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Posted by ブクログ
〈本から〉
武術はとにかく動きを、できるだけ省略したい。分数の計算に譬えれば、約せるものは約してすっきりした形にしてから計算したい。なぜならその方が計算が速いからです。
比重の大きいものほど瞬間に来るショックが大きいはずです。つまり、“あそび“がないからです。“あそび“がなければ、いきなり大きな負担がきます。こういう瞬間的に加わる力は武術での攻防に有用です。つまりそうした攻防の場合には、“あそび“がない方がいのです。
自動装置が働いていることを体感でとらえて、不安定を使いこなすようになると、身体の働きの幅が広がります。
受け身だけはできた方がいい
筋肉についても実はよくわからないことが多いのです。(略)解剖学者の養老孟司先生から伺ったのですが、筋肉が縮むように見えるとき、その筋肉の細胞レベルではいったい何が起きているのかはわからないそうです。
日本には物事のコツ=骨をつかむという表現があります。骨の動きがまずあって、筋肉がその邪魔をしないようにという考え方だってあるわけです。筋肉が主役になるのではなく骨をどう動かすかをまず考える。いわば骨主筋従ですね。これに対して筋主骨従が現在のトレーニングの主流ではないのでしょうか。
本当に身体が使える人間というのは、ある意味で自分をうまく操縦している感じです。
かつての日本人は原則として歩行時に手を振りませんでした。
愛する、愛されるという人間としての根源的なことに対して自分の感覚が開けば、それに伴って身体も大きく変化します。
暗いから明るくする。ところが、明るくすると逆に遠くが見えなくなる。
永田農法とは肥料と水を極力与えないで、植物自身の持つ「生きる力」を最大限に活用する方法です。水は一般栽培の百分の一。枯れるかどうかのぎりぎりまで追いつめることによって、逆に必死の生命力を喚起するわけです。
「基本が大切」と言っている人のほとんどは「基本が大切らしい」といったレベルだと思います。私は、私の技の中には基本を作らず、絶えず基本が何なのかを探求するようにしています。
世界的な数学の発見を独学でやった梶川泰司氏
「何がやりたいのかわからない自分を大切にした」
なにごとにつけても、結論は、指導者ではなく、本人が出さなくてはなりません。
身体の本当の要求に耳をすます
昔から子供を育てるコツとして、「少し飢えさせ、少し寒くさせる」というのがあります。今の環境において、何もかもが過剰になってきていることが身体に問題として出てきていると思います。
美意識が人生を支える
美意識は、生きがいに直結した強いものです。理屈なしに好きなものがあれは、死ぬ直前であっても楽しめます。生死を分けるようになぎりぎりのときに、最も力になるのはこうした精神的な豊かさに想い至れるかどうかで、このことこそが人の生の意味を決するのだと思います。
Posted by ブクログ
この本はきっとヒントなのだと思う。
自分が正しいとか、古武術を取り入れれば健康になるよなんてことは書いてない。
ただ、甲野善紀さんがこれまでの独自に学んできたことの研究報告のようなものなのだろう。だから、もしかしたら数年後にはまったく正反対のことを言っているかもしれない。
だけど、そこにはまったく矛盾はなくて、この本を書いた時はこれが甲野さんにとっての現時点での答えなんじゃないだろうか。
当たり前にあるものに対して疑問を持ち、自分なりの仮定を持つ。
旺盛な好奇心をもって様々な工夫をこらしながら、答えを導き出し、しかしてその答えに決して固執しない。
常に疑問を持ち続ける姿勢が素晴らしかった。
答えを求めれば求めるほど泥沼にはまってしまうし、「これ!」という答えを得た時にそれに縛られてしまうんだ。
体に関する本なのに、なぜだろう感動する。
Posted by ブクログ
【要旨】
古武術と言っても、字際には創作武術。古伝を参考にして模索している。特定の古伝・流派を受け継いでいるわけではない。指導をするというよりも、共同研究をしている気持ち。
一流のプロ選手でも、古武術的に見れば、重心の処理の仕方一つとっても、手続きが掛かり過ぎる。武術はとにかく動きを省略したい。
西欧的な身体の動かし方はうねり・捻りの動きが特徴的である。うねりの欠点として、急ブレーキ・急発進とロスが多い。また、威力があるが、時空間に準備が必要ですぐに使えない。一方古武術では、例えばふっと膝を抜けばためになるし、自分の体重をそのまま使うことができる。「なんば歩き」は身体を捻らない動きで、曲がるときも、いったん足を踏ん張って捻って方向転換するのではなく、歩きながら突然足を払われたように、自分の側面に倒れるように向きを変える。こうしたことによって、筋肉の力や捻りによるためを使わず、自分の体重を使って、素早く方向転換することができる。
そもそも、力や速さを同じレベルで考えることが重要である。体力測定などでは、数値化されたものが、筋力によるものなのか、身体の動かし方によるものなのか分からない。動きの質を追求していくと、現代のトレーニングは筋肉が主であるのに対し、古武術では、骨(骨格)が主である。
【感想】
個人的にスポーツをする人間として、甲野氏の指摘するように、筋肉を主に運動してきたように思う。しかしながら、筋肉は衰えるものである。効率の良い動き方を考える際に、古武術を基礎とした動き方は非常に有意義だと思った。
【目次】
第1章 今に生きる古武術
第2章 古武術とは何か
第3章 技の術理
第4章 発想を育てる
Posted by ブクログ
今日の古武術ブームの発端を築いた甲野善紀が、自身が古武術に興味を持ったきっかけや、近代武道と古武術との違い、桑田真澄選手や桐朋学園のコーチなどとの交流、人生観や文明観などを、平易な文章で書き起こしたエッセイ。
甲野善紀の本は、武道研究などの専門書、多分野の知識人との対談本、生活などに応用可能な古武術技法を解説したノウハウ本が多いが、この本は専門外の人じゃなくても誰でもが読みやすく、甲野善紀の思想がよくわかる本なのでとてもとっつきやすく面白い。
この世代の人が、古武術を発見するある種のジェネレーションの問題があることに気付かされることもある。1949年生まれとのことなので団塊の世代になるが、おそらく気風的にはその少し後くらいの感覚ではないだろうか。農学部出身ということもあるかもしれないが、自然農法のことが書かれていたり、バックミンスター・フラーに影響を受けた数学者の話が書かれていたり、既存社会への反抗というより疑いを持って、自分で確かめよう、というカウンター・カルチャーやヒッピー的な気風があるような気がする。
自分がぶちあたった人生の難題を解くために、禅の「無門関」にヒントを得たり、その具体的な方法として古武術にたどりついたり、日本人がすでに日常生活の中で日本人の伝統的な身体作法や心の訓練を失った後に、自分の体を通して、日本人の伝統や生き方を発見していく、というのが甲野善紀のたどってきた方法らしい。
そういう意味で、日本人がすでにかつての日本人でなくなった後の、日本人の伝統の再発見ということになるだろうか。外国人からの日本文化の発見ということではないが、それに近いものもある。だが、身体の中に伝統が潜在しているという意味で外国人とは少し違う。ただ、外国人や異分野の人にも影響を与える普遍性も備えている。その辺がとても面白いと思う。そして、冷戦の終焉や新しいグローバリズムの中で、日本人の文化を見直す基底となる発見であることは間違いない
Posted by ブクログ
10年前ですから、甲野先生が世に広く知られるようになり始めた頃の本ですね。
桑田氏や、桐朋高校の話が出てきます。
森田真生氏はM君で登場しますね。
桑田氏は、今まで取れなかったような打球を取れるようになったそうです。
10年経って僕にもそんなことが無いかと考えて思い当りました。
落とした物が、地面に着くまでに間に合って受け取れる。
こないだも子供が落としたお菓子をなぜかキャッチできてました。
膝の抜きが自然にできてるんじゃないかなーと。
分かりやすいのはそれくらいですが^^;
自分の身体感覚を掘り下げていくのは楽しいです。
身体感覚を掘り下げながら、村上春樹みたいに内面を掘り下げて行けたら、
何か自分の鉱脈の様なものに辿り着けるんでしょうか。
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