作品一覧 2019/08/02更新 オリンピックの輝き ここにしかない物語 試し読み フォロー 義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦 試し読み フォロー 東京五輪1964 試し読み フォロー 1~3件目 / 3件<<<1・・・・・・・・・>>> 佐藤次郎の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦 佐藤次郎 「何もしていない自分が気軽に中止しろって言えないな」と率直に思ってしまった。 コロナの影響で、オリンピック・パラリンピックの中止を求める声がどんどん大きくなっている。 けれども、この舞台に人生をかけて、想いを込めて向かっていた人たちがいる。 大きな挫折や事件があり、乗り越えようともがいた人たちの夢の...続きを読む舞台を「中止すればいい」と気軽に言えない。 どんな決断になっても、この大きな努力と決意をした人たちの夢が叶えられる舞台が今後できればいいと思っている。 Posted by ブクログ 義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦 佐藤次郎 義足というものがどのようなものかを垣間見れた。 義足で歩けるようになるまでの最初の痛み。 足を失ってしまった喪失感・精神的な落ち込みや混乱の中、 切断部から血を流しながら、痛みの中、歩行訓練をする。 膝折れによる転倒の恐怖とも戦わなくてはならない。 「走る」だなんて、思いつきもしないだろう。 彼ら...続きを読むに寄り添う臼井氏の人柄と努力には、尊敬以上の感情を覚える。 「できれば風みたいに、いるかいないかわからないような存在」でありたいと、臼井氏は言う。 偉そぶらずに、静かにあたたかく真剣にサポートする。 人生をかけて、彼らを支える。 こんなこと、なかなかできない。 走ることなんて想像できなかった人たちが、仲間の姿に胸を打たれて、走りだす。 彼らは、口をそろえて言うそうだ。 「走り始めると、全てが変わってゆく」と。 足を失った喪失感が深い分、再び走れるという喜びは、言葉にならないほどだったろう。 そして、走ることを高めれば高めるほどに、義足に対する羞恥心やわだかまりが消えてゆく。 走る速度が上がり、自分の力で風を生んだ音を聞いたときの、彼らの快感や喜びが、伝わってくるような気がした。 板バネ義足の反発力を制御する難しさも、垣間見ることができた。 板バネ義足は、しっかりと体重を乗せて制御する必要がある。 走るための基礎的な体力ができあがっていないと、板バネは使いこなせない。 体に負担が大きいのだ。 なんだか、厚底の靴に少し似ているな、と思った。 【memo】 「脚で走ろうとしちゃいけない。腰で走るんだ。腰を前に突き出すようにすればいい」 →靴も同じ。 「多少のけがは気にしない」 →その勇気が、前に進む鍵なのかもしれない。 風の快感 走って風邪を体感する。音を聞く。 臼井氏の人柄・努力 「できれば風みたいに、いるかいないのか分からないような存在に」 Posted by ブクログ オリンピックの輝き ここにしかない物語 佐藤次郎 日本のオリンピアンを中心に、選手それぞれの背景を含めてコラムのように紹介されている。 古橋廣之進が、全米選手権に出場する前に、マッカーサーから出国許可のサインをもらったなど、知らない話も紹介されていた。 初期の日本代表の方が話として面白かった Posted by ブクログ 義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦 佐藤次郎 2013.2.4発行。「義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦」。ー走るということは喜びそのもの・・・- 全国に約6万人の義足使用者がいるそうです。義足で走ろうなどとは考えられない時代が長く続いて・・・。この本は、28歳で義肢製作の道に入った臼井不美男(うすいふみお)さんの「義肢で走る、走れば世界が広...続きを読むがるはず」との長年の熱意と努力、そして彼の夢に並走したアスリートたちの物語です!人間の限りない可能性に感動するとともに、五体満足な自分としてしっかりしなくてはと強く思いました! Posted by ブクログ 東京五輪1964 佐藤次郎 1964年の東京五輪、15日間を、様々な人物にフォーカスしながら描いていく一冊。金メダリストもいれば、選手村で理容師として働いた女性、陸上競技のスターターなど、裏側の面からも描いているのが面白い。基本的に「存命の方に話を伺う」というスタンスがあるからかもしれないけれど、必ずしも、当時注目されていた競...続きを読む技だけではないところも、そこにこそあの東京五輪の雰囲気がかもし出されているんじゃないかと思うのでした。バレーボールも、東洋の魔女と言われた女子チームではなく、男子を追いかけたり、マラソンも銅メダルをとった円谷ではなく(彼が亡くなっていることもあるけれど)寺澤徹選手に話を聞いていたり。 それにしても、あの時代の、あのオリンピックは、本当に特別だったんだ。日本の行事だったんだ、ということがしみじみと伝わってきます。メダルを期待された選手も、それぞれの役割を持った人も、競技や出番が終わった時に何よりもほっとしたと語っていることが印象的。金メダルを獲得した選手すら、嬉しいよりも安堵が先に立つ。期待された重圧というのはあるのだろうけれど、それがもう今以上のモノだったんだろうなと。 7年後のオリンピック、確かに楽しみなのだけれども、あの時ほどの“特別”にはならないだろうという確信と、残念さと、それを日本が成熟した証として、オリンピックをいいものにしたいと、自分を含めて期待を込めてみるのでした。 Posted by ブクログ 佐藤次郎のレビューをもっと見る