感情タグBEST3
Posted by ブクログ
カナダのヘアーインディアンの子育てをベースに、世界各地の民族の様々な子育てについて紹介している。
読みやすい書き口でスッと入ってくる。
ヘアーインディアンの子は、教わることをせず、見て学ぶ。
子育てに正解はなくて、どのようにしても育つ
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本屋で偶然目にして購入
優しい語り口の文章で、電車の移動中や寝る前、ほんの束の間の時間の読んでもつかれない良書。
理解しやすいのに、読んでいてとても考えさせられます。
子どもを育てる身として参考になるし、今現代社会は、特に本邦では戦後最も出生率が低下している時代に直面している中で、多くの人に目にしてもらえたらなと思う。
また、社会人として、20年以上まえに新卒生だったころと比べると、今は教わる、教えるが当たり前になった。違和感はそこに「自分自身で学ぶ」という姿勢があるかどうかだと思う。私が社会人の中堅以上の存在になってから、ずっと感じていた違和感はここにあった。教わる教えるが当たり前ではやはりないと思う。自分で学ぶという姿勢がそこになければ。
私自身は、教えるのであれば、学ぶ姿勢は伸ばしたいが、学ぼうとする意欲の無い人に教えたいとは思わない。子供の学びたいを伸ばすにはどうしたらいいかを考えようと思う。
エアーインディアンの記述から教えられることは自立とはなんぞやである。そこは是非本文を読んでいただきたい。また読み返したい一冊であった。
Posted by ブクログ
正解も間違いもないし、なにしろ「結果」というものが一生わからない「子育て」
こういう風になるのが良いハズだ、という希望や理想を外からの影響で持たされそうになるのが、今の日本には少しある気がしてる。
驚いたのは、「教える、教えられる」という考え方が無い文化圏があるということ。何かをできるようになるには、ほぼ「教える、教えられる」という行為が発生すると思っていたけど、その文化圏では「なにいってるの、自分でできるようになったんだよ」という答えが返ってくるそう。
著者もあとがきで書いているけど、日本での子育てに取り入れられる何かが書いてあるわけではない。
でも、全く知る由もない文化圏の子供への関わり方を知ることで、「子どもにこうしてあげなきゃいけないのではないか」とときどき押し寄せる不安を、ちょっとなだめてもらえる一冊になった。
Posted by ブクログ
映画「ゆめパの時間」を見て、子どものことを考える材料として買った。
川崎ゆめパークでは子どものやりたいを大事にして、子どもに危険と思われる刃物や火の使用も認めている。
一方、本書で登場するヘヤーインディアンの子どもたちもナイフや斧などの刃物をかなり幼いときから使うのを大人が止めないという。大人はその道具を使えるようになる過程を重視しているという。
また後の方のページにも出てくるが、人が人に命令するようなことはせず、各人が各人の守護霊に従うという考え方や、子育てを「遊び」のカテゴリーに入れており、子どもを一人の人間として尊重するという考え方、教える教えられるという言葉が存在しないこととも関係していそうだ。
日本式の少し窮屈になりすぎた子育てとは別用のあり方が読んでいて面白い。
Posted by ブクログ
世界にはいろんな生活様式があり、社会での子供の扱いや役割もずいぶんと違うものだと改めて思う。
この本は主にヘヤー・インディアンの子供達について書いてあるが、民族のしきたりとしてどんな事でも自分の守護霊と対話し決定するので、親だからといって子供に何か指図したり命令する事はないそう。そして子供を育てるのは「あそび」というカテゴリに入っているそう。狩猟民族なので狩りやそれにともなう処理などが「しごと」、娯楽も少ないので子供を育てたり子供の過ごす様子を見たりするのが「あそび」であり、自分の子が育ったら養子をもらってきたりもするそうで。子供もある程度大きくなると労働力になるから、生きるための知恵も含まれていると思うが、日本で普通に子育てしている身としては全くなかった発想。この子をなんとか育てなければ、お世話しなければと半ば義務的に一生懸命になっている自分に風穴があいたような。たまにはあそび・娯楽と思って子供と接してみるのもいいかもしれない。
場所が変われば正しいとされる事も全く変わる。世界のいろいろな子育てを知れば、行き詰まった時に救われる事もあるだろう。
Posted by ブクログ
何か参考になることあるかなと思って手に取ってみたものの、1960年代のカナダの原住民(やその他の民族)の子育ての様子を記録したもので、さすがに時代と環境が違い過ぎた。
ただ、短編集のようで読みやすいし文化人類学の読み物としては面白い。