伊藤雄馬の作品一覧
「伊藤雄馬」の「AI時代のことば力」「ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと(集英社インターナショナル)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「伊藤雄馬」の「AI時代のことば力」「ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと(集英社インターナショナル)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
ムラブリとはタイの少数民族のことだ。ムラブリとは、彼らの言葉で「森の人」という意味だ。その名の通り、森を生活の拠点の一つとしている。また、彼らが使う独自の言語は、ムラブリ語と呼ばれ、この先消滅する可能性の高い「危機言語」に登録されている。
本書は、作者がムラブリと共に生活した中で、手にしたムラブリ語の知見や、考え方の変化について、述べられている。
私がこの本を読みながら、意外とムラブリの人は日本人と似ているところがあると感じた。
一つ目はシャイなところである。ムラブリは外部からの人間に対して、シャイである。少数民族を取り上げた番組では、出演者や、スタッフに対して好意的な少数民族を見ることがたびたびある。しかし、ムラブリ達は全く歓迎しない、あまり他者と干渉したがらないのだ。日本人も初対面の人に積極的にフレンドリーなコミュニケーションを取る人は少ない。
二つ目は、あいさつである。彼らの挨拶を直訳すると「ご飯食べた?」である。一方日本の挨拶は「おはよう」だ。意味としては、早いですね、といったところだろう。どちらも文字通りの意味はないのだ。つまり中身のない会話だ。だがこれにも、れっきとした役割がある。このような会話は、自身と他者の関係性を表す役割があり、メタメッセージと呼ばれている。意味のない会話を繰り返すことで、人はその人と仲良くなれる、あるいはそう錯覚するのだ。
また、彼らは婉曲的表現をよく用いる。例 「私は怒っているわけではない、本当だよ。けれどあなた達が大声を出すと、村の子ども達が怖がるかもしれない、怖がらないかもしれない。私は怒っているわけではない、本当だよ。」
これは、実際に作者がムラブリの人に言われた言葉である。こういう、はっきりとしたことを言うのを避ける風潮は、日本にも同様のものを感じた。また、先述したシャイな面も同様に、ムラブリの人たちは、心が上がることをマイナスだと捉え、下がることをプラスだと考えていることに関係している。つまり、感情を表すことを避け、脱力することを望ましいと感じていると、この本では述べられている。この感情を全面に出そうとしない点も日本人と近い。
この本の中でも好きな話がある。「タシーとの駆けっこ」と言う話だ。この話では、いろいろあって疎遠になってしまったタシーというムラブリとの思い出が作者の目線で語られている。後にこの本で語られるが、ムラブリの言葉に過去という意味はない。過去と未来が同じ言葉なのだ。私たち現代人は、過去の失敗や気まずい経験を引きずってしまう。一方ムラブリには過去という概念がないのかもしれない。私たちは過去を大事なものだと認識しているが、その過去によって、現在の悩みが生まれ、しがらみに囚われるのなら、過去というものを手放すのも、決して悪いことではないのかなと思った。また、自分も高校生の時に、気まずい感じになってしまってから、疎遠になってしまった友人がいる。本当は話しかけたかったけど、かけれなかったことがある。自分の感情を表すのを避ける傾向と過去に囚われることで、このようなことが今の自分に傷を残している。だからこそ、このエピソードが一番印象に残ったのだろう。
この本を読んで、ムラブリは多様性の最前線にいると思った。彼らがよく使う言葉に「カラム ドゥ モイ」(そいつしだい)という言葉がある。先述した通り彼らは直接的な表現を避ける。これも、他者という存在を認めているからできることなのではないだろうか。また、彼らが余所者を歓迎しないのも、その人がその人であることを認めているからじゃないのだろか。
彼らは、タイ人から持たない者として、施しの対象となっている。だが、彼らは昨今の欧米や日本で議論を巻き起こしている多様性を受け入れている。欧米人が、何千年もかけて至った考えに、早い段階でたどり着いている。そんな彼らを未開の人と言うことができるだろうか。
優劣という考えかたそのものが一面的であり、新たな視点を持つことで、他者の認識を改められる。そんなことを思った。
Posted by ブクログ
めちゃめちゃおもしろかった、これは心が軽くなる系の本。ICUの特に言語学とか人類学やってたひとにとっても刺さりそうな本。寮に置いといたらみんな取り合いになるんじゃないかって思う。
「正の走性」「負の走性」って言語に落とし込んだのはありがたい。気持ちが向くとか気分でとか自己中心的だと思われるような言葉じゃない言語化に感動。そもそも自己中心的とか最後の方にでてきた所有とかの概念もそうだけど都市化の過程で人々を統制するためにできた概念なのかって思ったら今までの「自由」の意味が変わって見えてきた。自由には責任が伴うなんて言うけどそれはムラブリの言う自由ではなくて都市の中での自由の意。本当の自由じゃない気がしてるけどそもそも自由って日本語の語源を知らないから勝手な解釈にすぎないかな。意の向くままに流れるって言うけど選択をしている気がする、心が赴く方に。それが正の走性か。だから運がついてくる。