「チューリングの大聖堂」
非常に面白かった。600ページ近くの大著で登場人物が多く、第二次世界大戦前後のコンピューター開発の歴史を描いている。
チューリングをスタートとするコンピューター開発の群像を描いているが、その主人公はやはりノイマンである。
現在のプログラム内蔵型コンピューターをノイマン型コン
...続きを読むピューターというように、開発に大きく貢献した天才であることは間違いないと思うが、決して彼一人でコンピューター開発がなされたわけでは無い。開発の中で技術者の果たした役割は大きく、中でもピゲローに関してはノイマン自身が文章に表せていないすべてのことを知っている特別な人物として評価している。しかしながら、それにふさわしい評価がされているかと言えばはなはだ疑問だ。ピゲローに限らず、多くの技術者が開発に対して多大な貢献をしていることはもっと知られてもいいように思う。
ノイマンは戦前にドイツからアメリカに移り、ヨーロッパを救うため米軍に協力したが、その過程でコンピューターを開発し、原爆、水爆の開発設計に計算という側面から大いに貢献していると言える。しかし、ファインマンに「自分が存在している世界に対して、責任を負う必要はない」とアドバイスしたと言われており、この言葉をいったいどう考えたらいいのだろうか。大きな力を持つものは大きな責任を持つとは考えなかったのだろうか。
第2次大戦の後の冷戦において予備的戦争(核を含む戦争あるいは攻撃)が最終的な死傷者を少なくできるといった考えも、少々常軌を逸しているようにも思える。
時代の雰囲気はその時代を経験しなければわからないことが多いので、簡単に批判することはできないが、それでも、天才と言われる人はどこか異様な部分を感じさせる。