■相手に気を使い、心の中であれこれ葛藤を抱えているのに、それを顔に出さないように気を付けながら毎日を過ごしている。こういう傾向の人は多数派を占めている、いわゆる「普通の人」でこのような人たちを(著者は)「人格系」と呼ぶ。
反対に将来や過去にあまり興味がなく、今現在のことに心を奪われやすく、目の前のことに熱中すると、つい周りが見えなくなってしまう人。目の前に現れる新しいことに衝動的に飛びついてしまい、それまでやっていたことを放り出して、やっていたことさえ忘れてしまうことがある人。熱中し過ぎて、ほどほどでとどめられず、気が付くと周囲から浮いてしまう。このような人たちを「発達系」と呼ぶ。
■人の性格を構成する要素には様々なものがある。持って生まれた先天的な要素もあれば、成長する過程で加わった後天的な要素もある。そのうち先天的な要素でさえ人それぞれ異なり個性的であるが、そこにはすべての人に共通した要素もある。このすべての人に備わっている共通の要素が後から付け加わっていく多種多様な特徴の土台となる。人は後天的な出来事の影響でそれぞれ変化していく。それでも変遷を重ねる性格の奥の奥に最初からあって変わらない基盤。それを精神病理学では「中心気質」と呼ぶ。
■自己愛性人格障害に現れる二つの方向性のうち、過敏に見える現れ方は周囲の反応に敏感で極度に恥ずかしがりやであることに代表される。関心は他者に向き、注目の的になるのを意図的に避け、批判を懸念して人の話をよく聞く。傷つきやすく、後悔や罪悪感が強く、抑うつ的である。通常は目立たないことを好むが、時として自尊心や自分の価値を否定されるような侮辱に対して激しい憤怒で反応する。自己愛憤怒である。
一方、鈍感に見える現れ方は周囲の反応に気づかず、傲慢で攻撃的になることに代表される。関心は自分自身に向き、注目の的になることを望む。周囲から称賛を浴びたい一心で自己顕示的で自己主張が強くなる。他者の傷つきに対して鈍感になり、自分が特別扱いされて当然と思い誇大になる。
前者が自己愛性人格障害の基本形であるのに対し、後者はいわゆるナルシシストでありエゴイストである。一般に「自己愛の強い人」と呼ばれるのは誇大なタイプのこと。
■「躁的防衛」とは自分が大切にしていたものを失ったり、傷つけてしまったりしたときに心に浮かんだ不安や喪失感を打ち消すために行われる反応。現実に存在する自分の暗くてもい気持ちを否認して、少し高ぶったような躁的なふるまいをすることから「躁的防衛」という名称となった。
■アメリカでは自分こそリーダーに相応しいと主張する人が多くいるが日本には周りからリーダーをやってくれと頼まれてからでないと動き出さない人が多い。これは文化の違いが同じ人格系から違う面を引き出している好例。
■自己愛性人格障害の二つの方向性は一見正反対に見える。しかし、そうさせる心の仕組みは同じ。どちらも周囲の評価を過剰に気にしている点で共通している。
日本で見られる自己愛性人格障害の現れ方はたいてい過敏で抑うつ的であるが、ときとして鈍感で誇大になるパターンが顔を見せるそれは人格系の特徴に関しても同じ。