1. natureはどのように創刊されていったのか
2. 科学者という職業が社会の中でどう形づくられたのか
3. 女性の知的職業への進出
3. チャレンジャー号による世界一周探検の中での科学研究
4. 明治維新頃の日本と西洋(イギリス)
という社会文化史的な話題がnatureを通して説明される。
本書の構造はとても上手くできている。それぞれの節の中で言及されている一部を次の節で取り上げながら時代や話題を先に進めていくようになっており、一連のストーリーになっている。そうして、科学、科学者、科学雑誌という文化の醸成からはじまって、今の日本人にとっても重要な「日本人観」(ただし明治維新頃のヨーロッ...続きを読む パ人の目を通したもの)をnatureという雑誌を通して解説される。natureがそれだけ幅広い興味と自由度をもった雑誌であったこともそうだが、雑誌の歴史を日本人著者が「今」まとめたからこその内容と言えるように感じた。自然科学、社会科学両方の観点から考えるきっかけを与えてくれる良書と言える。
natureがイギリスで創刊したのが1869年。イギリスはヴィクトリア朝時代で二次産業革命期。ダーウィンが「種の起源」を1959年に発表し、博物学的な雰囲気が残る頃。
そんなことが序文で説明されながら、第1章「nature創刊に託された思い」はnature創刊の歴史。創刊者であるノーマン・ロッキャーについてや社会的な背景、またダーウィンの進化論の支持者であるトーマス・H・ハクスリーが重要人物として関わり、創刊号の巻頭言を書いていること、読者は科学の専門家ではなく一般大衆であることの思いについての解説。natureという雑誌の当初の狙いがとてもわかりやすく解説されている。
第2章「ヴィクトリアンの科学論争」と第3章「150年前の科学」ではnatureが科学雑誌として発展していく様子が描かれる。プロ・アマ問わず自由に紙面上で公開討論をしたり、博物学的な解説や海外の科学の状況を記したレポートなど。また、ダーウィンの進化論がnatureの中で中心的な話題になっていく様子がある。科学を論じるman of scienceの興味がどこにあったのかがわかる。自由な議論を許容する風潮が何よりも重要だと改めて感じられた。
第4章「なぜ国が科学にお金を出すのか」”man of science”がプロフェッショナルとしての”scientist”になっていく社会的な議論。そのことがnature誌上で議論されているのはとても興味深い。科学者、科学雑誌という文化が出来上がっていく熱気を感じる。そして今でも通じる議論がこの段階でかなり深く議論されているのは注目に値する。日本の科学者、政治家だけでなく、大衆も一度ここに立ち返ってもよいのでは。
第5章「女子の高等教育」時代は女性の権利が拡大した時代。その中で女性が高等教育を受けること、科学の世界にはいっていくこと(特に医学)様子がnatureで議論・報告されている。前の章から引き続き、科学は(西洋の)文化であって、社会と分離できるものではないことを改めて実感させてくれる。
そういえば「北海道大学もうひとつのキャンパスマップ」の中にも北大に女子トイレを初めて設置するまで流れが書かれていた(この本もレビューしよう)。この記憶がフラッシュバックしながら、女性が社会と戦って権利を獲得していく(あるいは排除される)様子がありありと浮かんできた。
第6章「チャレンジャー号の世界一周探検公開」海洋科学ってこういうものなのか、というイメージを与えてくれた。これまで縁がなかったので全然わかっていなかった。natureで詳細に報告され、新発見も論文として掲載されている。興味の幅は広く、地質学的な観点も海洋生物学もある。南極の調査もしているし、海底通信ケーブルを引くための調査もある。進化論はやっぱりここでも興味の対象として大きな影響を持っている。また、ヨーロッパにとって未知な文明との会合についても報告されている。その中には日本も入っている。
第7章「モースの大森貝塚」第8章「nature誌上に見る150年前の日本」ヨーロッパ、イギリス、あるいはnatureが日本を発見した様子の記録。natureの創刊は明治維新の頃であり、未知の国でありながら未発達(非文化的)ではない日本の発見が彼らにとってどう写ったのか、誤解も含めて議論・報告されている。第7章では日本の文化や歴史をヨーロッパ人が発見していく様子、日本の学者と調査を進める中で彼らが見つける日本人の振舞い、偏見や誤解などがnature紙面を賑わせていたと思うと不思議な気持ちになる。
序文にもあるが、nature創刊後すぐ(創刊後7週間後)にThe Japaneseという記事が掲載されている。第8章ではその3ページにわたる記事をほぼ全て解説するところから始まる。概要的であるものの、的確に理解し、日本を紹介している印象を受ける。彼らは比較的フラットな目線で日本社会・文化・人を見ていたように思える。その後日本の急速な変化の中で日本に対する印象がどんどん変わっていく。特に工学教育において、新しい時代に基づいた理論と実践を配合した新しい教育を導入しようとしたことが書かれている。確かに日本の工学教育はこの観点が今でも活きているように思うし、それが花開いた時期も確かにあったのだと思う。
ところで、職業柄(所属柄)、この頃の日本の西洋への紹介といえば新渡戸稲造の武士道(1900年)を思いうかべる。これを頭の片隅に入れながら読んでいたら「日本には科学が存在しない?」という節があった。ここでの「科学」はどちらかといえば「哲学に基づく科学」のことを言っているようだ。本文でも論述されているが、いわゆる西洋哲学と東洋哲学の違いがベースにあるように見える。つまり、日本人的(あるいは中国を含む東洋的)思想や哲学がこの段階では彼らには理解できなかったようだ。この節を読んで、もしかしたら新渡戸稲造はこの「彼らにとっての謎」を彼らにわかるように紹介した、という役割になるのだろうか、と想像した。そういえば武士道も読まないな、と思ったまま放置している本の一つだったことを思い出した。
付録では初期のnatureに論文が掲載された日本人として南方熊楠と寺田寅彦が紹介されている。上記で新渡戸について触れたが、南方のほうがより「科学者的なアプローチで」日本(東洋)の科学思想を正しく伝えたようだ。natureに50編の論文があるのは2005年時点で世界でも最多らしい。寺田物理も日本だけでなく、ちゃんと世界で受け入れられていたということを知ったのは驚きだった。