「冷凍庫に入れる」はput it in the freezerなのに「電子レンジに入れる」だとput it in my microwave ovenとなる.どういう論理や感覚がこの英語表現を支えているのか.著者が出会ってきた日本人の英語の問題点を糸口に,従来の文法理解から脱落しがちなポイントをユーモア溢れる例文で示しつつ,英語的発想の世界へ読者を誘う.
本書は、英語の一つのバリエーションである「アメリカ語」を中心に書いてある。ネイティブの観点から、日本人の「アメリカ語」の欠点を正している。世界の政治経済軍事の頂点に立つアメリカの「アメリカ語」をより深く理解することは、「対米従属」の日本人にとっても有意義だろうと思う。
しかし、英語は「アメリカ語」の他にも、ご本家イギリスの「イギリス語」がある。さらに、アイルランド、フランス、ドイツ、フィリピン、日本などの人々が使う英語がある。平凡な日本人である私の拙い経験によると、世界各国の人たちは、それぞれ適当に英語を使っていることがわかる(ような気がする)。
アイルランド人同士が、私が書いた英語を巡って「正しい」いや「間違いだ」と議論した。これは、日本人同士が日本人が書いた日本語を巡って紛糾することだってあるから、そういう程度のことかもしれない。
ある会議では、隣席のアメリカ人がフィリピン人の英語がサッパリわからないと私にボヤいた。それを聞いて私はちょっと安心した。
別の会議では、イギリス人+アイルランド人のグループとアメリカ人のグループが論争になったが、隣りのアメリカ人が私にウイングして「彼らは互いに誤解している」と囁いた。私はサッパリわからなかったが、出まかせにブロークンで「Same word, different meaning. Different word, same meaning.」と応じたら、そのアメリカ人は「Agree !」と応えた。
とにかく、平凡な日本人が、ネイティブ英語を身に着けることは大へんな難事業である。平凡な日本人が仕入れてばかりの「アメリカ人の心に触れる気の利いたフレーズ」を披露すると、アメリカ人はスピーチレベルを上げて応じるから、早晩平凡な日本人は馬脚を現し、会話について行けなくなる。平凡な日本人が、ネイティブを相手に、そのような努力を延々と続けなければならないのかと思うと、絶望的な気持ちになる。
ネイティブ英語を勉強することは、決してムダではないが、その度が過ぎるようであれば、本末転倒になる。自分の専門分野の勉強時間を削って、ネイティブ英語の勉強をすれば、自分の専門分野での国際競争力が落ちる。だからと言って、受験英語レベルの英語を笑われるのもシャクである。「何かを得るためには何かを失う必要がある」。自分が置かれた実情に応じて、バランスを考えながらやって行くしかない。
平凡な日本人が苦労してやっているネイティブ英語の勉強をしなくていいネイティブの連中が羨ましい。
だが、平凡な日本人がネイティブのマネをするのは当然だとしても、それが咄嗟に「ouch」と発するようになると、何かヘンな気がする。余裕がないのだから「イテテテ」が自然であろう。怒ったら、恐い顔をして「コラッ!」で十分通じるだろう。もちろん、ネイティブ英語を熱心にマネしているうちにネイティブになることを否定するつもりはない。
私はビジネスを通じて、考え方が論理的であれば、英語表現が「受験英語」に毛が生えたレベルでも何とかなることを経験した。バカボンのパパの名言「これでいいのだ」のマネをして、「受験英語」でいいのだ、と言いたいが、あまり自信はない。
学生時代に出会った本です.
日本人や日本語をよく理解している英語ネイティブスピーカーの著者が,日本人だからこそ持っていないため間違えるネイティブ感覚による英語表現について,わかりやすく解説している名著です.
例えば,昨夕バックヤードで皆でバーベキューをした際に鶏肉を食べたなぁ,ということを思い浮かべて,Last night, I ate a chicken in the backyard.と言ったとします.
この表現は日本人的にはなんら変とは感じないでしょうが,ネイティブは、月夜の晩に裏庭で鶏を一匹捕まえて口から血を流しながら食べる怪しい人を思い浮かべてしまうかも...(正解は,... I ate chicken ...)
ネイティブの英語感覚の世界へどうぞ!