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極北の雪原に生きる狩猟民ヘヤー・インディアンたちは子育てを「あそび」として性別、血縁に関係なく楽しむ。ジャカルタの裏町に住むイスラム教徒は、子どもの喧嘩を「本人同士のビジネス」と言って止めない。本書は、環境や習慣が異なる社会における親子、子どものありかたをいきいきと描き出した文化人類学的エッセイである。どのような社会に生まれても子どもは幅広い可能性を内包しながら成長していくことが、みずからのフィールドワーク経験をもとにつづられる。鮮彩なエピソードの数々が胸を打つ名著。
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Posted by ブクログ
カナダのヘアーインディアンの子育てをベースに、世界各地の民族の様々な子育てについて紹介している。 読みやすい書き口でスッと入ってくる。 ヘアーインディアンの子は、教わることをせず、見て学ぶ。 子育てに正解はなくて、どのようにしても育つ
本屋で偶然目にして購入 優しい語り口の文章で、電車の移動中や寝る前、ほんの束の間の時間の読んでもつかれない良書。 理解しやすいのに、読んでいてとても考えさせられます。 子どもを育てる身として参考になるし、今現代社会は、特に本邦では戦後最も出生率が低下している時代に直面している中で、多くの人に目にし...続きを読むてもらえたらなと思う。 また、社会人として、20年以上まえに新卒生だったころと比べると、今は教わる、教えるが当たり前になった。違和感はそこに「自分自身で学ぶ」という姿勢があるかどうかだと思う。私が社会人の中堅以上の存在になってから、ずっと感じていた違和感はここにあった。教わる教えるが当たり前ではやはりないと思う。自分で学ぶという姿勢がそこになければ。 私自身は、教えるのであれば、学ぶ姿勢は伸ばしたいが、学ぼうとする意欲の無い人に教えたいとは思わない。子供の学びたいを伸ばすにはどうしたらいいかを考えようと思う。 エアーインディアンの記述から教えられることは自立とはなんぞやである。そこは是非本文を読んでいただきたい。また読み返したい一冊であった。
「自分でできる様になった」と、カンジキの話がとても面白かったです。 確かに、ガチガチにカリキュラムが固定されている学びの体制のデメリットは、「自分でできる様になった」体験が少ないかも。 社会人になり立場が上になった時、自分で学びチャレンジする姿勢が無い人は自己を高める事が出来ない。
正解も間違いもないし、なにしろ「結果」というものが一生わからない「子育て」 こういう風になるのが良いハズだ、という希望や理想を外からの影響で持たされそうになるのが、今の日本には少しある気がしてる。 驚いたのは、「教える、教えられる」という考え方が無い文化圏があるということ。何かをできるようになる...続きを読むには、ほぼ「教える、教えられる」という行為が発生すると思っていたけど、その文化圏では「なにいってるの、自分でできるようになったんだよ」という答えが返ってくるそう。 著者もあとがきで書いているけど、日本での子育てに取り入れられる何かが書いてあるわけではない。 でも、全く知る由もない文化圏の子供への関わり方を知ることで、「子どもにこうしてあげなきゃいけないのではないか」とときどき押し寄せる不安を、ちょっとなだめてもらえる一冊になった。
当たり前だと思ってたことがそうではないこと。人の幸せと自分の幸せは違うこと。しんどくなった時に目の前を広げてくれる気がする。
映画「ゆめパの時間」を見て、子どものことを考える材料として買った。 川崎ゆめパークでは子どものやりたいを大事にして、子どもに危険と思われる刃物や火の使用も認めている。 一方、本書で登場するヘヤーインディアンの子どもたちもナイフや斧などの刃物をかなり幼いときから使うのを大人が止めないという。大人はその...続きを読む道具を使えるようになる過程を重視しているという。 また後の方のページにも出てくるが、人が人に命令するようなことはせず、各人が各人の守護霊に従うという考え方や、子育てを「遊び」のカテゴリーに入れており、子どもを一人の人間として尊重するという考え方、教える教えられるという言葉が存在しないこととも関係していそうだ。 日本式の少し窮屈になりすぎた子育てとは別用のあり方が読んでいて面白い。
カナダ北西部、北極に近いタイガで生活する狩猟採集民ヘヤ―・インディアンと暮らして、その子育てや子どもの育ち方について文化人類学者である著者が考えたこと、感じたことを中心に、環境や習慣が異なる社会における親子関係や子どもの在り方を平易な文章で生き生きと描いたエッセイ。 環境のあまりに異なる社会の...続きを読む子育てをそのまま取り入れることはできないだろうが、多くの可能性を感じさせるヘヤ―・インディアンの子どもたちの育ち方を知ることができて、ますます余裕のなくなってきている日本での子育てを考える上で多くのヒントを貰ったような気がする。 (もっとも、ヘヤ―・インディアンも学校教育を受けたり、文明の利器を入手したりしているだろうから、現在はどんな生活を送っているのだろうか?)
世界にはいろんな生活様式があり、社会での子供の扱いや役割もずいぶんと違うものだと改めて思う。 この本は主にヘヤー・インディアンの子供達について書いてあるが、民族のしきたりとしてどんな事でも自分の守護霊と対話し決定するので、親だからといって子供に何か指図したり命令する事はないそう。そして子供を育てる...続きを読むのは「あそび」というカテゴリに入っているそう。狩猟民族なので狩りやそれにともなう処理などが「しごと」、娯楽も少ないので子供を育てたり子供の過ごす様子を見たりするのが「あそび」であり、自分の子が育ったら養子をもらってきたりもするそうで。子供もある程度大きくなると労働力になるから、生きるための知恵も含まれていると思うが、日本で普通に子育てしている身としては全くなかった発想。この子をなんとか育てなければ、お世話しなければと半ば義務的に一生懸命になっている自分に風穴があいたような。たまにはあそび・娯楽と思って子供と接してみるのもいいかもしれない。 場所が変われば正しいとされる事も全く変わる。世界のいろいろな子育てを知れば、行き詰まった時に救われる事もあるだろう。
子どもにわかりやすく書いた文化人類学のお話と勘違いして読み始めた.子供への考え方,育て方,関わり方などについて,カナダのヘヤーインディアンやジャカルタのイスラム社会,イスラエルのキブツなどいろんな民族の違いによって異なることを示していて,どれが正しいとか悪いとかではなく,その違いがとても面白かった.
著者が、極北に暮らすヘヤー・インディアン(「ヘヤー」は野うさぎの意とのこと)やイスラムのジャカルタ・アスリ、オラン・ジャワ、それからイスラエルのキブツの人びとなどの、とくに子供が「どういうアプローチで(おとな目指して)社会と関わっていくか」(だとわたしは感じた)を、実際見聞きして書いた本。成長の仕方...続きを読むがひとつではないことを実際の経験に基づいた文章から示されたことにより、ヒューマニズム否定派でありながら「人間」という枠を越えられないでいたわたしも、これぞ(例えばものを教え教わって覚える)」という鋳型に嵌められうる「人間」は元来居なかったのだと気づくことができた。現代人は効率重視的で楽をしたがり、またなにかと斜に構えたがって「教わる」中でさえ失敗したくないように見えるし、わたしは「人間の身体にあることがイヤ」なので、ついほかの生きものと対比して考えてしまうけれど、実際は、「人間」も、それぞれの環境に即したわざを獲得するちからを持ち合わせているのかもしれない。また、「守護霊との対話に導かれる」かれらがとてもうらやましい。それは、厳しいものかもしれないが、自然と隣り合って暮らしていなければ、滅多に会えないものだから。 それはそれとして、女の子を閉じ込めて勉強もさせず、男の子の知恵と勢力がやたら強まる教育はなんというか……つらい(ヘヤー・インディアンの社会ではない)。
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