作品一覧

  • 先代旧事本紀 現代語訳

    先代旧事本紀 現代語訳

    ビジネス・実用

    5.0
    1巻7,480円 (税込)
    『先代旧事本紀』(十巻)は、『古事記』・『日本書紀』と並ぶ三大通史書のひとつである。自然や祭祀と密接な古代人の精神文化を背景に、物部氏の立場から日本古代を通史的に記す。最も古いとされる卜部兼永の写本(天理図書館蔵・国重要無形文化財)の現代語訳に詳細な註記を付して、謎多き古代史の実相を解き明かす研究者必読文献。 ●目次 先代旧事本紀の序 先代旧事本紀 巻第一 先代旧事本紀 巻第二―神祇本紀(天つ神と国つ神) 先代旧事本紀 巻第三―天神本紀 先代旧事本紀 巻第四―地祇本紀 先代旧事本紀 巻第五―天孫本紀 先代旧事本紀 巻第六―皇孫本紀または天孫と申し上げる 先代旧事本紀 巻第七―天皇本紀上 先代旧事本紀 巻第八―神皇本紀 先代旧事本紀 巻第九―帝皇本紀 先代旧事本紀 巻第十―国造本紀 安本/美典 1934年、中国東北(旧満州)に生まれる。京都大学文学部を卒業。文学博士。産業能率大学教授を経て、雑誌『季刊邪馬台国』(梓書院発行)編集責任者 志村/裕子 1959年、千葉県に生まれる。青山学院大学文学部日本文学科を卒業。日本鋼管(現JFEスチール)(株)を経て、邪馬台国の会・カルチャーセンターを通じ古代史を探究する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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  • データサイエンスで解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない

    データサイエンスで解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻935円 (税込)
    古代史最大のナゾである邪馬台国所在地はデータサイエンスの手法を使えば、北部九州で決着する。畿内ではありえない、その理由を古代鏡や鉄の矢じりなどの発掘地の統計学的分析を駆使しながら、誰にも分かりやすく解説。その所在地はズバリここだと示す。
  • 説得の科学 何が人の心を動かすのか

    説得の科学

    ビジネス・実用

    -
    1巻599円 (税込)
    人の一生は説得の連続である。学校の授業、会社の会議や取引、演説、子供の教育、そして恋愛…あらゆる場面で説得力を養うことこそ、思いどおりの人生を送るための鍵なのである。では、どうすれば説得力を身につけることができるのか、また詐欺やマインドコントロールに引っかからないためにはどうすればよいのか。第一線の心理学者が豊富な事例をもとにその具体的方法を紹介する。
  • 人づきあいの心理学 人間関係7つのキーポイント

    人づきあいの心理学

    ビジネス・実用

    -
    1巻550円 (税込)
    私たちの一生は人づきあいの連続である。人とのつきあいなくしては日常生活さえ成り立たない。でも、これほど難しいものもない。そこで本書は、人づきあいにおいて知っておくべき基本を心理学的視点からまとめあげた。職場から家庭まで、豊かな「人間の輪」を築くための必読の書である。

ユーザーレビュー

  • データサイエンスで解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない

    Posted by ブクログ

    テーマは「個のみならず全体で見ることを忘れるなかれ」。
    特定の銅鏡の出土数のような定量的指標が軽視され、(とりわけ京大において)慣習的に定性的な評価が重視される我が国の考古学の現状に筆者は危機感を抱いており、邪馬台国近畿所在説を例に統計学的観点から考古学を再考する、といった内容。
    筆者の懸念点は考古学に限らず、日常における様々なトピックに共通するものであり、常日頃から「何が正しいか、それはなぜ正しいか」を定性・定量の双方の観点からエビデンス・ベースドに考える必要があると再認識した。

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    2023年09月20日
  • 先代旧事本紀 現代語訳

    Posted by ブクログ

    古事記、日本書紀を読んだら、次に読むにはこれ!三大通史書だそうです。注釈も細かく、情報が最新なので、とても為になりました。

    0
    2014年04月15日
  • データサイエンスで解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない

    Posted by ブクログ

    データサイエンスから見た邪馬台国九州説について説いた一冊。

    出土する鉄器や鏡の量を統計学的に見ると福岡県にある可能性が明らかだという説はわかりやすかった。

    0
    2026年05月30日
  • データサイエンスで解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない

    Posted by ブクログ

     いやはや。痛快まるかじり。科学的立場で、邪馬台国を論じるべきだ。
    考古学の中には、いまだに権威者がいう説がまかり通っている。だから、捏造事件も起きるのだという。邪馬台国は、データサイエンスで解けば、明らかに福岡であり、朝倉市周辺なのだという。
     著者は、「文章心理学」の研究から始まっている。文章心理学とは、文学作品の文章を統計的に分析し、それによって、文体の特徴と作品の傾向や、作家の性格との関連を調べる。「計量国語学会」があり、文の長さが「対数正規分布」に従うという。このような手法により、『源氏物語』は54帖あるが、最後の『宇治十帖』は、作者が違うという。『宇治十帖』は、和歌の引用が少なく、用言の使用度が大きい。心理描写が豊富で、センテンスの長さが長く、ページ数が多い。このような違いは、偶然とは言えない。おもしろいなぁ。こう言うことを研究するのだ。作家によって文体の違いというのは、明らかにある。今なら、AIで、夏目漱石風小説もできてしまう時代だ。それは、文章心理学や計量国語学会が貢献しているのだろう。因子分析法による現代作家の分類もおもしろい。こんなふうにパターン分けができるのだ。日本語の起源についても、興味深い研究をしている。日本語は、いろんな言葉が流入して形成されている。ヨーロッパでは、ラテン語から派生している。『日本語の誕生』『日本語の成立』に詳しく展開されているようだ。
     その著者が、データサイエンスとして、邪馬台国の謎に取り組んだ。
    この本を読みながら、卑弥呼の時代は文字がなかった。そのため、中国の『魏志倭人伝』などの文献がベースになっている。『魏志倭人伝』の解釈を中心にして、畿内説と九州説の論争がある。それに振り回されている感じがした。重要なのは、卑弥呼のいた弥生中期時代、183年から248年の間に、どれだけの科学的根拠があるのか?ということだ。邪馬台国の畿内説の第一候補の纏向遺跡の規模は貧弱。直接的な対外交流を示すような中国の遺物、特に中国製青銅器、銅鏡の存在が確認されない。卑弥呼に与えた銅鏡100枚が見つからない。また、巨大なムラや墓が見られない。確かに、古墳時代になって、巨大墓が造られるようになった。倭人の武器に矛や鉄鏃があるが、機内では見つかっていない。鉄の鏃は、福岡県からは398個、奈良県は4個だけである。卑弥呼に下賜した銅鏡が畿内で出土する「三角縁神獣鏡」であるなら、中国にもあるはずだが、現在見つかっていない。
     畿内説と九州説で、優勢か劣勢かを論じること自体がおかしい。科学は「確実な根拠が提出されているか」「きちんとした証明が行われているのか」を第一に考えるべきだ。
     ゴッドハンドの捏造事件は、慣習と前例に頼り、職人芸的な調査(私の眼で確認したという権威者)や推論に次ぐ推論に頼ってきた、日本考古学会が陥った大きな落とし穴だという。恣意的な解釈や強引な主張が平然と行われ、マスコミがそれに追随する。あぁ。日本の権威主義が蔓延っている。
    著者はいう「日本では、人々を直接批判することは難しい。なぜなら、批判は、個人攻撃と受け取られるからである」権威者の「直感が、ときおり、事実を超えて評価される」。「考古学の世界では、権威者、制度、組織のエスタブリュシュメントの組織の論理の方が、科学や学問の論理よりも強い。これでは、組織は守られても、学問や科学は守られないと著者はいう。
     科学や学問はゲームではない。自説にとって有利に見える事実だけを取り上げて主張する議論では、科学は成り立たない。考古学では、肉眼観察主義と属人主義で成り立っていた。なんでも鑑定団は、鑑定人の肉眼観察主義で、番組が成り立っている。科学的根拠を示すべきでもある。肉眼鑑定主義には、偽物が紛れ込む可能性はいくらでもある。
     京都大学教授の考古学の権威者の梅原末治は、「勾玉のいい悪いを決めるのは私です」と言っちゃうんだよね。専門家って、テレビにもよく出てくるか、一体何の専門家かよくわからない。コロナにしても、原発にしても、専門家が、言いたいホーダイで、何らかの意図を持ってマスコミ操縦をしている。
     著者は、日本および中国の実例をたくさん挙げて、どうだ。福岡、北九州に邪馬台国があったと説明する。なるほど。だいぶ、ちまたの説に惑わされていたなぁと思った。著者は、いい仕事している。
     母親が短歌を読んでいて、尊敬していた著者は、母親の歌を共著として出版している。ふーむ。親孝行な著者である。

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    2023年03月30日
  • データサイエンスで解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    タイトルに惹かれて購入。邪馬台国が九州にあったのか、それとも畿内にあったのかが長らく議論になっていることはなんとなく知っていたが、それをデータサイエンス的手法で解明できるという主張に興味がわいた。著者は京都大学文学部出身の考古学者。

    邪馬台国の問題のみならず考古学的問題の解明には、発掘物を詳細に観察、記述するのみでは十分でなく、それら発掘物の数量、発掘物の記録をできるだけ多く集めそこに統計学的手法を用いて問題を解明する「科学」的方法論が重要であると主張する。

    しかし、著者の本当の主張はそこではなく、発掘物を詳細に観察、記述するが、そこから自らの主張(ここでは邪馬台国畿内説)に都合のいい側面のみを取り上げていく従来の考古学への強い批判にあると感じた。観察、記述は「技術」であり「科学」ではないと、何度も繰り返し主張する。

    はたして、そうだろうか?「科学」の始まりは観察、記述にあるのではないだろうか?実際、筆者のいうデータサイエンスで考古学的問題を解決するのも、そういう観察、記述があってこそなのだろうから。ただ、都合のいい側面のみをとりあげていくというのは確かに科学的ではないと思うが。

    著者はデータサイエンス的手法で考古学的問題を解明することを数十年前から行ってきたという。その先見性には感銘を受けた。しばらくしたらまた読んでもいいと思う。

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    2022年03月03日

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