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  • 「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    山岳遭難の話で有名なのは、羽根田治氏の山岳遭難シリーズがあります。
    遭難者本人や関係者にインタビューをして遭難状況を紹介しているが、「そんなことで遭難するの?」とか「遭難の予兆に察していれば遭難しなかったのに」などといった内容が紹介されている。そして、自分は羽根田治氏の本で多くのことを学んだ。
    ところが、この本の著者はインタビュー内容ではなく、看護師としての実体験をもとに紹介している内容になっている。
    初心者の目線で遭難のプロファイリングをしたり、遭難者家族と接触することで心境の変化や家族に与える影響などが伝わってくる内容になっている。

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    2026年10月01日
  • 「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    筆者は民間の山岳遭難捜索チームを立ち上げた。

    ちょっとした山歩きのはずだったのに、大切な人が帰ってこない。
    地元の警察が捜査を打ち切る難しい事案も、家族の方の思いに答えて引き受ける。
    家族からの聞き取り、SNSでの目撃者探しなど、手を尽くして遭難者のことを知り、捜索すべき場所を絞り込んでいく。
    家族は憔悴し、ときに厳しい言葉を投げつけられても、家族に寄り添いながら。
    筆者は看護師でもあり、患者のプロファイリングと同様に、丁寧に話を聞いていく。その中で、「この人ならこう判断したかも…」と、登山家の目線ではわからないことに気づき、発見につながることもある。

    山はいのちの保障などどこにもない場所だった。
    いつも登っている山でも、「まだほんの序盤」というような場所でも、一つ間違えば滑落したり、道に迷ったりする。
    大声を出せば登山道に届くような、それくらいの距離しか離れていない場所でなくなる方もあるようだ。

    ヘリで捜索してもらえるように、ヘリコプター救助契約(発信機の電源が入っておらず、救助されなかった方もいた…)。残された家族のために山岳保険、など、聞いたことない手立てもあった。
    誰もが安全に下山できたらいいのに…。

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    2026年09月18日
  • 「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    胸が詰まるほどに、切ない内容が多いが、山登りする方にはぜひ読んで欲しい。
    山岳救助隊の皆様の活動の一面が知れ、これまでとは違う見方になりました。事故がない無事な登山を祈ることしかできない。

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    2026年03月29日
  • 「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    本書に出てくるLISSのような遭難者を捜索する活動には頭が下がる思いがした。

    「家族から遭難者本人の性格や出かけた際の持ち物を聞き取り、登山の仕方や遭難者の人柄といった様々な背景をプロファイリングして、足取りをたどる」ということまで捜索するというのには驚いた。

    そして、「捜索する上で大切なのは「遭難者の視点から山を見る」ことだ」ということもなるほどと思った。ベテランの登山家からするとそんなコースには行かないだろうというところでも、遭難者の性格まで考えてその日通ったかもしれないルートを一つ一つ潰していく作業は地道である。

    本書に取り上げられた遭難者はそれほど高い山に登ったわけではなく、ちょっとした道迷いなどにより遭難している。そして、皆、単独での登山である。登山は比較的手軽な趣味となってきているが、色々と考えさせられる。

    捜索をする人々の決して諦めない努力により日数がかかっても、無事にという表現は相応しくないが、遺体が発見される者もいれば、残念ながら発見に至らない者もいる。いずれにしても残された家族の心情を想像するに胸が苦しくなる。

    また、屍蝋化した状態で発見される遭難者もいたとのことで、驚くとともに発見までにかかった年月の長さにまた心揺さぶられた。

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    2026年02月01日
  • 「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    注!
    内容に触れています



    本屋で見かけて、つい買ってしまったのは、最初の山が棒ノ折だったから。
    というのも、「棒ノ折で死んじゃうことあるの!?」と思ったからだ(^^ゞ
    あと、遭難した人の性格やら何やらでプロファイリングして、「当日どんな行動をしていそうか?」と推理して捜索するというのが面白いと思ったのもある。
    いや、よくよく考えたら、「プロファイリング」という言葉を使わないだけで。遭難した人を捜索する人は、ある程度それに近いことをやっているような気がする。


    そんなわけで、棒ノ折編「第一章:偶然の発見」を読み始めたら、出てきた地図に「そうか、名栗湖ルートか!」と、たちまち納得した。
    自分は棒ノ折を奥多摩側からしか登ったことがないので。
    棒ノ折というと奥多摩の山というイメージだったこともあり、奥武蔵になる名栗湖ルートのことはすっかり忘れていたのだ。

    そういえば、10年くらい前。もっと前か?
    「久しぶりに奥多摩辺り、ぽこぽこ歩いてこようかな」と思いたって、ガイドブックを見ていて、名栗湖ルートの棒ノ折のところに、“沢沿いの登山道で、ゴルジュが云々”とあるのを見て、「面白そうなルートだな」と思ったんだけど。
    行かなかったのは、休日に池袋の駅の雑踏の中の乗り換えが億劫だったからだ(^^ゞ
    お陰で自分は遭難しないで済んだ……
    ということではないよ(爆)

    ていうか、全然ない(^^ゞ
    ただ、読んでいたら捜索途中で別の遭難者の遺体を発見したとあったから、一般ハイキングコースとはいえ危険が潜んでいるルートなんだろう。
    少なくとも、行程の1/5くらいが舗装された自動車道の奥多摩側のルートよりは。
    あ、でも、最近はクマがいるし(・・;)
    ていうか、自分が棒ノ折に行った時も、帰り道に違う道(わさび田の道?)に入りかけたんだった(爆)

    …というわけで、山で油断は禁物。
    ていうか、家の中だって危ない。
    実はこの間、階段で滑って。両脛を嫌というほどぶつけちゃって、いまだに痛いのなんの……って、そういう話じゃないw

    「第二章:母が帰らない」の舞台は、奥秩父の飛竜山。
    「飛竜山ってことは、奥秩父主脈縦走の途中?」 それとも、「雲取〜笠取山〜雁坂峠くらいまでの縦走ってこと?」と思っていて、地図を見てびっくり(゜o゜;
    「将監小屋から飛龍山往復? えっ、そんなルートあった!?」

    …というわけで、ネットで見てみたら、よっぽどのオタクしか行かないルートのようで。
    ていうか、そもそも飛龍山自体が地味も地味(遠くから見ると、どっしりした山容で、いい山なんだけどねw)。
    確か、「山頂の展望もなかったんじゃなかったっけ?(ネットで見たら多少はあるとのこと)」なこともあり、「飛龍山!?」と思っていて、ふと、思ったのは「(失礼ながら)自殺目的かな?」だった。
    いや、それくらい地味な山なのだ。
    ぶっちゃけ、飛龍山というのは、雲取から奥秩父主脈縦走の途中にあるピークの一つで。飛竜山目的で登るって、聞いたことがない。
    しかも、この本に載っている地図を見る限り、かなりのロングコースだ。
    「この人、よっぽどの山オタクだったのかなぁー」と不思議に思いながら読んでいたら、やっぱりこの本の著者も、“なぜ、このルートを選んだのか?”と書いていて。
    ていうか、“このルートは少し特殊だ”って、“少し”じゃないだろー。“かなり特殊”だろー!って(^^ゞ

    山に行く人っていうのは、みんな、どこか変なところがある(爆)
    でも、「普通の変」じゃ、このルートにはまず行かない。
    よっぽどの「札付きの変w」じゃないと、選ばないルートだと思うのだ。
    そもそも、飛龍山を目的に登るというのが変わっている。
    体力的に言っても、ルートファインディングやヤブコギといった技術的に言っても、それ相応の経験を積んだ「かなり変な山ヤw」しか意欲を掻き立てられないルートだと思うのだ。
    遭難した方は、よく一緒に山に行っていた人たちから、このルートに行った時の写真を見せられて行ったということだけど。
    それまで仲間とガイドツアーを利用して山に行っていた人が、単独行で行けるルートではないし。
    というより、行っていいルートではない。
    そもそも、ガイドツアーを利用していた人なら、まず行こうという気にはならないルートだ。
    ガイドツアーで行く山というのは、ある程度人気がある山であるはずだ。
    人気がある山というのは道が整備されている。
    でも、人気のない山…、人があまり入らない山(やルート)というのは道が整備されていない。
    また、人気がある山の道は小ピークを巻くように作られているのに対し、人気のない山の道は尾根のデコボコを忠実になぞるように作られていることが多い。
    だから、人気のある山ばかり行っている人が人気のない山に行くと、コースタイムは同じでも疲れ方が全然が違う。
    当然、ガイドツアーを利用して山に行っていたこの人も、このコースを歩き出してすぐに道の歩きにくさと疲れ方に気づいたはずだ。
    なのに、この人はそのまま進んだ。
    なぜ進んだのか、そこが第三者にはわからない。
    ただ、遭難する時(あるいは遭難しかけた時)というのはそういうものなんだろう。

    結局、この方は往路の行程の1/4くらいにある竜喰山から東の尾根に迷い込んでしまったようで。
    その竜喰山から3〜4時間くらい行ったところで、沢に転落してしまったようだけど。
    迷い込んだその尾根って、どの程度の道があったのか?(踏み跡程度が途切れ途切れにあった程度って気がする)
    まぁその竜喰山までの道も、どの程度の道だったんだろう?だけに迷い込んだ道の「ほとんど歩かれていない道感」がある道だったろうから、逆に迷い込んだ尾根にも違和感を持たなかったのかもしれないが。
    それにしても、遺体の見つかった場所は、目的のルートを行っていれば通過するはずの大常木山の倍くらいのところだ。
    しかも、このルートを行くのに地図を持っていなかったって、どういうこと!?
    もはや理解の外……、
    という感じだ。

    そういえば、学生の頃、谷川岳の本を読んだことがあって。
    一ノ倉等の岩壁の初登攀争いの話や、有名な宙吊りになった遺体を自衛隊が銃でザイルを撃って回収した話等、谷川岳にまつわる様々なエピソードを紹介した本だったんだけど、谷川といえば遭難ということで、数々の遭難の経緯も紹介されていた。
    その中に、“まるで、自ら死へと、死へと向かっていっているような行動をしていた…”みたいな文章があって、すごく印象深かった記憶があるんだけど。
    それは、この遭難にも感じるかな。
    ていうか、泊まった小屋で次の日の行動予定とか訊かれなかったのかな?
    本人だって、このルートを行くんであれば、普通は小屋の人にルートの状況を尋ねると思うのだ。
    だって、主にツアーで山に行っていた人だよ。
    主にツアーで山に行っていた人が、初めて一人で、しかも、途中道が定かでなかったり、ヤブコギをしなきゃならないかもしれないコースに行くんだよ。
    そんなルートを行くというのに、注意やアドバイスを求めなかったんだろうか?というのも不思議だ。
    ただ、山に限らず、人というのは時々わけのわからない行動をするものだからなぁー。
    うーん…。
    それにしてもわからない。
    あ、もしかしたら、ずっとツアーで山に行っていたからこそ、道が途中消えていたり、ヤブコギが必要かもしれないコースがあることを想像すらできなかった……、
    ということなのかな?

    「第三章:一枚の看板」の舞台の秩父槍ヶ岳っていうのは全然知らなかった。
    「秩父槍ヶ岳って、なんじゃそりゃ!?」って思っちゃったくらい(^^ゞ
    というわけで、ネットを見てみたら「あー、これは面白そうだなぁー」って。
    学生の頃、ヤマケイか何かで紹介されてたら、絶対行ったと思う。
    今だって行こうと思えば行けるんだろうけど、その前に、まずは奥多摩のハイキング辺りからやり直さなきゃ絶対無理だ(爆)

    「第二章」もそうだったけど、この遭難も不思議。
    遭難の原因は分岐を逆に行ってしまったことなんだけど、地図で見る限り、そこはT字の分岐なのだ。
    つまり、目的の秩父槍ヶ岳に向かう尾根とはまるっきり反対側に進んで行っちゃったということだ。
    ネットで見ると、ルートはかなり急だから、その分岐にたどり着いた時点でその方は相当体力を消耗していた可能性はあるし。
    岩を登ったり、巻いたりするようだから、方向感覚が多少おかしくなっていた可能性もある。
    急登をずっと登っていると、頭の中がカラッポになるし、足元ばっかり見て周りを見なくなる。
    だから、分岐に突き当たった時、たまたま目が向いていた方に道らしきものがあるとそのままそっちに進んでいってしまう可能性はある。
    ただ、間違った道を進んでしまったとしても、1時間に1回とか、数十分に1回、必ず休憩をとるはずで。
    休憩時に地図を見て自分が今いる場所を確認するとか、道が荒れすぎていないか?と疑問を抱くとか。
    そもそも、休憩をしたら目的のピークが見えないか探すはずで、その時に「歩いてきた方向が何か変だな?」と思ってもいいような気がするんだけどなぁー(樹林帯や霧等で視界がなかったのかもしれないけど)。
    もしかしたら、この人も地図やコンパスを持っていなかったということなんだろうか?
    今は登山アプリがあるから、それで十分というのはあるのかもしれないけれど、でもそれはポピュラーな山の話だ。
    この手の道が未整備で、ルートファインディングが必要な山の場合、自分がいる位置や目的の方向をマクロに俯瞰出来る地図(+コンパス)は絶対必要だろう。

    ていうか、この章の最後、著者は「道に迷った時、沢を下っては絶対ダメ。道に迷ったら沢を下るのではなく、尾根に上がれ」みたいなことを書いているけど。
    でも、それって、山の入門書には基本中の基本として書いてあることだ。
    学校の山岳部等に入ったとしたら、最初に厳しく教え込まれることである。
    第二章といい、第三章といい、もしかしたらこれらも百名山ブームから今に続く山ブームの危うさってことなのかな?という気がした。

    「第四章:捜索の空白地帯」の舞台は丹沢。
    丹沢といえば沢登りが有名だけど、これも沢の遭難のエピソードだ。
    これもよくわからない遭難というなら、よくわからない遭難なんだけど。
    ただ、わからないながらもギリギリわからなくもない……、みたいな?w
    ていうより、“丹沢の沢を全制覇まで残り僅か”って、「一体ナニモノなんだ!?」って感じ(・・?
    60代の10年前から丹沢で沢登りを始め、毎週丹沢に通っていた……って、まぁそういう人もいるにはいるんだろうけど。
    でも、何ごとにも執着しないが信条の自分wからすると、「それにしたって何で丹沢の沢だけ? 丹沢以外にも沢登りのいいルートはいくらでもあるだろうに!?」と思ってしまうのだ。
    ていうか、それ以前に「なんで毎週丹沢で沢登り? 山以外にも楽しいことはいくらだってあるだろうに!?」という話だろう(^^ゞ
    そういえば昔、100名山オタクの人が東北の山を一気に登ろうと計画をたてて、朝日や飯豊、鳥海、月山、蔵王……等々行っている内、どこかの山で遭難したらしいんだけど、それがどこかわからなくて捜索が難航したという話があったけど。
    この遭難もそれと同じパターン。
    山に取り憑かれてしまった人というより、自分の妄執に取り憑かれてしまった人なんだろう。

    「第5章:目的の人だけ見つからない」はテレビでもやっていたよね。
    舞台は庚申山〜皇海山なんだけど、行程が12時間以上のルートで、(個人的な見解としては)そもそも無理があるルートって気がするかなぁー。
    もちろん、山慣れしている人ならば歩けるんだとは思う。
    でも、12時間のルートということは、休憩や展望を楽しむ時間を含めれば大まかな目安として、12h×1.5=18時間だ。
    6月だったとしても、仮に朝の4時前に行動開始したとしても、戻ってくる時は真っ暗だ。
    ヒマラヤ登山じゃあるまいし。好きで行く山を、たんにその山の頂上に登ることを目標にしてしまうことに何の意味があるんだろう?
    …と、思っちゃうんだよね。自分は(^^ゞ
    だって、山頂なんて、たんなる山の一部分だ。
    もちろん山頂に行くのも山の目的(=楽しみ)だけど、でも、それは他にも色々ある山の目的(=楽しみ)にすぎない。
    色々楽しめない山はツマラナイ。
    ツマラナイ山なら行かない。行きたくもない。家で寝てた方がいい(^^ゞ
    でも、そういう人もいれば、そうじゃない人もいる。
    それぞれ、好きに山を楽しめばいい。
    そういうことだ。
    でも、「山行」というのは、“家を出て家に無事戻って来るまで”であるのも確かだ。

    「第6章:長いお別れ」の舞台は、自分も危うく遭難しかけた巻機山(爆)

    ま、この巻機山の遭難についてはこの本を読めばいいわけでw
    よって、ここは自分が巻機山で遭難しかけた経緯を書く。
    よって、「そんなの読みたくねーよ!」という人は読むのを止めていいけど、「いいね」だけはしてよね(爆)
    うん。まぁー、別にしなくてもいいんだけどさw
    ていうか、「いいね」だけしている人は、そもそもここまで読まねーか(^O^)

    自分が巻機山に行ったのは、確か4月の下旬。
    目的は巻機山に登るというより、山スキーで滑降することだった。
    もちろん計画では山頂まで行くことになっていた。
    ただ、天候が悪く、霧が出てきたこともあって。
    結構上まで行ったところで、同行者と「ここから滑れば十分楽しめるよな」と話して、スキーを穿いた。
    確か、自分だけ滑り出すのが遅れたんだったかな?
    滑り出した時、霧越しに滑っていた同行者の背中が、かなり下に見えたのを憶えている。
    滑っている同行者の背中を見たんだから、滑る方向がわかっていたのは確かだ。
    そもそも上ってきた沢筋が滑走ルートだ。
    だから、滑走ルートを把握していた……、と思いこんでいたのが過信だったのかなぁー。
    ちょっと滑って、比較的平らな場所に出たので、そこでスピードを緩めて滑る方向をそれとなく確認した。
    その時、確認した風景は今でもハッキリ憶えている。
    霧越しに、右手には比較的背の低い木々がまばらに生えている林(山で林というのも変だけど)があって。
    左手には、本来の滑走ルートである、広く開けた沢がそこから急斜面になって落ちていた。
    登ってきたルートは、ずっと広く開けた沢筋だった。
    登り始めはともかく、木々の中をぬうような場所はなかった。
    なのに、なぜかあの時は右手の背の低い木々が生えた方を滑るルートだと思い込んで、そのまま滑って行ってしまったのだ。
    木々が生えている間隔はまばらだったから、最初は木々をぬうようにスキーを走らせることが出来た。
    木々の間をぬうようにスキーをターンさせるのを楽しんでいたくらいだ。
    そう、その楽しさもクセモノだったんだろう。
    滑る楽しさで、登ってきた時にこんな場所があったっけ?と考えることが出来なくなっていたんだと思う。
    その楽しい滑走は急に終わった。
    雪面がガクッと急に落ち込んだのと、木々の生える間隔が狭くなったことでスキーを滑らせながらターンをすることが出来なくなったからだ。
    今になって思えば、登ってきたルートにそんな急傾斜で木々が密に生えている場所はなかったのだから、そこでルートを間違えていると気づくべきだ。
    というより、気づかないのが変なのだ。
    なのに、あの時は気づけなかった。
    同行者に遅れて滑り出したので、早く追いつかなきゃという焦りもあったのか?
    その密に木々が生えた急斜面を下へ下へと滑らせていた。
    スキーを滑らせていたといっても、そこはもうターンが出来るような場所ではなかった。
    木々の間を斜滑降で滑って、比較的木々のまばらな場所を見つけて、そこでキックターンしてまた滑り出すみたいな方法でしか滑れなかった。
    そんな滑走をどのくらい続けていたのか?
    やっとルートを間違えていることに気づいたのは、斜面がさらに急激に落ち込んでいたことで慌ててスキーを止めた途端、はるか下の方から沢のサーっという音が聴こえてきたからだ。
    その瞬間というのは、頭の中に「ヤバイ!」とか「ルートを間違えている!」といった明確な言葉はなかったと思う。
    「元のルートに戻れ!」と頭が指示を出したというより、体が元のルートに戻るよう、勝手にその斜面を登ろうとしていた。
    とはいえ、足にはスキーを穿いている。
    登るために貼り付けるシールは持っていたけど、そんな余裕は全くなくて。
    スキーを横向きにして登っていたんだけど、それだと木がジャマで登れない。
    しょうがないからスキーを脱いでツボ足で登ろうとして、スキーを脱いで足を雪面に着いた時、初めて「これは本当にヤバイ」と思った。
    登ってきたルートは雪面が固まっていたからツボ足でももぐらなかったのに、そこはズボッとたちまち太腿までもぐったからだ。
    しかも、ザックにくくりつけたスキーが木の枝にひっかかるから、油断しているとそ後ろにひっくり返りそうになる。
    木々があるから滑落することはないだろうけど、深雪の中、しかも斜面でひっくり返ったら起き上がるだけでも大変だ。
    体力も相当消耗する。
    それでも、そこを登って、元のルートに戻らないと絶対帰れない。
    一歩登っては、足を太腿までもぐらせて。一歩登っては、足を太腿までもぐらせて。
    さらには枝にひっかかったスキーに体を後ろに持っていかれたりしながら、必死に登ったんだろうけどその後の記憶はない。
    憶えているのは、滑るルートを間違えた、あの平らな場所から滑り出したこと。
    あとは、沢筋の広い斜面をしばらく滑っていたら、霧の中に同行者の姿が見えて。
    「オマエの親に何て言ったらいいのか、そればっか考えてたよ」と、ホッとした顔でゲラゲラ笑っていたことだけだ(^_^;)


    投資をする人が、よく「バブルは、誰もバブルだと言わないからこそバブルだ」と言うけど、それは山の遭難にも言えて。
    遭難する時というのは、自分が遭難しかけていると思わない。
    だから、その人が遭難するように、遭難するように、まるでわざわざ選んでいるかのように遭難へと向かってしまう。
    山の遭難にはそんな一面があるように思う。
    いや、もしかしたらそれは山に限らないのかもしれないけど(・・;)

    今、ふと思い出したんだけど、劔に行った帰りの別山尾根で剣御前だったか、一服剣の山頂にその頃は珍しかった外国人がいて。
    話好きの人だったのか、しばらくおしゃべりをした。
    おしゃべりを終えて山頂を下ろうとした時、後ろから「ソコ、ミチチガウ」という声を聞いて慌てて足を止めたなんてことがあった。
    あれなんかは、たぶんその外国人とおしゃべりした楽しさで頭がイッパイのまま歩き出したことで、たまたま目についた道らしきところをルートだと思いこんで(というより、決めつけて)、そのまま進んでしまったんだと思うのだ。
    それは、「山に登っている時に家のことを考えていると転ぶ」という山の格言(?)に通じているのかな?なんて思った。

    0
    2026年10月14日

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