安本美典の一覧
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ユーザーレビュー
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タイトルに惹かれて購入。邪馬台国が九州にあったのか、それとも畿内にあったのかが長らく議論になっていることはなんとなく知っていたが、それをデータサイエンス的手法で解明できるという主張に興味がわいた。著者は京都大学文学部出身の考古学者。
邪馬台国の問題のみならず考古学的問題の解明には、発掘物を詳細に観
...続きを読む察、記述するのみでは十分でなく、それら発掘物の数量、発掘物の記録をできるだけ多く集めそこに統計学的手法を用いて問題を解明する「科学」的方法論が重要であると主張する。
しかし、著者の本当の主張はそこではなく、発掘物を詳細に観察、記述するが、そこから自らの主張(ここでは邪馬台国畿内説)に都合のいい側面のみを取り上げていく従来の考古学への強い批判にあると感じた。観察、記述は「技術」であり「科学」ではないと、何度も繰り返し主張する。
はたして、そうだろうか?「科学」の始まりは観察、記述にあるのではないだろうか?実際、筆者のいうデータサイエンスで考古学的問題を解決するのも、そういう観察、記述があってこそなのだろうから。ただ、都合のいい側面のみをとりあげていくというのは確かに科学的ではないと思うが。
著者はデータサイエンス的手法で考古学的問題を解明することを数十年前から行ってきたという。その先見性には感銘を受けた。しばらくしたらまた読んでもいいと思う。
Posted by ブクログ
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新聞などの報道で畿内説に有利な話が出るたびに違和感を覚えていたその理由が、これを読んで理解できた気がする。
あくまで個人的な肌感覚で九州説か東遷説を推していたところを科学的根拠を述べてくれたというか。
日本の考古学はよくも悪くも文系学問なのかなと感じた。
流石にこの本に書かれているほど、どきっぱり
...続きを読む畿内説を否定する気はないし、勇気もない。
読んでいるこちらが驚くほど痛烈に畿内説を切って捨てている。
でも、あれほど数字という根拠でもって九州説を補強できるのは凄い。
読んでいるこちらが理系なので、数字での根拠、誰が計算しても再現できるというその再現性は、つい信じてしまいたくなる。
そう、これは理系の考え方でシンプルに邪馬台国を論じた一冊だ。
この視点が日本の考古学には足りないと、自分もそう思う。
そもそも畿内説の方がマスコミの動かし方や歴史に詳しくない人を取り込む方法は上手い気がする。
もっと九州説も大々的に報じてもいいのになと思う。
最近はやたら畿内説に有利な内容ばかり報道されているから余計に。
意外だったのは、畿内説のお膝元の地域の学者さんたちでも畿内説を否定している人がいた点。
少数派の人たちだろうが、それは心強い部分だった。
数字の根拠があるといえど、多分に九州説にバイアスがかかった本なので、どこまで鵜呑みにできるかは個人の感覚になると思う。
ただ一つの説として読む分には十分に魅力的で面白い本だった。
Posted by ブクログ
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「卑弥呼のみやこは99.9%福岡県に」という帯の文句だけで買ってしまった。
知識があるわけでもなく単純脳なので、この本を読むと「それなら邪馬台国は北部九州にあったんじゃないの?」と思ってしまう。
印象的だった部分をいくつか。
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私は、卑弥呼のみやこ(日本語の「みやこ」は、「宮処」で、王の宮
...続きを読む殿のあった場所の意味)は、福岡県の朝倉市にあったであろう、と考えている。
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魏のあとをうけつぐ西晋の西暦300年ごろまで、鏡の出土分布の中心は一貫して北部九州にあったといえる。
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「邪馬台国畿内説」は「宣伝」があって、「証明」がない。あるいは、そこで取られている方法が、「証明」になるということじたいの「証明」がない。
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考古学は、データサイエンスにとっての、未開の沃野、開拓すべき新大陸ともいえる。
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(以上、引用)
邪馬台国がどこにあったか、ハッキリする時が来るんだろうか。いつまでもハッキリしないのも、「古代史はロマン」と思っている身としては面白いが。西暦2500年くらいの人から見たら、「そんな論争があってたのか」なんてことになったりするんだろうか。
Posted by ブクログ
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魏志倭人伝の記載内容と各地の出土品を照らし合わせ、邪馬台国は畿内ではなく北部九州にあったとする書籍。説得力があっておもしろいし、順当な推定だと思う。ただ、魏志倭人伝の記載が正しいという前提がどこまで堅固なものなのか疑問が残る。
最近は少しずつ変化しているが、日本の大学では、考古学は文系に属する。だ
...続きを読むが海外ではより学際的で、日本でいうところの理系に属する例も多い。私の副教官だった日本考古の教授から、文系の君たちに考古学なんてわかりっこない、統計を学べ、とよく叱咤された。ちなみにその先生は、邪馬台国なんてありません、とも言っていた(笑)。
考古学は物を扱う、肉眼観察至上主義だとの指摘は、発掘経験者なら身に覚えがあるだろう。私も理学部の友人から肉眼でよく地層がわかるねと皮肉を言われたことがある。確かに分析にかけないとわからないが、日本の発掘の多くは行政発掘で、そんな時間もお金もなかったりする。
昔、恩師との1対1ゼミでなぜか邪馬台国について盛り上がったことを思い出した。ちなみに専攻はオリエント考古学で、専門とはまるで関係がないのに恩師はやたらと詳しく、九州説を主張していた。そして、いくつも理由を挙げた後、最大の決め手は…僕の出身地だからだよ、とカラカラ笑われた。案外そんなものかもしれない。旧石器問題にしろ、邪馬台国にしろ、ナショナリズム的なことと考古学が絡むと複雑になる。
ちなみに、私も九州説を支持するが、恩師の影響という以外に理由はなく、親魏倭王の金印でも見つからない限り、邪馬台国の場所はわかるまいと思っている。
Posted by ブクログ
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