鈴木健の作品一覧
「鈴木健」の「政治レトリックとアメリカ文化 オバマに学ぶ説得コミュニケーション」「大統領選を読む!」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
300年後の社会を構想した本。
「この複雑な世界を,複雑なまま生きることはできないのだろうか」という冒頭の文章に心動かされ手に取った。
数式的な部分の理解は飛ばしてしまったが、要旨は以外2点だと受け取った。
1.インターネットとコンピュータの発達により、複雑なものを複雑なまま受け取ることが可能になる(物理世界と認知の間の万能のミドルウェアとして情報技術)
2.フラットでもステップでもない、内と外が連続的につながっている状態(=なめらか)を志向する
現在のインターネットの状態と比べると理想を描きすぎていると感じる点は否めないものの、想定問答に対する反論や現状考慮できていない点に対する真摯さは、本論に取り組む決意を感じた。
その上で考慮から漏れていると感じた点は、インターネットという仮想空間を維持するための物理的制約(ハードの維持管理)とソフトのメンテナンス体制の2点だ。
前者は2025年現在話題となっているAIを成立させるためのデータセンターの増加及び電力消費の増大という形で表出している。テクノロジーの進歩で解決できる側面もあるのだろうが、本書を読んだ限り膨大な計算を誰がするのかの視点が抜けているように感じた。
Posted by ブクログ
人工物としての社会制度があり、そこに所有の概念がついてまわる。人々は、潜在意識下であるものに対して所有の概念を持つ。身体的システム、人間と環境、たとえば市場のような社会制度を概念化。権力とは、権力があると人々が信じることから生まれる自然発生的なものであると。そこから、個人、自由意志があるわけだが、行動に責任を取らせるような形を与える。ここで問題が生じたのは、原発事故である。誰の責任なのか、複雑性に支えられた社会は、筆者が主張する、膜という内と外の概念、核という小自由度による大自由度の制御、それを支える複雑な反応を持つネットワーク、これがインターネットである。これがなめらかな社会を形成する。
ミルグラムの実験では、隣の人の知り合いの知り合いを辿っていくと、5.5人で世界中の人にたどり着けるという結果をもたらした。スモールワールドとはまさにこういう社会である。フェイスブックのような巨大なネットワークサービスが30億人に達すると考えられている。なめらかなメッセージングと管理できない複雑性を複雑なまま受け入れる社会である。しかし、フェイスブックは、現在ロシアでも中国でも使えない。どんどんそーシャライズしていった結果、逆に民族、国家の独立性、閉鎖性を増している。
仮想通貨にも似たような、新しい社会通貨のようなものを提唱している。実際には、社会主義に近い概念で、日本的に受け入れやすい一方で、非常に難しい個々人の利益を最優先とした場合にコンフリが起きる。これがゲームの世界で起きている、インフレと同様に、価値と通貨のバランスを取れなくさせている。また、経済的価値をソーシャル的な価値においているが、実際には社会の価値とは非常に計りにくいものであるがために、価値創造プロセスに、社会的いいことを導入することはほぼ不可能である。
もう一つは、投票制度。こちらも批判すればいくらでもできるものの発想としては、非常に面白い。働くことの評価も、参加者全員の360度評価で決まる。そうなると、全員の利益にならない決断は受け入れにくいことになる。大衆的な意見に流されることで、素晴らしい直感的なアイデアは否定される恐れもある。しかし、偏執的な評価体系を持つ限り企業も組織も、誤った方向性にいくことを止められないのと、社会的な価値創造に判断が向かない個別事象の影響が大きくなるだろう。地球という規模でいいことをしていなければ是とはならない社会を作る必要があるという、非常に面白い考え方でもある。IndividualからDividual(分人)概念である。日本は実は、こうした感性が働いているので、非常にクリーンで、安全だ。この理由を外国人に説明するのが非常に難しい。組織のメリットを受けるという意味でも社会主義的な考え方との違いをもう少し理解しないといけないだろう。また、当然独裁制に移行する可能性を秘めているので、それ自体を悪いことととらないこともポイントになっている。実体的には分かりやすい民意を作り出してしまうことから、複雑性を逆に勘案しない、分かりやすい意見、他国は全て悪い、というような意見が大宗を占めるリスクがある。今の米国、イタリア、トルコ、などの選挙を見ていれば実現している状況は、本施策にとって非常に厳しいと言える。2050年に1.5度気温が上がるのを抑えようという取り組みは確実に無理だろう。こうした独裁国家にとって、これが地球を滅ぼすかもしれないことなんて、意に介さないだろうから。いずれにせよ、10年以上前の書物に、現代の状況からの反対意見を述べても意味はないので、前向きに考えていくことが大事だ。
最後に、改革を願って閉じた本だが、さらに2022年度の段階で追加された最終章がある。分断が進む世界、つまりなめらかな世界とは全く逆の方向に進む社会を見て、筆者としても思うところがあったようだ。情報技術をきちんと社会に適用させ、活用できなかったことを反省すべきとし、努力なくしてなめらかな社会はできないのだとある意味で投げ捨てジャーマン的な論調に持って行っている。個人的な感想としては、むしろ分断されていく、リージョナル、国、地方さえ良ければいいという非常にPoorな考え方、自己中心的な考え方を前提にすれば、人類が取るべき方法は、複雑性を大衆の中から受け止めていくというアプローチではなく、賢者の知恵を借りるということだったのかもしれない。自分自身との対話をしながら読み進められる本書は、社会を見る上での良書と言えるだろう。
Posted by ブクログ
目標は、本当に探索を導くのか
本書が問うているのは、目標を持つことの是非ではない。むしろ、現在設定している目標や評価基準が、未来においても価値を測る正しい物差しであり続けるという前提こそが「幻想」なのではないか、と読める。
目標を設定すると、探索は効率的になる。しかし同時に、その目標から外れたものを「失敗」「無駄」として捨ててしまう。ところが、未知の価値は、現在の評価関数では価値がないように見える場所から現れることがある。
「進化する」と「良くなる」は同じではない
本書の自然進化に関する議論を読みながら、「進化」という言葉そのものにも注意が必要だと感じた。進化には、あらかじめ定められた「より良い状態」があるわけではない。環境との相互作用の中で、ある形が残り、別の形が消えていく。
つまり、進化したことと、良くなったことは同義ではない。「良い」という評価には、必ず何らかの観点が入り込む。観点が変われば、同じ現象の意味も評価も変わる。
発見とは、既存のものに新しい意味を与えることかもしれない
本書で扱われる発明や創造の事例を考えると、まったく何もないところから新しいものを作るというより、既に存在していたものを別の文脈に置き直すことで価値が発見される場合がある。
電子レンジも、付箋も、既存の現象や技術そのものが突然変わったわけではない。変わったのは、それを見る観点と、それを結びつける文脈だった。
同じ現象でも、ある文脈では事故になり、別の文脈では発明になる。ここに「意味」の生成がある。
「試してみることに失敗はない」の意味
この考え方は、以前読んだ『仕事は楽しいかね?』の「試してみることに失敗はない」という言葉ともつながった。
もちろん、現実には損失も事故も失敗もある。ただ、当初の目標と一致しなかった結果を、その時点で「失敗」と確定してしまう必要はない。
結果を観察し、「これは何なのか」「この結果から何が見えるのか」と問い直せば、それは次の探索への足場になる。失敗を成功に読み替えるという精神論ではなく、評価のタイミングを後ろにずらす発想である。
AIは何を探索しているのか
本書をAIの観点から読むと、さらに興味深い。執筆当時のAI研究には、与えられた目的関数に対して、より良いアルゴリズムや解を探索するという発想が強くあった。本書は、そこに「そもそも目的関数を固定してよいのか」という問いを突きつける。
現在の生成AIやAIエージェントは当時とは大きく異なる。しかし、「何を探索するのか」「何を良いと評価するのか」「何を捨てるのか」という問題は残っている。
AIは評価関数を与えられれば、それを使って驚くほど高度な探索ができる。一方で、その評価関数そのものを誰が、どのような観点から生み出すのかという問題は別に残る。
オープンエンドネスとは、目標がないことではない
ここまで考えると、オープンエンドネスを「目標を持たないこと」と理解するのは少し違うと思う。
局所的な目標は持ってよい。目の前の問題を解いてもよい。ただ、その結果によって問題そのものの見え方が変わり、新しい問いが生まれる余地を閉じない。
問題を解く。
結果を見る。
解釈を変える。
新しい問題を発見する。
そして、また探索する。
この循環そのものがオープンエンドな探索なのだろう。
「目標という幻想」が残したもの
本書を読み終えて、目標を捨てようとは思わなかった。むしろ、目標を「暫定的な評価軸」として扱う必要があると感じた。
私たちは、現在の目標を未来の価値を測る物差しだと思い込みやすい。しかし未知のものを探索するなら、その物差し自体が変わる可能性を残しておかなければならない。
目標が幻想なのではない。現在の目標が、未来の価値まで正しく表現していると思い込むことが幻想なのだ。
そしてこの視点に立つと、「考える」とは答えを出すことだけではなく、何を問題とし、何を価値あるものとして見るのか、その観点そのものを更新し続けることなのだと思う。