作品一覧

  • ドストエフスキー
    値引きあり
    4.0
    1巻1,824円 (税込)
    同じ言葉でも誰がどんな状況で語るかで、その意味は異なり、ときに正反対に受け取れる。このラズノグラーシエ=異和こそがドストエフスーを読む鍵となる。登場人物は対話の中で絶えず異和と不協和に晒され、そのダイナミズムが読む者を強烈に惹きつけるのだ。批評家バフチンを起点に、しかし著者単独で小説内部に分け入り、文学的核心を精緻に照射する。ドストエフスキー論史の転換点を成す衝撃的論考。
  • 文学のプログラム
    3.8
    <書くこと>でいかに<戦争>と拮抗しうるのか――。小林秀雄、坂口安吾、保田與重郎の戦時下における著述を丹念に辿ることで、時局に追従する言説と彼らとの距離を明らかにし、保田の『万葉集の精神』を起点に、日本文を成立せしめた「訓読」というプログラムの分析へと遡行する。気鋭の批評家による<日本イデオロギー>の根底を撃つ画期的試み。群像新人文学賞受賞作を収めた第1評論集。
  • 連続する問題
    -
    1巻2,200円 (税込)
    「今、ここ」と繋ぐ、文芸批評の臨界点 中野重治、小林秀雄、ドストエフスキーらの言葉を手がかりに、今日的事象の背後から我々を歴史的に拘束する「問題」を読み解く。代表作『ドストエフスキー』に並走する野心的時評集。書き下ろし「補論切断のための諸断片」収録。

ユーザーレビュー

  • 文学のプログラム

    Posted by ブクログ

    最終章の文学のプログラムについて。漢文を訓読することで日本文が誕生したが、訓読と日本文誕生の目的が政治的である以上、日本文は広い意味でイデオロギーをまとう宿命にある。
    とすれば日本文だけでなく世界中に現存する多くの「書き言葉」もイデオロギー的なのでしょうか。

    0
    2017年01月05日
  • 文学のプログラム

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    日本語の構造  -2010.04.27記

    「本当に語る人間のためには、<音読み>は<訓読み>を注釈するのに十分です。お互いを結びつけているベンチは、それらが焼きたてのゴーフルのように新鮮なまま出てくるところをみると、実はそれらが作り上げている人びとの仕合わせなのです。
    どこの国にしても、それが方言でもなければ、自分の国語のなかで支那語を話すなどという幸運はもちませんし、なによりも-もっと強調すべき点ですが-、それが断え間なく思考から、つまり無意識から言葉=パロールへの距離を蝕知可能にするほど未知の国語から文字を借用したなどということはないのです。」-J.ラカン「エクリ」

    <音読み>が<訓読

    0
    2022年10月11日
  • ドストエフスキー

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    かなり細かくいろんな視点から書かれていて読みごたえはすごい。
    同意できる部分やなるほどと思えるところも多かったけどウーンそうかぁ?という部分もあった。

    カラマーゾフの兄弟におけるスメルジャコフとアリョーシャとイワンについてはとても面白く読めた。
    スメルジャコフはとにかくイワンと兄弟として繋がっていたかったんだなぁ…って。
    イワンの、近い人は『いやな臭い』がするから愛せないという気持ちはわかるかも。
    愛したいけどどうしても愛せないってのはそれはそれで苦しいし、周りも苦しいんだよなぁ。

    0
    2021年10月13日
  • 文学のプログラム

    Posted by ブクログ

    小林秀雄、坂口安吾、保田與重郎。本書は日本の批評家3名についてそれぞれの論評に加えて表題作を収録。いずれの内容も安易なレトリックや曖昧な概念に振り回されることなく、愚直なまでに「読む」ことへの考察を深めようとしている。それは本書で痛烈な批判の対象としながらも、ドストエフスキーに対して「作者が書いたことしか決して読んではいけない」と愚直な読みを貫き通した小林秀雄への最大の敬意として受けとれるだろう。日本語のプログラム=漢文を訓読可能たらしめ、日本語の「読み」「書き」を生み出す源泉への考察は驚く程に刺激的だ。

    0
    2014年02月16日
  • 文学のプログラム

    Posted by ブクログ

    批評とは「読み」そして「書く」ことである。「読む」ことと「書く」ことの連続と非連続、これが本書のテーマであり、批評家山城むつみの拘りである。「読む」とは己を空しくして対象に没入しようとする行為であるが、「書く」とは対象を分析し、論理を介して対象を所有しようとする。「知への倒錯的な愛」に突き動かされた、人間の原罪とも言うべき強迫観念だ。批評家は「書く」ために「読む」が、対象から距離を置き「知」を志向する「書く」は、対象と一体化しようとする「読む」との間に常に既にズレを孕んでしまう。

    小林秀雄は批評家としての初発からこのズレに自覚的であった。自覚的どころではない。「自意識とその外部」を主題とした

    0
    2023年12月30日

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