今年読んだ本の中で確実に上位に入る傑作だった。文体こそ平易だが、言っていることを理解するのはかなり骨が折れた。それでも、読んでよかった。
内容
(特に印象に残ったところを自分の言葉で解釈し直しました。)
1930年にガンディーが刑務所にいた時に、書かれた手紙。手紙の中では、アーシュラムというヒンドゥー教の戒律を解説している。
真理
人間は、真理への献身に全人生を捧げるべきだ。真理のあるところには、真の知識があり、喜びも存在する。真・知・喜の三位が一体になったものが、神だ。神すなわち真理への献身には、一途な信仰とその他一切への無関心を必要とする。
アヒンサー=愛
真理とは(本文中に...続きを読む は明示されていないが)、この世界を動かす原理原則を指している。真理に近づくために、ガンジーは愛の重要性を強調する。なぜなら、愛の実践は、無私を徹底することでもあり、そうしてはじめて、人間は自分を超えた世界の理を理解することができるからだ。
なぜ、無私の徹底が、真理への到達に必要なのか。それは、人間は、死滅する肉体を有する限り、人間は有限性の中に閉じ込められ、無限の真理を理解することができないからだ。肉体から来る利己的な欲求を抑え込むことではじめて、真理に近づくことができる。
個人的な欲求を離れて、真理に近づくうえで直面する課題は、苦難をもたらす利己的な他者を打ちのめすか、赦すか、ということだ。全ての人が配慮し、協力する社会の中で、無私を徹底することはたやすい。しかし、実際には、自分に攻撃をする人も一部存在していて、このような状況下では、個人的な欲求を離れることは大変難しい。そのため、多くの人は、苦難をもたらす他者を攻撃し、排除しようとする。しかし、ガンジーは赦し、愛すことを選ぶ。つまり、ガンジーは他者を直接変えようとするのではなく、自分が変化することで他者を変えようとしたのだ。他者が周囲を攻撃するのは、自分への執着や自分可愛さがあるからだ。それは大小あれど人間だれしも持つ共通の性質で、自分も有している。
このように気づくと、まずは自分自身を変化させることに関心が向くはずだ。そして、自分の感情や利益への関心が減ると、他者がどんなに酷いことをしたとしても、赦すことができるようになる。ただ赦すだけだと、他者を変化させることができない。赦したうえで、相手を愛することで、相手も自分に縁を感じるようになり、最終的には悪の道から立ち直れるようになる。こうして、赦しと愛を広げていくことで、我々は全世界を友とすることを学び、神すなわち真理の偉大さを実感することができる。
ブラフマチャリヤ=純潔・禁欲・浄行、嗜欲の実践
真理を実現するには、欲に従って動いてはならない。純潔や禁欲の実践、また料理を嗜む心も捨て去る必要がある。
不盗、無所有即清純
愛とは非暴力の実践であり、人からモノを盗んではならない。また、必要以上に多量にものをとることも盗みである。これは貧困の原因である。所有もされないことが望ましい。所有は、自分への執着でしかないからだ。
無畏
無畏とは、病気・死、財産の消失、愛する者との死別、名誉の失墜や他人の感情を害することなどへの、いっさいの恐怖から解放されることを意味している。真理を求めたり、愛を心に抱き続けるような高貴な諸特性の発展には不可欠である。恐怖に取りつかれたものが、武装し、人に対しても攻撃的になる。
寛容即宗教
宗教に対しては寛容であるべきだ。(この表現は、どこか上から目線でガンジーは好まない表現だった。)自分の宗教が完全で絶対だと思うと、他の宗教に対して寛容でいられなくなる。まず、多くの宗教が同一の霊から来ていると解釈すべきである。次に、霊は同一でも、不完全な人間である伝道師が布教しているので、宗教ごとに教義の差があること、そしてどの宗教も不完全であることを認識するべきである。そうすると、他の宗教にも寛容になることができる。
謙虚
謙虚は意識してすることではないので、戒律には入らないが、不可欠である。謙虚になるには、神と比較することが重要だ。神は常に休まずこの世界を統べているのに、神よりも格下の存在である人間は、休む暇はない。
誓願
誓願することは、その目標を何が何でも達成するという強い意思のあらわれである。「できるだけ」という言葉には、自尊心や弱さがあり、既に誘惑に屈している。
承前
人生を自己満足の手段とみてはならず、義務を果たす思いで取り組むべきだ。自分の好きなようにやろうとするのではなく、自分の持つ最上のものを差し出す覚悟が必要である。
感想
宗教・哲学の実践者の言葉が持つ力は圧倒的だ
普段読むような哲学者や学術書とは、また違った凄みがある。何回も読んでいる間に唸ってしまった。自省録を読んでいるときにも感じた、人を圧倒させる力がある。頭で考えていることと実践に乖離がないからだと思う。ただただ立派という言葉に尽きる。
神への奉仕の感覚への理解が進んだ
以前までガンディーの活動家の側面に着目していたが、宗教家に近いような印象を受けた。本書を読むと、ヒンドゥー教をはじめとして、キリスト教やイスラム教にもみられる「神に奉仕する感覚」がなんとなく掴めると思う。本書に幾度となく登場する「真理(すなわち神)」は、無宗教の人にとってはかなり分かりにくい概念である。読み取れることとしては、人智を超えたもの、言語化し得ないもの、自分という肉体を超えないと悟り得ないものといったところか。
一つ疑問に思ったのは、真理への献身や回帰の動機の所在である。キリスト教であれば神の罪人救済、仏教は真理の話はしないが、苦の脱却など、宗教には最終的な目標・動機がある。しかし、ヒンドゥー教やガンディーの目標はなんなのか。軽くAIで調べてみたが、真理への回帰・合一と書いてあって、理解がとってもとっても難しい。もっと勉強が必要だと感じました。
アヒンサーの実践は本当に立派で尊い
本書で一番感動したのがアヒンサーの章である。攻撃してくる相手の弱さは自分にもあることを自覚し、まずは自分を変える。自分の弱さを克服し、どんなに相手に攻撃されても、相手を赦し、友である態度を貫く。そうすると、相手も次第に、自分のように変わる。これは、とにかく立派で尊いだけでなく、非常に論理が通っている。
ただ、これをいざ実践となると、状況は絶望的になる。どんなに攻撃されても、そこに自分の弱さを認めて、自分を変え続けられる人はなかなか存在しないからである。これをやり切ったガンジーは本当に頭が上がらない。本文中では、人生の最上のものを差し出す覚悟がなくてはならないと言っていたが、まさにその覚悟で取り組んでいたのだと思う。
ガンジーの取り組みは、ネルソンマンデラに繋がったし、他の社会運動にも多大な影響を与えた。何処の馬の骨かもわからない日本人の無宗教の私でさえ、揺り動かす力を持っている。ガンジーは、実践が難しいと思われていた愛の論理を、実践可能であると人生を懸けて見せてくれた。まさに、ガンジーがいった言葉、My life is my message.である。
愛の実践は修羅の道であるが、今必要とされるアプローチだ
すでに述べた通り、愛の実践は大変難しい。9割以上の人は、どうしても感情的に反応してしまうものだと思う。何か殺人事件や戦争が起こった時、人々は常に敵側を批判する。もっと日常的な例だと、自分に攻撃的な人や主義主張が違う人と出会った時、悪口を言ってしまいたくなる。このように、他人の悪行に自分の弱さを認めて、自分を変えようとするのは、大変難しいが、同時に生産的であり、前向きであると思う。また、個人としても幸福に生きられると感じる。自分の関心の対象が、変えられない他者より、変えられる自分に向いた方が生産的だからだ。私個人としては、あらゆる人の弱さに自分を見出し、愛する態度で社会や周囲の人に臨みたいと思う。この重要性は、四国遍路で学んだことでもある。この実践は、不正に甘んじているのではない。むしろ、自分を見失って感情的にならずに、現実的で最適なアプローチを選択することができると思う。
ガンジーは人々の認知や思想を変化させることで、社会にインパクトを残した。この思想的なアプローチは、技術や制度による社会変革が主流な現代において、もっと重要視されてもいいと思っている。特に人の怒りや憎しみを煽ってお金にしたり、政治をハックしたりする動きが見られる。最近だと一番怖いのは戦争。この認知や思想の改善がもっと行われないと、向かうは世界大戦争だと思う。
無宗教は罪なのか
宗教への寛容を説くガンジーだが、無宗教は問題視しているように感じた。また、ユダヤ教やキリスト教,イスラム教など神への絶対帰依を求める宗教には言及していたが、仏教には言及していない。(別のところでしているらしいが、都合よく解釈しているとの批判もある。)
ガンジーは、無宗教の人々が、多くの宗教の暫定である「真理」への感覚が乏しいから、問題視しているのだろう。ガンジーの人生の目的は真理への献身であるから、そもそも真理について考えない人間は、話にならないと思っている可能性もある。
私はまだまだ態度を決めかねている。あることを絶対普遍の「真理」と信じ込んでしまうことで起こる歴史の悲劇は沢山あると感じていたからだ。しかし、今回、ガンジーのようなバランス感覚があれば、自分の宗教を愛しながら、絶対と思わず、他の宗教の信者を友として手を携えることもできることがわかった。また、「真理」への探究や献身を通じて、自分の使命を深く考えて、人類史に多大な貢献をしてきた人も沢山いる。また、「真理」を探求する宗教の教える慈悲や愛の精神は、人を立派に美しいものにする。
現時点で、一つの宗教に入信することはないけれど、無宗教でも彼らの精神性は見倣うべきところが沢山あると強く思っているので、勉強を続けていきたい。