昭和の頃には「漫談」というジャンルがあり、関西では西条凡児・浜村淳・上岡龍太郎がその代表格。それぞれの話芸を生んだ背景には、西条凡児=落語、浜村淳=漫談、上岡龍太郎=講談 の芸脈が流れていた。
上岡龍太郎の、あの立て板に水の流暢かつ抑揚の効いた口調と理路整然とした語りの裏には、講談の影響があったわ
...続きを読むけですな。確かに、歴史上の出来事を語る口調は講談師の軍記物語りそのものだった。
さてその講談。かつては落語と並び称せられるぐらい人気を誇ったものの戦後は徐々に人気に陰りをみせ、存続を危ぶまれるほどに。自然の成り行きで演者も減り、「絶滅危惧芸能」の扱いを受けるようになって久しい。
そんな限界集落的芸能の世界に飛び込んだひとりの青年。浪人時代に談志落語の洗礼を受け、おっかけに。以来、落語・歌舞伎・浪曲等のあらゆる舞台や高座を聴きまくり、中でも神田伯龍の講談に衝撃を受け、講談師を志す。本人が自嘲して語る“寄席育ち”で、講談師 三代目 神田松鯉に入門。神田松之丞を名乗る。弟子っ子修行では着物をたたむこともできない落ちこぼれ。ひとたび高座に上がれば、前座でありながらいっぱしにマクラを話す生意気さを発揮。
それを咎めることなく温かく見守る師匠 松鯉。「生意気といわれる子の方が伸びる」と語る。人間的魅力にあふれた師匠のもとで修行を積み、確かな話術、迫力ある口跡、落語から得た芸風の広さと創意工夫で松之丞講談を確立。大名跡 六代目『神田伯山』を襲名。
松之丞は語る。「うちの師匠を選んだのは、僕の中で最良の選択であった。完璧だった」と。方や師匠 松鯉は「これからの講談界を背負って立つ逸材」と語る。
「生意気さとビッグマウス」。これを求道者の証と解す師匠。期待に応え出世を果たし、今や講談界の牽引者に。昨年、師匠 松鯉は人間国宝に弟子 松之烝は本年真打に。この師匠と弟子の関係は、現代版『父子鷹(おやこだか)』としても読める。
講談という古典芸能がこんなに奥深く、面白いとは…。一度YouTubeの松乃烝の講談、ご覧あれ。たちまちにして引き込まれます。
松之烝の「寄席育ち」という出自が講談に新鮮味を与え、“講談にわかファン”を急増させている理由に膝を打つ快著。