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放射能汚染の中で生きるとはどういうことか?長年にわたって原子炉実験所の現場にいながら、原発の危険を訴え、反原発を主張してきた京都大学原子炉実験所助教の著者が、かつて旧ソ連チェルノブイリ事故後、人々が放射能にどう立ち向かうか、放射能汚染にさらされた食糧や健康被害について、科学的に数字を上げながら綴っていた!野菜、牛乳、母乳、玄米など、すでにチェルノブイリ後から放射能汚染の数字は出ていた。食糧汚染や健康被害をどう受け止め、どう生きていくか。今こそ読むべき、原発を考える最適な1冊!
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Posted by ブクログ
1991年、小出裕章氏の著書の復刊本、 1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故発生、 原発の廃止を訴え続ける主張、 福島の事故を受けて復刊された。
1992年、チェルノブイリの事故のあとに出版された本書を再読。全くここから学ばなかった我々に、それを上回る惨事が襲いかかった。自業自得と言わざるを得ない。食品の汚染はもはや避けられない。セシウムばかりが話題になるが、現実には様々な核種が飛散している。セシウムくらいしかまともに測定できないからに過ぎな...続きを読むいのだ。暗鬱たる気分になる。そして今も我々は現実から目を背けて生きているのだ。
さすが、小出先生の徹底した『反原発』の主張 個人的には、小出先生の論調はあまりに極端に聞こえて 苦手でした。 でも、本書では、 汚染の結果を第三世界の人々に押し付けるな! 食物が汚染されていても、責任のある大人がなるべく食べるべきだ! という主張までしていて、説得力がありました。 福島原発の事...続きを読む故以来、 いろいろな原発関係の本を読みましたが、 汚染したことの責任は自分たちがとるべき、 汚染食物を食べる選択をすること、 そこまでの主張をしているのは、この本だけでした。 確かに、そのとおり 東電を責めるだけでは、全くの片手落ち。 否、両手落ちかも。
震災以降、反原発の論説でよく引用さる京大の学者の本。チェルノブイリ以降に発表された著作・論文(?)のエッセイ。冷戦時代の核実験ならびにチェルノブイリ由来の放射性物質がいかにして日本の農業・作物に取り込まれていったかの記録・分析は参考になる。また、著者は放射性物質で汚染された食品は、原子力発電の恩恵を...続きを読む受けてきた西側諸国が消費すべきであり、原子力発電の恩恵を受けていない新興国(当時の呼称では発展途上国)におしつけるべぎてはない、という考えを展開している。これが、1990年当時、国内の原子力反対派の主流派と著者の間の考えの相違となったという回顧も書かれている。いわば、「反原発運動」という、一種の哲学・イデオロギーの成立を近代史的に俯瞰できる本。ただし、放射性物質が実際のところどれくらい健康に問題をもたらすか、という点については詳述がされていない。
厳しい内容の本です。東日本大震災より以前に書かれた本なのですが、「原発に反対」することの意味を深く考えさせられました。 様々に設定されている基準との距離感や過去の核実験、事故のことについての一つの見解と態度の取り方が示されてありました。 本書で提起されていることについて他人事でなく、考えていかなけれ...続きを読むばとおもいます。
1992年に書かれた本の復刊。 チェルノブイリ原発事故による放射能汚染の現実とその後の影響、また原子力発電の危険性について書かれている。 東日本大震災による福島の原発事故で現実に起こっている放射能被害と本書の内容が一致してきているようで原子力発電について大いに考えさせられた。 原子力を専門に研究して...続きを読むいる著者が、その危険性について20年も前から訴え続けていたことが、国と電力会社の言う「日本の原発は安全だ」の言葉にかき消され、またリスクについて正しい情報提供がなされていなかったのではないだろうかと最近の原発事故に関するニュースを見ても思う。
『まえがき』 ・本書は1992年に刊行された。 『序 生命の尊厳と反原発運動』 ・1979年のスリーマイル島原子力発電所で大きな事故が起こった。圧力容器の蓋があけられ、水底深く沈んでいる破壊された燃料の取出しが始まった。そこには単細胞の微生物から、バクテリア、菌類、そしてワカメのような藻類までが、...続きを読む炉心の中に増殖し反映していたのです。どんなに強い放射能汚染があっても、新しく生命を育む生きものたちが存在していたのです。 『第1章 チェルノブイリの死の灰はどこに行ったのか』 ・4月26日に日本から8000キロメートル離れた場所で起こった事故の放射能が、5月4日の朝に日本で観測されている。 ・千葉県の玄米に含まれていたセシウムのうち、わずか6%のみがチェルノブイリからのものだった。残りは核実験から来ていたものだ。 『第2章 弱い人たちを踏台にした「幸せ」』 ・日本が汚染した食品の輸入を規制しても、放射能の総量は消えない。弱い立場の人が食べるだけだ。原子力発電の恩恵を受けていない人たちにも。 『第3章 放射能汚染の現実を超えて』 ・繰り返しになるが、放射能で汚れた食べ物を私は食べたくない。日本の子どもたちにも食べさせたくない。しかし、日本と言う国が少なくとも現在原子力を選択している限り、日本人は自らの目の前に汚染した食料を上らせて、原子力を選択することの意味を充分に考えてみるべきだと思う。
チェルノブイリ原発事故のときに書かれた本の復刻です。最悪な事にこのときの教訓が生かされずに日本で原発事故が起こってしまいました。チェルノブイリ事故の際も、日本の食物が汚染されたという事実があったにもかかわらず、事故は風化されてしまいました。 この本の主張は反原発ではありますが、反原発運動にも疑問を投...続きを読むげかけています。汚染から日本だけを守ることは不公平で、原発を生み出した先進諸国こそが汚染を受け入れる責任があるという主張です。原発が生み出した電気を使っている全員が加害者ということです。原発に関係のない第3世界の人々や原発に賛成した責任のない子どもたちからこそ放射能の汚染から守る必要があると言っています。 この考えには共感ができました。しかし、自分の口にはなるべく放射性物質に汚染された食物を入れたくないという考えもよくわかります。さまざまな考えをまとめあげ現実的な解におとしこんでいくためには、やはり情報を知る必要があります。また、他の本も読んでみようと思っています。
チェルノブイリ原発事故後、著者が様々な場面で発表した論文や講演をまとめた本。 著者は、人間が放射性物質を処理する能力をもたぬままに利用しようとして、将来の世代に汚染を残す選択をしてきたことを強く批判している。放射性物質がその能力をもっともよく発揮できるのは爆弾に使われたときであり、平和利用と称して...続きを読むエネルギー政策に利用することは、事故に対する安全性からみても、環境汚染の観点からしても、コスト面からみても、いずれも合理的でないと指摘する。 また、世界規模の放射性物質による汚染は戦後に何百回と繰り返された核実験によるものがほとんどであり、チェルノブイリ事故のインパクトはそれに比べて非常に小さいことを紹介している。 こうした主張を、原子力の専門家としての立場から客観的な検証をもとに論ずるだけのものであることを期待して私は読み始めたのだが、「反原子力」の議論をどう「運動」に結び付けるのか、あるいは「運動」の方法はどうあることがよいのか、といった、政治運動への言及が多くなされている点は期待していなかったことだけに戸惑いを覚えた。個人的に著者のイデオロギーに必ずしも賛成できない部分もあったため、読み進めるにつれどうしても素直に主張が頭に入ってこなくなってきた感じも受けた。
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放射能汚染の現実を超えて
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小出裕章
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