ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか

ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか

ビジネス・実用
1,870円 (税込)

9pt

4.2

若くして才能を発揮しながら、29歳で夭逝した童話作家・新美南吉。代表作「ごん狐」は、50年以上にわたって小学4年生の国語教科書に採用され、読み継がれているが、その今日的な視点については見過ごされてきた。 コミュニティが果たす役割、生態系の保護や自然との共生、民俗知の継承といった課題が見直されるなか、南吉の描く世界は、現代社会に多くの示唆を与えてくれる。 遺された童話群を柳田国男、宮本常一ら民俗学者が掘り起こしてきたフォークロアの世界と比較するなど、作品に潜む思想性を読みなおし、今の時代を生き抜くヒントを見出していく画期的な試み。

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ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    「北の賢治、南の南吉」として、宮沢賢治と並び称された童話作家の新美南吉。

    これまでは児童文学の範疇でしか語られることのなかった南吉だが、本書では、「ごん狐」や「手袋を買いに」など南吉の作品に描かれたコミュニティの役割、自然との共生、進歩や発達への懐疑、自己犠牲の意味など、日本人が歴史のなかで培ってきた叡智を、民俗学的な視点から解き明かしている。

    新美南吉が創作活動を行った1930~40年代、ちょうど日本は戦時下にあり、南吉の作品もその影響を少なからず受けている。
    その作品群は、南吉の素朴な戦争観を表すものとして批判されるが、「大きくて立派なものではなく、小さくてささやかなもの」を愛した南吉の作品を読み進めていくと、それこそが等身大の現実を表現しているように思えてくる。
    当時の世間の雰囲気や、様々な制約の中で物語を描かなくてはならない現実が、見えてくる。

    児童向けの童話であっても、むしろそうであるからこそ、理想に逃げずに、現実を描いている。

    「ごん狐」は、鈴木三重吉の改変により現代にまで受け継がれる物語となった。しかし、それによって失われてしまったものもある。
    「最も弱いもの」ならではの感情、「なしになってしまう」ことによる儚くも強くあるものが、そこにはあった。

    南吉は結核のため、29歳の若さで亡くなったという。
    ちょうど今の自分と同い年である。
    違う時代に生きた同世代の人間が、何を思い、何を考えていたのか、興味深く読めた。

    狐のフォークロアについての話しも面白い。

    東日本大震災以降、日本の民俗知が見直されてきている。
    新美南吉という、民俗の現場で物語を紡いできた人物が何を見て、何を思い、何を書いてきたか知ることで、日本人が受け継ぐべき叡智を改めて考えることができる。
    柳田国男の民俗学をとおして見ることで、新しい日本社会の在り方が見えてくる気がする。

    「ごん狐」という多くの日本人が小学生の頃に読んだ物語をとおして、日本の民俗知を見直し、新しい日本を創っていくための一冊。

    0
    2014年05月26日

    Posted by ブクログ

    なるほどなー
    新美南吉さんの作品を民俗学の観点、歴史の観点などなどから様々考察している本

    新美南吉さんの戦争への思いや、明治35年頃(1902年)はまだ狐にだまされるというのが当たり前のように信じられている日本だった、というそもそもの時代観、民族観の話とか。

    それが変わってきたのが1965年頃という。
    なかなか最近やないかい、と思いつつ、半世紀、一世紀違うのというのは本当に、文明も価値観も世の中も変わるんだなと思う。

    それでも、今でも胸にせまる新美南吉さんの作品。それはなんなんだろうと思ったとき、「屁」という作品を通じて書かれていた畑中さんの文章が印象的だった。

    南吉さんは、大人社会の狡猾さと同じものが、子ども社会にあると指摘し、子どもという存在を、童心主義で捉えていないんだと。


    そのうえで、社会や人生には不条理があるよ、とそういうのを鋭く切り取り、それを小学五年生ぐらいを一つの区切りとして、そのくらいの児童に向けて書いているのではないかと。



    本当にその通りだなと感じた。
    そういう如何ともしがたいものを、美しい文章で物語化されていて、どうにも惹きつけられた。


    そして、やはり「ごんぎつね」

    ごんぎつねは、どうして死なねばならなかったのかのところ

    最後兵十に撃たれたとき、ごんぎつねでは
    「ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」とあるが、


    「ごんぎつね」の草稿「権狐」の段階では、
    「ぐったりなったまま、うれしくなりました」と書いてあったと。

    そーかー、そうだったのかと。
    やっぱりそうかと。

    悲劇で終わらせてはよくないような、そういうものがようやく腑に落ちたような、そんな感じ。


    確かに途中、村の人にもごんが後ろからつけて歩いていても気づかれず、ずっとひっそり一人で暮らしているごんの描写を思い返すと、ごんは本当に見つけてもらいたかったんだな、なかなか目にとまってもらえない狐の自分を、認識してもらいたかったんだな、と。

    だから、わざわざ裏口から入っていった
    見つけてもらえるように。自分だと、わかってもらえるように。まさか撃たれるとまでは思えなかったけれど、そこはやっぱり小狐で、ただ、栗を持っていっているのが自分だとわかってほしかっただけなんだろうな、と思った。


    でも、最後撃たれてしまう。

    草稿の権狐では、「うれしくなりました」であったことに、ごんは、幸せだったのか、よかったのか、また複雑な思いに駆られる。


    そしてこの本の最後、
    「なしになってしまう」こと、あるいは、なにかを失くしてしまうことでしか、他人とつながれない人々や動物が出てくるとあり、それを通して伝えたかったものは何なのか
    、とまた考えてしまう。

    強さなのか、悲しみなのか

    まさに、南吉自身も様々な喪失をし、自分の身にも死が迫っていたさなか、「なしになってしまうこと」をテーマにすることで、自分の抱える悲しみ、諦念、でも最後まで成すべきことをするんだという、強い思い、そういうものを作品にすることで昇華していたのではないかと思う。

    「おじいさんのランプ」とか、「牛をつないだ椿の木」とか、「去年の木」とか、どれもよかった。
    どう、折り合いをつけ、何を次の世代に残すのか。

    どの作品にも幼少期からその時に至るまで抱えてきた、抱えきれなかった南吉さんの思い、みたいなものが主人公らに託されていたように感じる。


    自分はどうやらもう死ぬことは免れないが、童話集を世に残し、作品を世に残し、自分の思いが次の世代に文学作品として残ったなら、それは、
    悔しくも悲しくもあるが、うれしさもまたある。

    それが南吉さんの思いだったのだろうか。

    いやあ、だいぶ考えさせられる新美南吉さんの作品たちだった

    さてさて自分はどう生きるか

    堪能

    0
    2025年11月23日

    Posted by ブクログ

    新美南吉の作品について民俗学的な視点から考察した一冊。
    なかなか面白かった。

    『ごん狐』と『おじいさんのランプ』ぐらいしか読んだことがないので、他の新美南吉作品も読んでみたくなった。

    0
    2014年11月14日

    Posted by ブクログ

    以前記事で畑中氏のインタビューとこの本が紹介されていたので読みたくなった。理由は私が絵本や童話に興味が出ていることと、以前読んだ『新耳袋』(編/木原浩勝、中山市朗)という実話シリーズで狐に騙される話がいくつも出ていたので興味を持ったからというのもある。

    この本のタイトルは、ごん狐だけでなく、新美南吉さんの作品全般に示されることであると思う。
    “なにかをなくしてしまうことでしか、他人とつながれない人びとや動物が出てくる。”
    新しいものの前には、失われたものがあるのだ。

    この本を読むにあたり、『ごん狐』『手袋を買いに』以外の読んだことのない新美南吉さんの作品をいくつか読んだ。
    古い風習、失われていく文化と文明開化、孤独、残酷さなどファンタジックではなくリアルな描写で魅力があり、とても引き込まれる。また、読後に胸がギュッと締め付けられるような何とも言えない気持ちを残す。まだ読んでない作品も多いので読みたい。

    権狐、鈴木三重吉による改変で、ごん狐となり、この部分は全く印象や言いたいことが異なるようになっていると思う。
    “ぐったりなったまま、うれしくなりました。”→“ぐったり目をつぶったまま、うなずきました。”
    私は元のうれしくなりましたの方がいいなと思う。権狐の気持ちがあらわれているから。

    ー目次ー
    狐のフォークロア
    文明開化とノスタルジア
    共同体の記憶
    不確かな世界
    最も弱いもの

    0
    2013年10月26日

    Posted by ブクログ

    いくつも、あった。
    何かは言葉にしにくいけれど。

    灯りや共同体や子どもやおじいさんや、私の好きな事柄は随所に紹介されて(そして再発見させて)いたが、権狐とごん狐の違いが一番、知れて良かった。

    "「権狐」(または新美南吉が描き出したものたち)は、何故(時代の中で)撃ち殺されたのか?"
    他の方のレビューを読んではっとしました。
    そもそもはタイトルに煽られて半ば怒りの中で手に取ったのに、童話の世界に夢中になりすぎて全然考えられていなかった。反省。

    0
    2013年10月01日

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