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手話通訳士・荒井尚人は、NPO法人「フェロウシップ」からの依頼を受けて訪れた障害者作業所で、盲ろう者の通訳の現場に立ち会う。 人と人との接触が制限されたコロナ禍、視覚と聴覚の両方に障害を持つ彼らのコミュニケーションの場が失われていたことに気づき、 尚人はその境遇に愕然とする。一方、長女・ 美和は、猛勉強の末に幼馴染みの漆原英知とともに、埼玉県内の私立の進学校に進む。部活に力を注ぎながら進路と英知との関係に悩む日々。そして妹の瞳美は、日本手話での授業が実施されている公立の特別支援学校に通い始めた。母親のみゆきも刑事として忙しい日々を送る。そんなある日、瞳美の通う特別支援学校で、大事件が巻き起こり、前代未聞の裁判に荒井家は巻き込まれてゆく──。〈デフ・ヴォイス〉シリーズ堂々の完結編。
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Posted by ブクログ
えーーーー!
えーーーー!
えええええーー!
えっええええー♪
えーってもういいわ!もう「えー」いいわ!ちょっと楽しくなってきとるやないか!( ゚д゚ )クワッ!!
はい、というわけでね
終わりだそうです
『デフ・ヴォイス』シリーズ終わりだそうです
そりゃ「えー」ってなるよね
残念です
ひっじょーに残念でおます
このシリーズは本当に学びの多い、社会的意義のあるシリーズだったと思うし、それでいてちゃんとエンタメとして成立してたと思います
まずちゃんと「小説」として面白い
それあってこそよね
知らなかったことをたくさん知れました
なんとなくではありますがろう者の方たちの世界をちょっぴり知れたような気もします
大切なことは、お互いにこの世界を構成する一員だっていう当たり前すぎる事実をないがしろにしないってことなのかもしれんな
「ひとり」「ひとり」が集まって社会は出来ているのよ
違う「ひとり」だけど等しく「ひとり」なのよ
あ、何言ってるかわかんなくなってきたのでやめます(潔い)
とにかーく!!(大きい声出してごまかす)
このシリーズが終わっちゃって悲しい
もっと読みたかった〜
Posted by ブクログ
シリーズ第5弾!「デフ・ヴォイス」「龍の耳を君に」「慟哭は聴こえない」「わたしのいないテーブルで」に続く完結編ですが、正直まだまだ彼らを見守っていたかった。
ドキドキ楽しみながら、未知の世界やさまざまな視点に気付かせてくれ、考える切っ掛けをくれるシリーズ。本作も最後の最後まで夢中で読みふけりました!
ろう児の学校問題。夫婦の問題。荒井ファミリーが深く関わることになった裁判の行方。そして、美和と英知君の関係性について。
時代だけでなく、個人を取りまく環境や気持ちも変化していくなかで、彼らが何をどう選択していくのか──。もし自分だったら……考えだすと頭の中がグルグルする。
何だかんだありつつも、主人公のアラチャンがそのままでいてくれたことが嬉しい。彼の存在に救われる人も、勇気づけられる人も大勢いる。
荒井家が巻き込まれた裁判は子どもが一番の被害者で切実だし、時間の問題もある。でも親に出来ることは限られていて、歯がゆいし腹立たしいし悔しすぎる……。
「ただ子どもたちに理解できる言語で」
そんな当たり前の機会を得るために、ここまでしないと伝わらないことがそもそもおかしい。
私としては、法律云々よりもまず子どものことを考えてもらいたいと思う。
必要としているサポートが障害によって違うのに、一律で語られてしまうことへの違和感は確かにある。
読みながら著者の鋭い視点につきあたり、問題点と心の機微の描写に唸らされた。予想外の展開もありましたが、だからこそリアリティを感じました。
このシリーズは感情と思考をフルに使いながら楽しんでいますが、私には中途失聴者の父がいるので、色々と思い出すことも思うところも多々ありました。
何だかあっという間の最終巻で、荒井家のみんなも英知くんも、ここまでよく頑張ってきたなぁと感慨深い。
ときどき中途失聴者の子として理不尽からくる感情に共感したり、父の気持ちを慮ることにもつながったり、本当に出会えて良かったとしみじみ思う。
巻を重ねても重ねても未知の世界が広がっていて、ぐいぐい読ませてくれるシリーズ。
この先もずっと読み継がれていって欲しいです。
Posted by ブクログ
「デフ・ヴォイス」シリーズ5巻目であり、完結編。もっとも、あとがきによればスピンオフの「刑事何森」シリーズは継続し、その中で主人公・荒井ファミリーの今後も語られるようです。(「刑事何森」には手を出していないので…)
やっぱり、このシリーズは良いですね。
物語の後半は、北海道立札幌聾学校の訴訟を題材にしています(あくまで題材であり、結末は異なります)。「日本手話を基盤として、日本語の読み書きや学ぶ力を育てる」と謳っていた同校が、人員不足から「日本語対応手話」へと変更し、生徒が授業についていけなくなったことが発端となった訴訟です。
文法から異なる「日本手話」が先天性聾者にとって学びやすい独自の言語であるのに対し、「日本語対応手話」はあくまで日本語を手指の動きに置き換えたものに過ぎません。これはシリーズを通じて扱われてきた重要なテーマです。
そうした聾者、ひいては障害者の問題を、安易な感情論に陥ることなく真摯に取り上げて深く掘り下げていく姿勢が見ごとです。さらに主人公一家(コーダである主人公、警察官の妻、妻の連れ子である長女、結婚後に生まれた聾者の次女)の交差する思いの描写も実に秀逸です。
スピンオフと言わず、また10年でも20年後でも良いから、続きを書いてくれないかな。
タイトルの「夢見る言葉」は、次女が手話で寝言を言う(身体を動かす)姿に由来しています。考えてみれば、日本手話で育ったお子さんは、頭の中でも日本手話で思考しているのですね。
ちなみに、小児の情報獲得における音声言語と文字言語の比率は、以下のように変化するそうです。
乳児~小学校低学年:音声 9:文字 1
小学校中学年・高学年:音声 5:文字 5
中学校~成人:音声 3:文字 7
低学年までは、聴者は音声日本語で、聾者は日本手話で育ちます。そこに情報媒体として日本語の「文字」が加わります。しかし、日本手話は文法構造や表情・動きによる情報があまりに多様で文字化ができないため、「日本手話で書かれた教科書」を作ることができません。そのため、聾者はこの時期から日本語とその文字体系を学ぶ必要があります。日本で生きていく以上、周囲のコミュニケーションは圧倒的に日本語で行われるため、日本語を習得しなければ非常に厳しい環境に置かれてしまうからです。
生徒たちは、最初は日本語で情報を得て、それを日本手話に変換して理解するのでしょう。ただ作中では、「思考を深めるために、まずは(思考の言語である)日本手話を充実させるべき」とする聾者側の主張と、「社会適応のため早期に日本語を習得させるべき」とする聴者側の主張の対立が鮮明に描かれています。
物語の最終盤、コーダ(手話文化の中で育った聴者)である主人公が証言台で語る言葉が見事です。
「今この場にいる原告側の証人が全員『聴こえない人』であり、被告側は全員『聴こえる人』です。この事実がすべてを物語っていると私は思います。
最後にお願いです。ろう児のことはろう児に。ろう者のことはろう者に、かつてろう児だった人に。どうするのが一番いいのか、訊いてもらえませんか。
今まで私はろう者の言葉を代弁しようと思ったことはありません。そんなことはろう者ではない私にはできないと思っていたからです。しかし、今だけは彼らに成り代わって言います。
私たちのことを、私たち抜きで決めないでください。
――これで陳述を終わります」
この問題は、外国人児童への言語教育問題にも通じます。
戦前、私の大叔父たちはカリフォルニアへ移民しました。彼らから送られてきた写真の中に日本語学校開設式典の一枚があり、立派な校舎や子どもたちの姿を見て、なんとなく日本の普通の小学校のような場所をイメージしていました。しかし考えてみれば、現地で生まれた二世たちの言語は英語だったはずです。気になって調べてみると、やはり子どもたちのメインは現地の公立学校(英語)であり、日本語学校は放課後や休日に通う補習的なものや、日本固有の伝統・文化を伝えるための学校だったようです。英語の不得意な親の家庭の日本語環境からいきなり英語の学校へ放り込まれた当時の子どもたちの苦労は、察するに余りあります。
そして現在、日本ではその逆の現象が起きています。多くの外国人が来日・定住する中、その子どもたちの教育は?当然、私に答えなどありません。でも多分「私たちのことを、私たち抜きで決めないでください。」なのでしょうね。そんなことを考えてしまう作品でした。
Posted by ブクログ
デフヴォイス5巻目で完結。学びのたくさんあるシリーズでした、ここまで書き続けてくれた著者に感謝です。あとがきで入口になり出口を示すような本になったら、とありました。問題提起には十分だと思います。正しい答えはわからない、けど当事者抜きに考えないで、声を聞いてほしい、この気持ちを誰に対しても忘れないよう心に刻みます。高校生になった美和が英知に惹かれるのは荒井に似てるから?わからないことをはっきり伝え思慮深い所がいいよね。ろう者の瞳美が小学生になりみゆきは警察内で昇進のため籍を抜くなど毎日時計は進んでる、今後のみんなを見たい気もするし、私達が考えるべき事かな。素晴らしい作品でした、出会えてよかった!
Posted by ブクログ
『デフ・ヴォイス』シリーズ完結編
このシリーズを読み始めた時、自分は健聴者だったが6年前に進行性難聴を発症し、今は中等度難聴者で補聴器を装着している。
手話教室にも2年ほど通ったので、この表紙絵の手話が「家族」を表していることもすぐに分かり、今回は荒井の家族の話なのだろうと思った。
一つの家族の中に、健聴者・コーダ・聾者が存在する。
聾である瞳美の母みゆきは健聴者であまり手話が得意でない。父親の荒井はコーダで手話も口話も同じように使いこなす。みゆきの連れ子である美和は幼少期から荒井に手話を習っていたので堪能だ。
それだけでも、コミニュケーションの取り方に違いが出るだろうし、互いの理解の度合いも変わってくるだろう。
完結編では、美和の私立高校進学によって瞳美の進学先を公立の聾教育を行う小学校に選んだが、教員や校長の異動により問題が生じる。
それがきっかけとなって、家族の歯車が見えないところでズレ始める...
聾者の公教育の平等性についても、その問題の大きさが分かる。自分たちの教育を自分たちで選ぶことができないのはおかしい...マジョリティに投げかけられた大きな問い。
完結編だからと言って、収まりよくまとめられていないのが本当に良かった。
家族一人一人を取り巻く問題が解決したわけではないが、ひとまず保留したり、どこかで折り合いをつけていく姿がリアルで読み手を引き込む。
冒頭に書いたように、現在私は中等度難聴だ。でも障害者認定は受けていない。
日本の難聴者の障害者認定基準はとてもハードルが高く、中等度難聴では健聴者とみなされる(補聴器がなければ、間近で聞かない限り殆ど何を言っているか聞き取れないが)。
たとえ認定されても補助は制限が多い。補聴器も性能の良いものは補助対象外となることが多く、私の知り合いの難聴者も補聴器は高額だから片耳だけという人も多い。
聾者は聾者のコミュニティがあり、健聴者はマジョリティなので言わずもがな。
中途失聴・難聴者は発症した時期により、手話の習得度合いも違うし、コミュニティを見つけにくい。
また自分だけ手話を覚えても、家族が覚えていなければ、家族間のコミュニケーションも難しく孤独になりがちだ。
そんな人々の話も書いてほしい...。
美和と英知、荒井家のその後も気になるので、著者丸山さんも触れていますが、是非スピンオフを!
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小説・文芸
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