パリ五輪の前に、石川祐希のここまでの軌跡をたどる自伝。
同年代で、しかも同じ時期(中高大)でバレーボールをしてきた者として、今の全日本の躍進に感化されないわけにはいかない。さらに、その全日本でもキャプテンを務め、イタリアリーグでも世界トップのペルージャへの移籍が決まっている石川祐希に影響を受けないわけがない。そんな石川が普段から何を考え、どんな感覚でバレーボールに取り組んでいるのか、純粋に興味をもった。
読後の感想としては、想像通りではあった。常に自分自身の成長にフォーカスし、チームを勝たせることだけを考えている。自分自身の成長のためには、積極的に機会を求め、海外へも行く。そして、特徴的なのは兎に角、自分の頭で考える点でだろう。
星城高校での教えもあるかもしれないが、勝利に直結しない練習や因習への忌避感は全体を通じて感じる。無駄を省き、目標に対して直線距離で物事を考える本質的な思考様式は、参考になるし、総合格闘家の堀口恭司の自伝にも通じるものがあった。食事や睡眠も、そもそも興味がないということもあるそうだが、管理し、コンディション調整に余念がない。キャプテンを担うこと、プロと言う選択肢をとることで、自分を追い込み、言い訳をさせない環境を自分から作るという点も、単純に素晴らしいとおもった。自分もそこまでできているのだろうかとも、自戒する。
なお、印象的であったのが、プロとして意識した際に、一番考えるのが怪我のリスクであるという点だ。海外リーグやプロバレーボールプレーヤーとして考えた場合、怪我をしてしまうと最悪解雇もある。一方、現在の日本の実業団方式では、仮に怪我で選手生命が絶たれてしまった場合には、ビジネス側に異動して、雇用は継続される。そうした環境の違いの中で、大学時代から怪我に悩まされてきた石川は、現在全力を注いでいるのがコンディション調整であり、怪我の防止である。
この部分に、石川の高いプロ意識が集約されるとともに、自分自身どうしてもプロフェッショナルであることと、リスクに対しての備えを万全にすることの関係性について関心を持ってしまう。高いプロ意識を持つ、ということと私自身同義に思えるのが、内田樹氏が言う「天下無敵」の概念である。合気道の師匠であり、武道を探求する内田氏によれば、武道の目指すものは「天下無敵」である。これは、なにか血なまぐさいものではなく、敵とは「自分自身のパフォーマンスを落とすもの」という概念的なものである。武道を極めることは、パフォーマンスを最大化することに他ならない。そうした場合、例えば体調不良やケガ、環境におけるノイズもすべて敵となる。準備や意識によって、あらゆる敵を排し、むしろ自分自身のパフォーマンスを高める契機や道具にしてしまう、まさにそれが「天下無敵」なのである。結果がすべてのプロの世界で、たとえ怪我をしているからといってパフォーマンスが落ちることは、言い訳にならない。そんな世界の中で、彼は怪我という「敵」と闘い、可能な限り無力化することに取り組んでいる。
なお、高いプロ意識を持つ人間にとって、結果のすべてと言う世界において、怪我リスクについて関心を持つという点は示唆に富む。私は、企業の従業員福利厚生を企画・支援・手配する仕事をしているが、福利厚生の究極的な役割はセーフティネット機能であると直感している。海外では、まさにセーフティネットが福利厚生の中核であることは、私は端的に社会保障制度の差異であると感じていたが、今回の石川の本を読んで、海外における職業人のプロ意識の高さにも理由があるのではないかと考え始めた。昨今、日本でもキャリア自律であるとか、ジョブ型雇用であるとか、自分自身のスキルを自分自身で有機的に活用し、高度な専門性を持つ人間として企業に、ひいては社会に良いインパクトをもたらすということに目が向けられてきたが、海外ではジョブ型雇用が一般的であり、基本的にキャリア自律は自明の環境である。そんな中で、高いプロ意識をもって働く中で、一縷の不安となっているのは、自分ではコントロールできないリスクへの備えであるということは、示唆に富んでいる。
キャリア自律が高く、プロ意識が高くなればなるほど、自分でコントロールできることと、できないことの限界や思考がクリアとなり、そうしたコントロール不可能の事象に対しての関心が高まる。そうすると、自ずと企業が福利厚生としてリスクへの備えをすることの受益感や価値について抱きやすくなるのではないか。そうしたことも考えた。