く一種の「法」とでも呼べるもの(本文78ページ参照)じゃないのか?

「儀礼と経済のあいだ」という副題も示唆深い。共同体が存続してゆくためには守らなければならない掟があるはずである。儀礼は掟の結晶化したものだし、経済は掟に沿って営まれなければならない。私に必要なのは、経済に関する掟の究明や理解なのかもしれない。

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Posted by ブクログ 2012年03月02日

贈与=金銭のやりとりという図式に何の価値判断もなかった時代、それは一つの徴税方法とすら言える。日本刀・唐物・和紙、それらすべてがお金のように贈与されていた室町時代。
その時代の終わりの段階で、それを「美的センス」によって美術品の世界に押し込んでしまった千利休という人の果たした役割はやはり飛びぬけてす...続きを読むごい。そして、贈与をストレートな金銭のやりとりから切り離すための方法が茶道みたいな儀礼の役割だったのかなと思う。趣味の善しあしは別として、豊臣秀吉はその点をよく理解していた人物だと思う。織田信長みたいに単純に室町将軍のものまねしかできない人とはそこが違う感じがする。
…とか、まだちゃんと読んでないのに言ってみる。間違ってたら書き直します(笑)

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Posted by ブクログ 2012年02月23日

日本中世における贈与がどのようなものであったかを紐解き、その意義を探る

毎年の盆暮れ、今年は何を送ろうか・どの程度の金額がよいのだろうかと、付け届けに頭を悩ます人も多いだろう。
日本は先進諸国の中でも贈答儀礼がよく保存されているのだそうで、その起源は中世に遡るらしい。
本書では、主に室町期の贈答の...続きを読むあり方を文書から探り、分析している。

中世の贈答は非常に格式にうるさく、量が適切でない(多すぎる・少なすぎる)場合や、手紙の結びに使う決まり文句が身分にあっていない場合、たとえ自分より身分が上の人からのものであってさえ、受け取らなかったり、クレームをつけたりといったことがあったという。
思わず「めんどくさっ」と叫んでしまう細かさである。
だがそれも、一度もらってしまうと返礼が必要であったり、社会の秩序を維持するには大切であったりしたようだ。

そうかと思えば、もらったものを別の人に贈ったり、馬をもらった返礼として別の馬に贈ったり、といったこともある。
贈与が貨幣に近い意味を持っていたり、物品の流通に一役買っていたりしたらしい。
経済や商業の発展に贈与が果たした役割も大きかったようだ。

折紙の話も興味深かった。「あなたに何々を贈りますよ」と折紙(=目録)をまず贈る。その後で実際に物品を贈るわけだが、時代が下るにつれて、一向に現物を贈らない輩が続出、ついに日野富子が堪忍袋の緒を切らし、「贈るなら折紙ではなくて現物!」と命令を下している。空手形、もしくは「やるやる詐欺」といったところか。

読みながら徐々に、中世の人々の心情にリアルに迫っていく感じがしておもしろい。儀礼的でありつつ合理的。面倒くさいけれど、ある意味、理にかなっている。そうはいうものの、現代人の視点からは推し量り切れない部分もあり、それがまた興味深い。

本書を読んだからといってお歳暮・お中元に悩まなくなるわけではないが、その起源に思いを馳せれば、煩わしさもちょっとだけ薄らぐ、かもしれない。


*「初穂」の語源は収穫時に神に捧げた贈り物から来ているのだという。海の幸の贈与は「初尾」。なるほど。

*茶の名物の話もおもしろい。様々な人の手を渡ることで由緒が付帯し、箔がつく。

*本書にも何度か取り上げられている『大乗院寺社雑事記』の大乗院は奈良・興福寺の塔頭。この『大乗院寺社雑事記』は室町期の貴重な史料とされているようだ。

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Posted by ブクログ 2018年11月05日

中心となるのは15世紀前後の室町時代での貴族・武家社会での贈与のありかた。当時は贈与経済が市場経済と並んで幕府財政をも支える柱にさえなっていた。

贈与をめぐる4つの義務
・贈り物を与える義務
・それを受ける義務
・お返しの義務
(ここまでがM・モースの定義)
・神々や神々を代表する人間へ贈与する義...続きを読む

古代では第4の義務が相対的に重要であったと思われる。それが税へ転化したり、世俗化していく。
租・・・税率はわずか3%。律令制度よりも古い、神への貢納・初穂がルーツ
調・・・これも品目から見て初穂(or初尾)に由来

室町幕府は京都に所在したため都市的性格が強い。土地や農業からの収入よりも、商業・流通・金融・貿易からの収入に重きを置いていた(江戸時代と違う!)。年貢を現物でなく銭で収める代銭納制が1270年ごろから急速に普及していった。これは南宋の滅亡により銅銭が大量に国外に流出したためと言われている(東アジア全域で中国銭使用がこの時期に拡大)。米などの作物を現地で換金するため商品経済、信用経済が発達した(なお江戸時代に改めて米納に回帰する)。
→まったく歴史というのは単線的な発展をするものではないと思う。

有徳思想、けち(欠けるってこと)、「例」、「相当」などの概念は現代人でも充分に理解できる。しかし室町人は、それらにメチャクチャこだわっていた。それが現代から見ると特異な贈与経済をうむ。将軍も皇族も、財政基盤が弱かったこともあって、自転車操業で贈り物のやり取りをしてる。贈り物はそのモノ自体に価値がある場合もあるが、ほとんどは非人格的なあつかい。贈物の贈物への転用も当たり前。さらに極めつけは銭の贈与。やはりモノより薄礼という意識はあったみたいだが。さらに現金がなくても「折紙」により贈物が手形化する。中世は権利の譲渡については現代よりよほどドライでもある。

はっきりとした主張ないし結論的なものがある本ではないのだが、今と似ていて少し違う時代の経済・儀礼感覚をリアルに描き出して面白い。市場経済とは贈与経済の単純化・非人格化を推し進めたひとつの形であると言えるかもしれない。

室町時代では皇室と幕府が近所づきあいをしていたのも、贈与儀礼が妙に発達した原因かもね。

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Posted by ブクログ 2014年02月20日

≪目次≫
はじめに
第1章  贈与から税へ
第2章  贈与の強制力
第3章  贈与と経済
第4章  贈与のコスモロジー

≪内容≫
中世(とくに室町期)の贈与が経済と密接に関わっていたことを説明している。なるほどだったのは、室町期は「贈与品」の横流しも妥当なことで、さらにこれがたとえば幕府の税収に位...続きを読む置づけられていたこと。中世の人々の感覚は、現在とかなり違うことは、「20年年紀法」などでうっすら知っているが、特に金銭感覚は大幅に違うことが分かった。しかし、近世は贈与品を横流しすることは、もう御法度なので、なんで中世はそんな感覚になったのかを知りたくなった。

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Posted by ブクログ 2013年02月17日

儀礼としての贈与が重視されながらも、極端な形式主義で、贈与品の流用も平気で行われた日本の中世の独特の世界が垣間見えて知的に刺激を受けることができた一冊。

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Posted by ブクログ 2012年06月13日

学術書としては価値があるのだろうが、自分にとっては贈与に関する雑学を仕入れただけで、根拠を示す部分が冗長に感じられた。税が贈与から発展したということは新発見だった。

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Posted by ブクログ 2012年01月28日

 「贈与」というと、何か、人間の人類学的な基礎に通じるものがあって、興味があったので、タイトルで購入。

 この本はそういう人類学的な分析ではなく、中世に特化した贈与の分析。

 全体の印象としては、様々な階層での贈与は、最初は神に対する、あるいは上位者に対する畏敬の念が含まれていたが、どんどん形式...続きを読む化して、最後には、市場メカニズムにとりこまれていく(贈与物が売買されたり、贈与の折り紙自体が流通したりする)、というお話。

 自分が労働力を割いて復興に無償に協力していることに、なにか歴史的なバックボーンがあるのかと期待したが、ちょっと期待はずれ。

 ただし、中世のたくましい貴族や武士のお金のやりとり自体はおもしろい。

(1)贈与のもらうことを、一代限りの職にあるものが断ると、後任者がもれなくなるので、もらっておく。(p67)

 こういうの、役職者の特権でよくいわれる。役員がエコで電車で通勤したくても、後輩が困るますよといっていつまでも自動車の送り迎えを続ける組織。まあ、うちだが。

(2)中世の貴族は、贈与を求められると、継続的に贈与するのを避けるため、わざと「ごぶさたしていましのたので」といって贈与の趣旨をごまかしていた。(p72)

 これも現代もありそう。お中元とかお歳暮とかの時期をはずして、たまたま、いいものがあったから贈りました、とかいって、今回限りにするのと同じです。

(3)足利将軍は、当時のお金持ちの寺院から贈与をうけるため、しょっちゅうおなりを繰り返した。(p138)

 貧乏になるとなんでもやってお金を集めようとする。

 なんだか、昔も今もあんまり日本人は変わっていないようで、うれしいようなかなしような気持ち。

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