山城むつみのレビュー一覧

  • 文学のプログラム

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    最終章の文学のプログラムについて。漢文を訓読することで日本文が誕生したが、訓読と日本文誕生の目的が政治的である以上、日本文は広い意味でイデオロギーをまとう宿命にある。
    とすれば日本文だけでなく世界中に現存する多くの「書き言葉」もイデオロギー的なのでしょうか。

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    2017年01月05日
  • 文学のプログラム

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    ネタバレ

    日本語の構造  -2010.04.27記

    「本当に語る人間のためには、<音読み>は<訓読み>を注釈するのに十分です。お互いを結びつけているベンチは、それらが焼きたてのゴーフルのように新鮮なまま出てくるところをみると、実はそれらが作り上げている人びとの仕合わせなのです。
    どこの国にしても、それが方言でもなければ、自分の国語のなかで支那語を話すなどという幸運はもちませんし、なによりも-もっと強調すべき点ですが-、それが断え間なく思考から、つまり無意識から言葉=パロールへの距離を蝕知可能にするほど未知の国語から文字を借用したなどということはないのです。」-J.ラカン「エクリ」

    <音読み>が<訓読

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    2022年10月11日
  • ドストエフスキー

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    ネタバレ

    かなり細かくいろんな視点から書かれていて読みごたえはすごい。
    同意できる部分やなるほどと思えるところも多かったけどウーンそうかぁ?という部分もあった。

    カラマーゾフの兄弟におけるスメルジャコフとアリョーシャとイワンについてはとても面白く読めた。
    スメルジャコフはとにかくイワンと兄弟として繋がっていたかったんだなぁ…って。
    イワンの、近い人は『いやな臭い』がするから愛せないという気持ちはわかるかも。
    愛したいけどどうしても愛せないってのはそれはそれで苦しいし、周りも苦しいんだよなぁ。

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    2021年10月13日
  • 文学のプログラム

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    小林秀雄、坂口安吾、保田與重郎。本書は日本の批評家3名についてそれぞれの論評に加えて表題作を収録。いずれの内容も安易なレトリックや曖昧な概念に振り回されることなく、愚直なまでに「読む」ことへの考察を深めようとしている。それは本書で痛烈な批判の対象としながらも、ドストエフスキーに対して「作者が書いたことしか決して読んではいけない」と愚直な読みを貫き通した小林秀雄への最大の敬意として受けとれるだろう。日本語のプログラム=漢文を訓読可能たらしめ、日本語の「読み」「書き」を生み出す源泉への考察は驚く程に刺激的だ。

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    2014年02月16日
  • 文学のプログラム

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    批評とは「読み」そして「書く」ことである。「読む」ことと「書く」ことの連続と非連続、これが本書のテーマであり、批評家山城むつみの拘りである。「読む」とは己を空しくして対象に没入しようとする行為であるが、「書く」とは対象を分析し、論理を介して対象を所有しようとする。「知への倒錯的な愛」に突き動かされた、人間の原罪とも言うべき強迫観念だ。批評家は「書く」ために「読む」が、対象から距離を置き「知」を志向する「書く」は、対象と一体化しようとする「読む」との間に常に既にズレを孕んでしまう。

    小林秀雄は批評家としての初発からこのズレに自覚的であった。自覚的どころではない。「自意識とその外部」を主題とした

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    2023年12月30日
  • 文学のプログラム

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     戦争の緊迫の直下には、人間のせせこましい心理、小賢しい知恵は凍りつく。偉大な破壊への愛情、偉大な運命への従順、驚くべき充満と重量を持つ無心、素直な運命の子供となった人間、娘達の爽やかな笑顔。そこでは、そうしたもののみが存在を許される。だからこそ、あまりにも純粋な心は、戦争を、それが修羅場であるがゆえに美しい理想郷とみなさずにはいられない。
    (P.72)

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    2010年06月02日