マーケットに並び、リーズナブルな価格で誰でも手にすることができるサツマイモ。
その"サツマイモ"の原産地から伝来、やがて日本にも渡来し、下見吉十郎が現れ、後に芋地蔵として崇められるに至るまでを記した研究書。
タイトルには"コロンブスから"とありますが、スタートはもっと古く、ゲノムの分析から原産地が特
...続きを読む定されふるさとが特定されるところから記載があります。
熱帯アメリカを原産地とするサツマイモは、15世紀終わりにコロンブスによってヨーロッパに持ち帰られます。
日本へは中国から、その頃の琉球王国を経由して薩摩に伝わりました。
このヨーロッパから日本への伝来部分が特に詳しく、また、様々な文献からいろいろな考えが論じられていることに驚きを感じました。
コロンブス航海誌に度々登場する"アヘス"と呼ばれる芋、これがスペインで"バタタ"と呼ばれるようになり、後にスイートポテトと名を変えます。
その後、世界への伝来は3つのルートがあり、などなど、日本に伝来して以降がメインと思い書を開きましたが、想定以上に日本伝来までのルート、その間のドラマの記載が濃密でした。
また、一方で下見吉十郎伝説に関するパートも濃密です。
そもそも下見吉十郎とは何をした人か、Wikipediaでは大まかに以下のような記載があります。
「六部僧として諸国行脚中、九州を巡っていたところ、お世話になった農民にサツマイモを振る舞われる。
故郷の大三島でサツマイモを育てたいと考えたが、薩摩藩は芋の持ち出しを禁じていたため、仏像に種芋を隠し命懸けで薩摩国から持ち出す。
サツマイモは大三島から広まり、享保の大飢饉の際にも、大三島の周辺では1人の餓死者を出さなかった」
そして、その100年の後に吉十郎は、いも地蔵として大三島に祀られます。
その伝説がどこまで本当であるか、当時、種芋を持ち出すことの禁止令が本当にあったのか、吉十郎が伝えるため大三島にサツマイモはなかったのか、飢饉を救っていたのかなどについて、文献と当時の状況から考察し、吉十郎とは何者か、なぜ没後100年も経った後に祀られるようになったのかについて解説のある書になっています。
定説の誤りを正して、明らかにする内容ですが、"定説"の方を知らなくても楽しめると思います。
サツマイモというありふれた野菜に対する歴史とドラマを感じることができる一冊でした。