絶望の凶弾
~安倍元首相銃撃事件 山上被告を追った1294日~
著者:読売新聞大阪本社取材班
発行:2026年3月10日
中央公論新社
こんなに面白い本だと思ってなかった。読売新聞の連載記事を書籍化したものだと思っていたけど、違った。書き下ろしのようである。かつて黒田清率いる「黒田軍団」は東京のナベツネに潰されたが、読売新聞でも大阪本社社会部だけは別ものという伝説はいまだ残っている、そんな気概を感じた。読売新聞大阪本社取材班編となっているが、筆を執ってまとめた森安徹記者(当時・大阪社会部、現・神戸総局)の文章がとにかく上手い。この手のノンフィクションは、ついつい余計な(文学的な)ことを書きたくなる。例えば、記者が初めて足を踏み入れたまちや場所などの第一印象を書いてみたり・・・そういうのがなく、非常に読みやすい。今後も注目の記者である。
知らなかったが、この事件(2022年7月8日に発生)の報道は、読売が一歩リードというか、当初は一人勝ちしたようである。
・7月13日夕刊で、山上徹也の母親が旧統一教会に1億円を寄付していたことを報道
・7月17日朝刊で、安倍晋三殺害を示唆する手紙を事件前日に投函していた事実とその内容を報道
各社が追いかけ取材に殺到した。
これが出来た理由は、島根県に住む旧統一教会批判のルポライター・米山和広(71)を口説き落として情報や証拠を得たことだった。
第1章は、事件当日のことを迫力満点にリポートしている。
第2章は、翌日からの取材の様子
第3~5章は、山上徹也自身の半生について
第6章は、裁判で明らかになったこと
第1章(事件当日)
地面にあおむけで横たわる安倍は、全く動かない。近くの内科クリニック印象の中岡伸悟(64)歳がかけつける。誰かが持ってきたAEDは、バッテリー切れのためか使用できない。そこでの看護師に取りにいかせた自身のクリニックのAEDを使う。だが、電源を入れても「適応」にならないとの音声。作動しない。「自動体外式除細動器(AED)」は、心臓が細かく震えて全身に血液を送れない状態になった人に、強い電流を送ることで心臓の状態を正常に戻す。胸に貼ったパッドから心臓の状態を解析し、電気ショックが必要か判断する。完全に心臓が止まっている場合は、効果がないとして動かない。
事件当日、現場には十数人の警察官。要人警護を担う警備部所属の警察官、現場を管轄する奈良西署員。強盗や殺人など重要犯罪の捜査を担当する刑事部は、安倍の来県さえ知らされていなかった。
第2章(翌日以降の取材で浮かんだ輪郭)
社会部の遊軍記者・松本祐平(37)が現地に飛ぶ。スマホや固定電話から何度電話しても応答がない。やっと出たかと思えば、問答はかみ合わず要領を得ない。昼間から酔っているようだった。
山上徹也は、米山のブログの利用者だった。しかし、彼に対して特別に何かを知っているふうでもない。山上の名前すらちゃんと覚えていないようで、「あの子」などと呼んだ。なんとか食い下がり、翌早朝に自宅に行って会えた。無精ひげに首元の縒れたTシャツ1枚、サンダルで出て来て、自宅向かいのコインランドリーに案内され、自販機で買った缶コーヒーを飲みながらの話になったという。マスメディアから取材を受けたのは、初めてだったという。そして、別れ際に松本への協力姿勢を鮮明にした。
その翌日、7月14日、事態が急展開。米本から連絡があり、「郵便受けを久し振りに見たら、山上君から手紙が届いていた。出したのは事件を起こす直前じゃないかな」。前日に帰阪していたが、当日夜に再び島根へ。手紙はプライバシーがあるから見せない、奈良県警も来るが見せない、と言われていたが、封筒はくれた。見ると、消印が22.7.7 12-16だった。そして、中身も見せてくれた。結局、全文をコピーできて、米本がOKした範囲に限り報道できた。7月17日 (日)朝刊だった。その日、米本の自宅に朝から報道陣が殺到したという。
第3章(山上徹也の家族)
トンネル工事を主業務とする奈山建設株式会社(仮名)で働く夫婦の次男として、山上徹也は生まれた。この会社は、山上の母親である晴枝の父親が創業した。山上の父親である則秋は、京大工学部卒後、建設会社に就職していたが、晴枝と結婚して奈山建設に入った。
創業者:別の建設会社で経験を積んだ後に独立した、豪快な気質
その妻:晴枝の母、自宅隣の焼き肉店で女将、親しみやすい人柄、「人格者で聡明、晴枝らを進学校や大学に行かせられたのはこの母のお陰」と親族、山上2歳で急性白血病のため急逝
晴枝(長女):県立奈良高校→大阪市立大学家政学部、栄養士→奈山建設経理
*母方の叔母は医師
山上則秋:山上の父、府立天王寺高校→京大工学部(土木)、建設会社に就職→結婚後に奈山建設へ、工事部長、理知的で学者肌
*則秋の兄は弁護士
山上徹也の年子の兄がリンパ管腫で、生後間もなく手術、10歳ごろには手術で片目を失明、頭頂部から右の後頭部にかけてへこみ、歩き方も話し方もたどたどしく、学校でいじめられることもあった。
則秋は奈山建設の跡継ぎとして将来を期待されていたが、性格の違いもあって義父と対立、はアルコールに浸り、山上徹也が4歳の頃に建物から身を投げて自殺。
山上晴枝は、母を亡くし、2年後に夫が自殺。85年に娘(徹也の妹)を出産。91年に統一教会に入信した。
祖父は山上徹也が高校を卒業した半年前、98年10月に急死した。
母親が最初に参加したのは、自宅から3キロほど離れた会館で、毎日午前5時から開かれる朝の集会だった。誰もが幸福に暮らせる社会作りを掲げる団体が、全国各地で開いている。お決まりの標語を唱和し、会員が近況などを語り合う1時間程度の集まりで、宗教団体ではないとのことだった。
海上自衛隊の教育隊に入った直後、山上徹也を含む全員が性格検査を受けた。神経質で几帳面な人は船務科や航海科、粘り強い性格で忍耐力が持ち味の人は機関科といった傾向にある。彼が着任した砲雷科員は、元気が有り余っている者、新人の頃から陽気なお調子者もいるようだが、彼は様子が違っていた。「挨拶も静かにするし、ゆったりしゃべる。おとなしいな、との第一印象を持った」と上官の一人。
教団は晴枝に寄付金の一部、5000万円を返金することになった。2005年6月、月30万円の支払い開始。伯父(弁護士、父・則秋の兄)の要求もあって、合計5000万円の返金について09年には合意書も残すことになった。その合意書は山上が米本に送った手紙に同封されていた。
記者が晴枝に取材をお願いすると、晴枝は丁寧に断った。ドアホンの通話時間が切れると玄関に近づき、ドア越しに対話してくれた。「ごめんなさいね」と口にする対応は礼儀正しく、品が感じられた。「宗教にはまり、金をつぎ込んだ人」と勝手に想像した人物像と、第一印象だった。
ある日、晴枝は記者に凶弾や息子への率直な思いを語り出した。
献金を強いられた覚えは一切ない。「金だけ取ってどうこうするわけじゃない。本当にご苦労されている。教祖の方は本当にすごい方なんです」と訴えた。銃撃事件を機に教団がもんだいしされてからも、信仰心に変わりはなかった。
第4章(孤立)
山上徹也は2005年8月、25歳を目前に海上自衛隊を退職(任期制)して奈良に戻り、転職を繰り返すことになる。最初の測量会社を辞める前日の07年5月には、国土地理院が実施する測量士補の国家試験を受けていた。合格率24%の関門を突破。結果が知らされたのは退職後の7月になってからだった。
この年の10月には宅地建物取引主任に合格。年度内合格者は17.3%だった。
08年3月にはファイナンシャルプランナー2級合格。
2010年に30歳となった13年には大阪市内の人材派遣会社に登録、四つ目の仕事につく。半年後には最大荷重1トン以上のフォークリフトを運転する技能講習を修了したが、会社移転を機に退職し、五つ目の会社へ。そこも4ヶ月後に辞める。
伯父の母親からの援助でアパートの家賃滞納を解消し、木造二階建ての借家に。再び家族四人での生活。山上の自室は狭く、ベッドもない簡素な空間で、室内にあったのは、ウイスキーのミニボトル数本と本棚。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだ。同居の兄も読書が趣味だったが、マルクスの『資本論』や高橋和巳の小説を好んだ。大きなトラブルがあったわけではないが、山上は暫くして実家を出た。一人暮らしを始めたのが、のちに「武器庫」と化す。奈良市の賃貸マンションだった。
2015年11月、山上徹也は35歳だったが、一つ年上の兄が自殺した。父親と同様、建物から飛び降りた。
8万字以上に及ぶ山上のツイッターを分析すると、安倍政権に対する論評などでは「憲法」や「集団的自衛権」という言葉が頻出する。〈集団的自衛権を否定するのは誤り〉〈ド素人左翼より旧冷戦を戦い抜いた汚い自民党の方がマシ〉など、保守的な考えを持っていることもうかがえる。
米本のブログへの書き込みでは、20年12月16日の夜、〈復讐は己でやってこそ意味がある。不思議な事に私も喉から手が出るほど銃が欲しいのだ〉と書いた。製造を始めたのは、この投稿から4日後の日曜日、12月20日頃だとされた(奈良地検による捜査)。
第5章(決行)
要人警護を担当する奈良県警へ、自民党奈良県連の関係者が安倍の来県予定を伝えたのは、7日午後0時50分頃だった。
「急に明日来る?そんな警護は初めてだ。聞いたこともない」と県警幹部。
なお、8日は長野選挙区の応援に入る予定だったが、6日の週刊誌電子版がこの候補の女性問題を報じたため、当選の可能性は低いとの見方で奈良と京都を回ることに決めた。
安倍が撃たれた「中州」では、6月25日に自民党幹事長の茂木敏充が演説してトラブルはなかった。安倍演説の警護は警察官あわせて十数人で、そのうち奈良西署の署員数に限ると、勤務体制の都合で1人少なかった。想定される聴衆を約250人とし、茂木の時の5倍だった。
6章(法廷)
裁判で、教団が献金のほぼ半分である5000万円を返金すると09年に母親と合意したことに検察官が言及。月々数十万円程度の分割返金のうち、山上は毎月約10万円を受け取っていたという。山上の具体的な取り分とは、取材で初めて耳にする内容だった。
山上の手製銃は1度で6個の弾が放たれる散弾形式だったが、安倍が被弾したのは全て二度目の弾で、「左肩に1発、(胸元の)議員バッジに1発、クビに2ないし3発、胸に1ないし2発」が当たっていたという。
妹の琴実は山上徹也の言動を不快に思うことがあり、連絡を取るのをやめたという。2016年の長兄の一周忌に山上が来なかった、七回忌があった21年の末に「香典もらっておく」「あとでぐちゃぐちゃ言うなよ。じゃあ」とのメッセージを贈ってきた、からだという。最後の連絡は、事件の2ヶ月ほど前に「俺が貸した金を返してほしい」との内容で。それも未返済と誤解してのものだった。妹を思いやった兄の姿はもうなかった。
中2でトラブルが始まるまでは順調だった。祖父と晴枝とのトラブルが始まった。会社の不動産を無断で売ろうとしていると祖父に連絡が入り、問いつめると献金目的だと明かした晴枝。(269P)
2003年から求められていた母からの無心を04年秋ごろから断るようになったが、12月に断った時に「実は破産した」と告げられた。それまで02年に自己破産していたことを知らなかった。金の無心を断ったことが破産の原因と思いこんだ。かつて兄を殴ったことへの罪悪感も重なった。05年2月に呉で自殺を図った時の心境を語った。(271P)
晴枝の破産につながった実家売却の本当の目的を知ったのは、教団からの返金が続き、土地家屋調査士を目指して勉強していた09年のことだった。
10年から返金額の3分の1である月13万円をもらうようになった。
愛知で教団幹部の襲撃を図る前日、映画『ジョーカー』を見て、「こういう世界にも陽が当たるようになってきた」と自身を投影した。安倍の銃撃を断念した岡山からの帰路、翌日の演説予定を知って「奈良なんか、マジか、と運命的なものを感じた」と被告人質問で述べている。当日、警護員が移動して隙ができたのを見て「偶然とは思えない何か」を感じたとも。起訴前の精神鑑定を担当した大阪赤十字病院の和田央医師は「スピリチュアル」な部分での教団の影響も「否定できない」とした。
弁護人の松本は、判決の翌日にこう吐露した。「被告人は主文を聞かされた時、大きく感情が動くはずなんだ。しかし、山上さんは、まったく表情が変わらなかった。人生の中で何かに期待するということを、しなくなったんだろうね、それが私に葉とてもショックだった」