感光生活

感光生活

小説・文芸
748円 (税込)

3pt

3.8

「その日も、呼び鈴は、いつにもまして、権力的に鳴った。その瞬間、わたしは神経を逆なでされ、理由もなく押したひとに反感を抱いた」(「隣人鍋」)。日常と非日常との、現実と虚構との、わたしとあなたとの間の一筋の裂け目に、ある時はていねいに、ある時は深くえぐるような視線をそそぐ15の短篇。

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

     自分と他者との関係を、感覚的に詩的に捉えた表現が卓越している。それでいて哲学的といってよいほど深く突きつめられてもいる。

     例えば、『石を愛でる人』の一節。手のひらの中で石ころをころがす場面。
     「石とわたしは、どこまでも混ざりあわない。あくまでも石は石。わたしはわたしである。石の中へわたしは入れず、石もわたしに、侵入してこない。その無機質で冷たい関係が、かえってわたしに、不思議な安らぎをあたえてくれる」
     
     ここに収められた15本の短編小説は、15通りの「人との関わり」を描いている。
     主人公は全て「こいけさん」だが、不躾に入り込もうとして「こいけさん」に拒絶される迷惑な隣人。知らぬ間に入り込んできて「こいけさん」を発情させてしまうが、期待に反して通り過ぎてしまう男。絶対にこちらから入いりこめないにもかかわらず、新たな何ものかを触発させる子ども達。思い出として「中に」刻み込まれているのに、形としては消え去ってしまったものへの郷愁。
     入ってこようとして拒絶されたり、入ってきて欲しいのにすり抜けられる。あるいは、既に中にあるのに失われてしまったり、産み落としたつもりはないがなぜか通じたり。すべては、自己と他者との関係について突きつめた思いの詩的な表現である。また、常に「こいけさん」は受身である側からさらりと表現している。

     この連休中に読もうと小説ばかり四冊購入した。その中で読みやすいという点ではこの本が群を抜いていた。他は川端康成の名作、藤沢周平の短編集、小川洋子のベストセラーである。同時に何冊か読み進み、読みやすくて面白くて「読めてしまう」ものから読んでいくのが私流だ。2位以下を大きく引き離してゴールしたのが小池昌代のこの本だった。
     いつも「なぜだかわからないが」読みやすい。といい続けてきたが、秋以降矢継ぎ早に読んだ小池さんの小説本も3冊目である。いいかげん「わからない」ままではと思い、今回大真面目に分析してみた。その結果だから理屈っぽくて難しい話になってしまった。
     まあ、わかりやすくいっちゃえば、女のエロスでしょう。だからといって今回の15編には肉体的に「入って」こられた話はない。そういう意味で官能ではありえなくて、あくまで「感光」であって、「入って」きたのは外界から射し込んできた光である。

     『感光生活』とは、光になる経験です。光となって事物を照らす、その目がつくる経験の世界です。と著者自ら説明してくれています。
     ですが私は、全く逆じゃないかと感じます。あたかもピンホールカメラの針穴から射す光に、フィルムが「感光」して画像を刻むかのように、その時々様々な他者との関係という光に「コイケさん」が感応して、その時々の色に自由自在に染まって像を定着させている。その自在さ軽やかさこそが著者ご自身もお気づきじゃない「読ませる」魅力なのではないかと思う。
     何事も言い切らぬ軽やかさ、なんの解釈も強要してこない気安さ。何の引っ掛かりも感じず読み始め、読み終わってもなにか物足りないにもかかわらず、常に爽やかな読後感。すべては小池さん自体が「感光材」だからでしょ。

     ただし、15編のうち唯一『蜂蜜びんの重み』だけは例外とみた。
     この1編だけは軽やかな感光材としてではなく、追いつめられながらも作家として生きていく「決意」が、『重み』として込められた物語だと私は見抜いた(あくまでつもり)。

     当たってるかどうか、小池さんに聞いてみたいものだ。

    0
    2011年02月27日

    Posted by ブクログ



     そのももの本質にまっすぐ根ざした、適切な重み。
     そのときわたしは、日常のなかで、わたしたちの生にに、
     気づかないほど微量に付加されている、
     さまざまなものの、
     さまざまな重みのことを思っていた。
              (「蜂蜜びんの重み」より)





     小池さんの目ににじむ光は、
     やわらかい、のか、あいまい、なのか。
     遮蔽物と投影面が近ければ近いほど鋭敏さを持つ光と影のコントラスト。
     すべての作品において、人と人との関係や、感情、そして虚構性までもが、その境界線をゆらめかせている。

     小池さんのファインダーは気まぐれか、確信的か。

     物語の襞の中で、くっきりと浮かび上がるかにみえる思想や感情は、
     単に読み手であるわたしの補正技術(願望)ゆえか。


     老齢の写真家は言った。
     「光の輪郭だけではないのだ。
      重さ。
      重さを撮ることが、写真というものなのだ。」


     読み終わって思い返すと、
     どの写真も、
     すべて、ぼんやりしている。

    0
    2009年10月04日

    Posted by ブクログ

    主人公の「わたし」(「こいけさん」と呼ばれる)と、非日常的な人々との関係について描く短編集。著者曰く、「こいけさん」は「わたしであってわたしでな」く、他の登場人物も「この本のなかで、こいけさんが、初めてわたしの前に連れてきてくれた人々」だそうだ(p.224「陽だまり――文庫版あとがきにかえて」)。

    まず、最初に浮かんだ感想は、「難儀な人やなあ」「難儀な話やなあ」だった。一番難儀な一編は「クラスメイト」。覚えているのも、忘れているのも、思い出すのも、難儀な話。

    ついで、「さびしさ」と「恋」の話だと思った。直接的に「恋」を描く話は少ないが(「蜂蜜びんの重み」と「ミミとわたし」くらいか)、傍目にみて「それは恋なのでは?」と思うような状況を、「わたし」や他の登場人物が(意識的にか無意識なのか)「さびしさ」に置き換えていく様を、読者は遠巻きに眺める。収録作の多くがそんな小説群として見えた。

    恋を感じない編もある。冒頭の「隣人鍋」や「ゴッド・オブ・チャンス」、「クラスメイト」など、恋とはまるで無関係な人間関係のなかに強固な壁が描かれている。この壁(相手を理解しがたい感じ)も「さびしさ」をキーとして小説群の中にまとまっていく。

    「壁」と書いてみたけれど、短編集のタイトル「感光生活」を考えると、溝やクレバスと捉えるほうが適当かもしれない。「わたし」の足元に口を開けたクレバスの割れ目に、ライトをあてて覗き込む。光の当たった面が、いびつな形、さびしい色をこちらに見せてくる。その形と色を物語性のある文章にしたもの、そんな感じか。

    0
    2026年08月16日

    Posted by ブクログ

    感想
    他者との境界。超えたと思っても実際には何も変わっていない。何を考えているかわからない。それなら外面に表れた行動を基に判断するしかない。

    0
    2023年01月26日

    Posted by ブクログ

    日常生活の中に立ち現れる新たな変容と、記憶のように甦る永遠の相…。「わたし」という謎の中心に生きて在る感触へむけて、深く降りてゆく15の短篇集。
    コイケマサヨという登場人物の周りで起こる不思議な物語の数々。エッセイのような味わいの短編集で、小池昌代が本格的に小説を書き始める前の作品らしいが、後の「狂気すれすれの作風」は既に感じられる。
    (C)

    0
    2010年05月29日

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