【感想・ネタバレ】150年前の科学誌『NATURE』には何が書かれていたのかのレビュー

あらすじ

ノーベル賞クラスの論文が多数掲載されてきたイギリスの科学誌『ネイチャー』が、2019年に創刊150周年を迎えます。パラダイムシフトといえるような論文が載ることもあれば、偽造や捏造を含むような論文が掲載され物議を醸すこともありました。1869年、天文学者ノーマン・ロッキャーはどのような志をもってこの雑誌を起ち上げたのでしょうか。19世紀後半とはどのような時代で、人々は何を考え、どのように科学と向き合っていたのでしょうか。その頃の日本はどのような国だったのでしょうか。創刊当時の記事を読むことで、時代の空気を感じ、現在から未来につながるヒントが見えてくるかもしれません。

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Posted by ブクログ

1. natureはどのように創刊されていったのか
2. 科学者という職業が社会の中でどう形づくられたのか
3. 女性の知的職業への進出
3. チャレンジャー号による世界一周探検の中での科学研究
4. 明治維新頃の日本と西洋(イギリス)
という社会文化史的な話題がnatureを通して説明される。

本書の構造はとても上手くできている。それぞれの節の中で言及されている一部を次の節で取り上げながら時代や話題を先に進めていくようになっており、一連のストーリーになっている。そうして、科学、科学者、科学雑誌という文化の醸成からはじまって、今の日本人にとっても重要な「日本人観」(ただし明治維新頃のヨーロッパ人の目を通したもの)をnatureという雑誌を通して解説される。natureがそれだけ幅広い興味と自由度をもった雑誌であったこともそうだが、雑誌の歴史を日本人著者が「今」まとめたからこその内容と言えるように感じた。自然科学、社会科学両方の観点から考えるきっかけを与えてくれる良書と言える。


natureがイギリスで創刊したのが1869年。イギリスはヴィクトリア朝時代で二次産業革命期。ダーウィンが「種の起源」を1959年に発表し、博物学的な雰囲気が残る頃。

そんなことが序文で説明されながら、第1章「nature創刊に託された思い」はnature創刊の歴史。創刊者であるノーマン・ロッキャーについてや社会的な背景、またダーウィンの進化論の支持者であるトーマス・H・ハクスリーが重要人物として関わり、創刊号の巻頭言を書いていること、読者は科学の専門家ではなく一般大衆であることの思いについての解説。natureという雑誌の当初の狙いがとてもわかりやすく解説されている。

第2章「ヴィクトリアンの科学論争」と第3章「150年前の科学」ではnatureが科学雑誌として発展していく様子が描かれる。プロ・アマ問わず自由に紙面上で公開討論をしたり、博物学的な解説や海外の科学の状況を記したレポートなど。また、ダーウィンの進化論がnatureの中で中心的な話題になっていく様子がある。科学を論じるman of scienceの興味がどこにあったのかがわかる。自由な議論を許容する風潮が何よりも重要だと改めて感じられた。

第4章「なぜ国が科学にお金を出すのか」”man of science”がプロフェッショナルとしての”scientist”になっていく社会的な議論。そのことがnature誌上で議論されているのはとても興味深い。科学者、科学雑誌という文化が出来上がっていく熱気を感じる。そして今でも通じる議論がこの段階でかなり深く議論されているのは注目に値する。日本の科学者、政治家だけでなく、大衆も一度ここに立ち返ってもよいのでは。

第5章「女子の高等教育」時代は女性の権利が拡大した時代。その中で女性が高等教育を受けること、科学の世界にはいっていくこと(特に医学)様子がnatureで議論・報告されている。前の章から引き続き、科学は(西洋の)文化であって、社会と分離できるものではないことを改めて実感させてくれる。

そういえば「北海道大学もうひとつのキャンパスマップ」の中にも北大に女子トイレを初めて設置するまで流れが書かれていた(この本もレビューしよう)。この記憶がフラッシュバックしながら、女性が社会と戦って権利を獲得していく(あるいは排除される)様子がありありと浮かんできた。

第6章「チャレンジャー号の世界一周探検公開」海洋科学ってこういうものなのか、というイメージを与えてくれた。これまで縁がなかったので全然わかっていなかった。natureで詳細に報告され、新発見も論文として掲載されている。興味の幅は広く、地質学的な観点も海洋生物学もある。南極の調査もしているし、海底通信ケーブルを引くための調査もある。進化論はやっぱりここでも興味の対象として大きな影響を持っている。また、ヨーロッパにとって未知な文明との会合についても報告されている。その中には日本も入っている。

第7章「モースの大森貝塚」第8章「nature誌上に見る150年前の日本」ヨーロッパ、イギリス、あるいはnatureが日本を発見した様子の記録。natureの創刊は明治維新の頃であり、未知の国でありながら未発達(非文化的)ではない日本の発見が彼らにとってどう写ったのか、誤解も含めて議論・報告されている。第7章では日本の文化や歴史をヨーロッパ人が発見していく様子、日本の学者と調査を進める中で彼らが見つける日本人の振舞い、偏見や誤解などがnature紙面を賑わせていたと思うと不思議な気持ちになる。

序文にもあるが、nature創刊後すぐ(創刊後7週間後)にThe Japaneseという記事が掲載されている。第8章ではその3ページにわたる記事をほぼ全て解説するところから始まる。概要的であるものの、的確に理解し、日本を紹介している印象を受ける。彼らは比較的フラットな目線で日本社会・文化・人を見ていたように思える。その後日本の急速な変化の中で日本に対する印象がどんどん変わっていく。特に工学教育において、新しい時代に基づいた理論と実践を配合した新しい教育を導入しようとしたことが書かれている。確かに日本の工学教育はこの観点が今でも活きているように思うし、それが花開いた時期も確かにあったのだと思う。

ところで、職業柄(所属柄)、この頃の日本の西洋への紹介といえば新渡戸稲造の武士道(1900年)を思いうかべる。これを頭の片隅に入れながら読んでいたら「日本には科学が存在しない?」という節があった。ここでの「科学」はどちらかといえば「哲学に基づく科学」のことを言っているようだ。本文でも論述されているが、いわゆる西洋哲学と東洋哲学の違いがベースにあるように見える。つまり、日本人的(あるいは中国を含む東洋的)思想や哲学がこの段階では彼らには理解できなかったようだ。この節を読んで、もしかしたら新渡戸稲造はこの「彼らにとっての謎」を彼らにわかるように紹介した、という役割になるのだろうか、と想像した。そういえば武士道も読まないな、と思ったまま放置している本の一つだったことを思い出した。

付録では初期のnatureに論文が掲載された日本人として南方熊楠と寺田寅彦が紹介されている。上記で新渡戸について触れたが、南方のほうがより「科学者的なアプローチで」日本(東洋)の科学思想を正しく伝えたようだ。natureに50編の論文があるのは2005年時点で世界でも最多らしい。寺田物理も日本だけでなく、ちゃんと世界で受け入れられていたということを知ったのは驚きだった。

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2020年02月11日

Posted by ブクログ

当時の著名な研究者がnatureに論文を出していたり討論していた事実に驚いた 特に日本についての記述を取り上げていたコーナーから外国の視点なども知れたりとかなり興味深い内容ばかりだった

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2025年03月18日

Posted by ブクログ

現在の科学研究の枠組みが誕生するころの様子が垣間見れる

現代では Science, Cell, Lancet などと並ぶ Nature が,まだ創刊間もないころはどういう内容だったかを元に,現在の科学研究実施の枠組みがいかに始まったかが紹介されている.

◆ 第1章:nature 創刊に託された思

創刊にあたって「第一に,一般大衆の前に科学研究と科学的発見の壮大な結果を示すこと.そして教育と日常生活のなかで,科学の主張がより一般的な認識に向かうよう促すこと.」との宣言があるそうだ.
Nature本誌には,多くの人の関心を引く論文が載り,科学的に重要でも掲載が姉妹誌なるということが否定的に言われたりもする.でもこれは創刊者の思いに沿ったことだというのを知れたのは良かった.

◆ 第2章:ヴィクトリアンの科学論争

論文に対して他の研究者のコメントが付く場合は今でもときどき見かけるが,当時はもっと読者のコメントが多く付いて誌上で議論されたというのは面白かった.今はこれほどコメントが付くことはないが,その役割は学会が担うことになっているのだと思う.

◆ 第3章:150 年前の科学

ここでは,エネルギー保存則やスペクトル分析と共に進化論が重要な進展と紹介されている.そして,異端として火あぶりにされないまでも,宗教との軋轢が大きい時代の様子が紹介される.

◆ 第4章:なぜ国が科学にお金を出すのか

科学研究に国費を使うことには,フランスやドイツに対して科学分野で遅れているという意識が関わっていたことや,どのような体制が望ましいのかという議論は面白かった.

◆ 第5章:女子の高等教育

文系教授はまだ先だが,理系では女性の教授が誕生し始めたころの時代にあたる.大陸ではワイエルシュトラウスに師事したコワレフスカヤなどがいたが,イギリスでは様子が違ったようだ.この章の主役であるソフィア・ブレークも結局大陸の大学で学位を得たようだ.ヨーロッパでもやはりイギリスは違ってるのだなと思った.

◆ 第6章:チャレンジャー号の世界一周探検航海

世界中を回って科学調査を行ったチャレンジャー号の航海の紹介.日本にも長く寄港したことや,チャレンジャー海淵の名前の元だったとかは知らなかった.

◆ 第7章:モースの大森貝塚

汽車に乗っているとき窓から貝塚を見つけたというのはなかなかすごい.生物学というか,博物学っぽい感じが,このころのNatureだったのだなというのが印象に残った.

◆ 第8章:nature誌上に見る150年前の日本

開国して間もない日本は,いろいろ欧州の関心を引き,結構な記事が掲載されていたようだ.このころは社会科学的な話題もNatureは扱っていたのだなというのが分かった.

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2025年01月02日

Posted by ブクログ

科学誌「nature」は、歴史があり、多くの科学的論争があった。モースの大森貝塚など日本に関わることの記載もあり、興味深く読めた。

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2024年03月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

第8章のnature誌に掲載された、150年前の日本が興味深かった。「The Japanese」と一国を丸ごと対象にした長い記事は、natureの150年間の歴史の中でも唯一らしい。インドのコーヒーの木や、中国の宇宙論、タスマニア人の起源など、どこどこ国の〇〇というように、外国での植物学、天文学、人類学など学問の話題が定番である中。日本のみが、Theをつけて紹介された。ものすごく特殊で紹介しがいのある国だったということだろう。日本で実現させた「理想の工学教育」の夢、というのも興味深い。

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2020年11月29日

Posted by ブクログ

ネイチャーは昔より一般向けだったという話で、投稿欄や日本の話もあった。南方熊楠が最も多く掲載された日本人である。

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2023年10月29日

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