コンラッドの作品一覧
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小説・文芸
Posted by ブクログ
アフリカの植民地の奥地へ、雇われ船長として向かったイギリス人男性の回顧録、という形式。19世紀末のイギリスの有名古典小説。全編がロンドンの河口に浮かぶ船の上で、男が友人に語る形で振り返る。船乗りだったコンラッドの実体験が投影され、植民地支配の闇を告発する。
・病気になって死を待つばかりの黒人奴隷が集められた木陰。
・ジャングルの出張所で完璧に整えられたシャツを着る白人経理。
・白人が求める(アフリカで調達する)ものは、大量の象牙。
・象牙や、黒人を使役する対価として渡すものは「真鍮の針金」と「ガラス玉」
・美しく着飾った(はずである)アフリカ女性は、真鍮の針金を加工した装飾具と、ガラス玉の首飾りを身につけている
作中で明示されていないが、以下の関係が暗示されていると考えられる。
・真鍮の針金=金のように綺麗な色だが、西洋文明では取るに足らない量産できる品(真鍮は銅と亜鉛の合金)
・ガラス玉=宝石のように綺麗だが、こちらも西洋文明では量産できる品
一見貴重品に見える取るに足らないものを対価に、奴隷を働かせ、象牙をかき集める。
飢える黒人船員に対して、食料ではなく真鍮の針金を渡し続ける様子におぞましさを感じた。この作品を19世紀末に描いたコンラッドの、実体験に基づく鋭い視線は現代にも響いた。
Posted by ブクログ
もちろん人間の中には、道を踏み外すことさえできないほどの馬鹿もいれば、──闇の力の強さを意識することさえしない鈍感者流もいる。僕は思うに、馬鹿が悪魔に魂を売った例はないのだ。どちらだかは知らないが、──馬鹿が馬鹿すぎるか、悪魔が悪魔すぎるか、そのどちらかなのだ。もっとも中には神の姿、神の声以外にはなに一つ見えない、聞えないという、途徹もない人間放れのした聖人もいるのかもしれない。だが、彼等にとっては、もはやこの地上はただ立って呼吸をしているというだけの場所であり、──そうなることが、果して僕等の幸福だか不幸だか、知れたものではない。そして僕等大多数の人間というものは、馬鹿でもなければ、聖者でもないのだ。
Posted by ブクログ
英国の作家ジョセフ・コンラッドによって書かれた中編小説。20世紀における英語文学の傑作として知られる。仏国の貿易会社に雇われた船乗りマーロウが、アフリカの出張所を訪れるためにコンゴ川を遡行し、やがてクルツという名の代理人を求めて大陸の奥深くへ足を踏み入れるが……というストーリー。背景には当時のベルギー国王によるコンゴ自由国に対する苛烈な植民地支配が存在し、本作にはコンラッドの船員時代の経験が反映されている。
本作では語り手マーロウの出航から帰還までが作中作の形で展開し、プロットを辿れば物語の全体像は把握できるものの、作品を包み込む重厚なーーあたかも倫敦を覆う陰鬱な闇のような雰囲気が、テクストの表面的な読みを妨げている。通常の読書体験は《読者-語り手》という伝聞形態を取るが、本作では多重構造化によって《読者-私-語り手》という「又聞き」の形態を強いられる。我々は物語から一階層引き剥がされ、それゆえ出来事の意味が不明瞭に、闇の奥へと押しやられる形で抽象化されているように感じるのではないだろうか。つまり読者は小説からイベントの配列を読み取るだけでなく、その背後に潜む物事の意味を能動的に掴み取らなければならない。マーロウ自らが注意するように「生の感覚こそが、その経験の真実であり、意味でありーー捉えがたい深い本質」だとすれば、構造外から闇を覗き込んでいるにすぎない我々がその本質を捉えるのは難しいだろう。作中作の形式で書かれた物語は無数に存在するが、文明からの乖離を描いた『闇の奥』では構造化の効果が最大限に発揮されている。本作から「生の感覚」汲み取るためには、自身を取り巻く一切のコードを捨て去らなければならない。理性を失うことなく帰還したマーロウではなく、狂気と闇の深淵で死んでいったクルツのように。
『闇の奥』を帝国主義批判の書、あるいは人種差別的視点から描かれた啓蒙小説とする見方もあるようだが(訳者の黒原氏も述べておられるように)本書はそうした意図を持って書かれた作品と思えない。スウィフトにせよオーウェルにせよ社会批判を目的とするフィクションには特定の思想基盤に依拠する「現実から象徴」への寓話化プロセスが見られるものだが、本作ではあらゆるイデオロギーの上位に実存の不可解さが置かれている印象を受けた。知性による合理主義的な解釈を拒む語りは、むしろカフカの不条理さに通じるものがある。理由もなく毒虫に変身したザムザの姿は、やはり理由もなく近代的な人間性を剥ぎ取られたクルツの姿と被って見えてしまう。あとに残されるのは思想でも知性でもない、人間本来の混沌ーー闇だけである。