入院した身内の見舞いに行ったら長時間待つ羽目になったので、待合の「院内文庫」にあった本のうちこれを手に取ってみた。チベットの地の鮮やかな描写に惹き込まれてよくわからないままに読み進めると、設定が次第に明らかになってくる。
原発事故で日本の全土が居住不能レベルに汚染されたとしたら―この作品は小説の形を
...続きを読むとった思考実験なのである。
表題作はディアスポラ(撒き散らされた者)となりチベットの地に難民として暮らす日本人、同時収録作「水のゆくえ」はダム建設予定地だったとある地に残留する村人が仮定されている。
こんないい小説なのになぜあまり話題にならなかったのか不思議だなと思うくらい。著者のガラの悪さがために軽く見られてしまっているとしたらもったいない。それとも、著者は20年前の臨界事故に着想を得てこの作品を書いたらしいが3.11以降中途半端なリアリティになってしまったからだろうか・・・もっと読まれていい本だと思う。
P9 あの、日没時に分厚い大気を透過してやってくる夕日の叙情はこの地ではありえない。そのために万物は途方もなく長い影を持つ。
P71 ダライ・ラマはこの風の中にいる。土地にでもない、血統の中にでもない【中略】チベット人がいる限り、ダライ・ラマはその中に生まれる。そしてカイラスがあそこにあるように、風はなくならない。
P94 死ぬのに理由はいらない。しかし、死は理由なく訪れてきて、家族の永遠を断ち切るのだ。