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Posted by ブクログ
ムラブリとはタイの少数民族のことだ。ムラブリとは、彼らの言葉で「森の人」という意味だ。その名の通り、森を生活の拠点の一つとしている。また、彼らが使う独自の言語は、ムラブリ語と呼ばれ、この先消滅する可能性の高い「危機言語」に登録されている。
本書は、作者がムラブリと共に生活した中で、手にしたムラブリ語の知見や、考え方の変化について、述べられている。
私がこの本を読みながら、意外とムラブリの人は日本人と似ているところがあると感じた。
一つ目はシャイなところである。ムラブリは外部からの人間に対して、シャイである。少数民族を取り上げた番組では、出演者や、スタッフに対して好意的な少数民族を見ることがたびたびある。しかし、ムラブリ達は全く歓迎しない、あまり他者と干渉したがらないのだ。日本人も初対面の人に積極的にフレンドリーなコミュニケーションを取る人は少ない。
二つ目は、あいさつである。彼らの挨拶を直訳すると「ご飯食べた?」である。一方日本の挨拶は「おはよう」だ。意味としては、早いですね、といったところだろう。どちらも文字通りの意味はないのだ。つまり中身のない会話だ。だがこれにも、れっきとした役割がある。このような会話は、自身と他者の関係性を表す役割があり、メタメッセージと呼ばれている。意味のない会話を繰り返すことで、人はその人と仲良くなれる、あるいはそう錯覚するのだ。
また、彼らは婉曲的表現をよく用いる。例 「私は怒っているわけではない、本当だよ。けれどあなた達が大声を出すと、村の子ども達が怖がるかもしれない、怖がらないかもしれない。私は怒っているわけではない、本当だよ。」
これは、実際に作者がムラブリの人に言われた言葉である。こういう、はっきりとしたことを言うのを避ける風潮は、日本にも同様のものを感じた。また、先述したシャイな面も同様に、ムラブリの人たちは、心が上がることをマイナスだと捉え、下がることをプラスだと考えていることに関係している。つまり、感情を表すことを避け、脱力することを望ましいと感じていると、この本では述べられている。この感情を全面に出そうとしない点も日本人と近い。
この本の中でも好きな話がある。「タシーとの駆けっこ」と言う話だ。この話では、いろいろあって疎遠になってしまったタシーというムラブリとの思い出が作者の目線で語られている。後にこの本で語られるが、ムラブリの言葉に過去という意味はない。過去と未来が同じ言葉なのだ。私たち現代人は、過去の失敗や気まずい経験を引きずってしまう。一方ムラブリには過去という概念がないのかもしれない。私たちは過去を大事なものだと認識しているが、その過去によって、現在の悩みが生まれ、しがらみに囚われるのなら、過去というものを手放すのも、決して悪いことではないのかなと思った。また、自分も高校生の時に、気まずい感じになってしまってから、疎遠になってしまった友人がいる。本当は話しかけたかったけど、かけれなかったことがある。自分の感情を表すのを避ける傾向と過去に囚われることで、このようなことが今の自分に傷を残している。だからこそ、このエピソードが一番印象に残ったのだろう。
この本を読んで、ムラブリは多様性の最前線にいると思った。彼らがよく使う言葉に「カラム ドゥ モイ」(そいつしだい)という言葉がある。先述した通り彼らは直接的な表現を避ける。これも、他者という存在を認めているからできることなのではないだろうか。また、彼らが余所者を歓迎しないのも、その人がその人であることを認めているからじゃないのだろか。
彼らは、タイ人から持たない者として、施しの対象となっている。だが、彼らは昨今の欧米や日本で議論を巻き起こしている多様性を受け入れている。欧米人が、何千年もかけて至った考えに、早い段階でたどり着いている。そんな彼らを未開の人と言うことができるだろうか。
優劣という考えかたそのものが一面的であり、新たな視点を持つことで、他者の認識を改められる。そんなことを思った。
Posted by ブクログ
めちゃめちゃおもしろかった、これは心が軽くなる系の本。ICUの特に言語学とか人類学やってたひとにとっても刺さりそうな本。寮に置いといたらみんな取り合いになるんじゃないかって思う。
「正の走性」「負の走性」って言語に落とし込んだのはありがたい。気持ちが向くとか気分でとか自己中心的だと思われるような言葉じゃない言語化に感動。そもそも自己中心的とか最後の方にでてきた所有とかの概念もそうだけど都市化の過程で人々を統制するためにできた概念なのかって思ったら今までの「自由」の意味が変わって見えてきた。自由には責任が伴うなんて言うけどそれはムラブリの言う自由ではなくて都市の中での自由の意。本当の自由じゃない気がしてるけどそもそも自由って日本語の語源を知らないから勝手な解釈にすぎないかな。意の向くままに流れるって言うけど選択をしている気がする、心が赴く方に。それが正の走性か。だから運がついてくる。
Posted by ブクログ
ゆる言語学ラジオで取り上げられていて知って手に取った本。
世界は広い。当たり前のことのようでなかなか日々の生活では実感しづらいこと。本は、そんな普遍的な事実を手っ取り早く咀嚼させてくれるツールとして最適だ。
この本は正に、“世界は広い”という何の新鮮味もない当たり前の事実を改めて腑に落ちさせてくれた。
文字も暦も持たない(ちなみに世界中の言語のうち約4割は文字を持たないらしい!)狩猟採集民の言語。言語には文化や価値観が現れることはこないだ読んだ「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」にも書いてあった。こんなにも、狩猟採集民の言語は我々から見て特殊なのか。と同時に、彼らから見た我々の言語もとても特殊に映るんだろうな、と思うと興味深い。
特に印象的だったのは、ムラブリ語では「上は悪く、下は良い」らしい。これは世界のマジョリティの言語とは真逆のものの見方だ。心が動くことは良くないこと、平穏な状態が是であること、という見方が根底にあるらしい。狩猟採集民であることが関係しているのだろう、と筆者は述べている。また、年齢や数を数えることが重要でないというのも非常に新鮮だ。「今、ここ」を大事にする狩猟採集民だからこそ、抽象的な概念の必要性が薄いのだろう。幾何学的でない、有機的な世界。
この著者の書く文章は、淡々としているけど熱がある。静かなドラマチック。言語学の面白さ、言語学的な観点からのムラブリ語の面白さを素人にもとてもわかりやすく教えてくれる。
そして最も印象的だったのは、定住生活を始めたムラブリの中には自殺者も増えた、というエピソード。計画性が求められるようになり、「今、ここ」以外の未来や過去を考えるようになったせいだろうか。色々と考えさせられるエピソードだった。
Posted by ブクログ
ゆる言語学ラジオで伊藤先生の動画を見てこの本を手に取りました。
狩猟採集民の生活は、私たち日本人にはなかなかイメージしづらいものですが、ムラブリ語を通して垣間見えたような気がします。
ムラブリが「自由」を求めてこの生活スタイルに定着し、伊藤先生自身、ムラブリの体現として生きようということで、ムラブリの生活スタイルが自分に合っていて、それを欲している現代人も多くいるはずだ、という論旨で書かれていらっしゃることは重々承知ですが、私個人的にはその中に寂しさ、儚さを感じてしまいました。
言葉を通じて自分の生き方についても考えさせられる良い本でした。
Posted by ブクログ
少数民族「森の人」ムラブリとの出会い。
その美しい言葉に惚れて言語学者となった半生と、
彼らとの関わり、そして大いなる影響を語る。
・本書に登場するムラブリの主な居住地
・ムラブリ語の頻出表現リスト
第1章 就活から逃走した学生、「森の人」に出会う
第2章 駆け出し言語学者、「森の人」と家族になる
第3章 ムラブリ語の世界
第4章 ムラブリの生き方
第5章 映画がつなぐムラブリ、言語がつなぐ人間
第6章 ムラブリの身体性を持った日本人
コラム①~⑤、参考文献有り。
タイやラオスの山岳地帯で暮らす「森の人」ムラブリ。
少数民族であり、消滅の危機にある「危機言語」の
文字が無いムラブリ語を話す、遊動生活をする狩猟採集民。
就活から逃げ大学院へ。TV番組で知ったムラブリの美しい
言葉に惚れて、フィールド言語学で調査したくなった。
様々な出会いと縁により、ムラブリの人の村々を訪ね、
言語を覚え、記録してゆく。
それはムラブリたちとの交流となり、擬制家族ともなり、
その生活にどっぷりハマりこむ。
タイやラオスにか細く点在する村を巡り方言の調査、
離れた村の住民同士を引き合わせたり、記録映画にも関わる。
いつしか身体までもムラブリ化してしまう。そして現在へ。
「森の人」ムラブリだけの話かと思ってたら、
著者の半生や言語学に関する話もたっぷりでした。
いや言語学って難しいなと知れたのも、大事。
その言語学の学者なんだなぁと再認識してしまうことも多々。
良かったのは、ムラブリ人たちとの交流の場面。
他愛ない会話が、ゆったりとした時間の中の自由さを
体現しているように感じられました。
自分における自由って何だろうと、再考してしまう。難しいけど。
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