著者はミトコンドリアが癌の原因だとする仮説の検証、つまり、ミトコンドリアが癌の原因になっていることを見つけだすよう指示を受けて研究していた人ですが、癌の原因ではないことを見つけだしていき、その後筑波大学でミトコンドリアの連携防衛網について発見していきます。
その間、さまざまな問題と向き合うことになっていきます。ミトコンドリアと老化についてのこと、ミトコンドリア由来の病気を探すことなどがそれですが、どういうふうに問題がやってきて、あるいは問題点を見つけだして、それを解決していくかの論理的な考え方がそのまま端的に示され、明快に理路が作られていくのを著者の目線に重ねるようにして読むことができる書かれ方をしていました。飛躍もほぼないような論旨でしたから、自分が研究者として謎を解明する状況・現場にいたかのような想像すらできてしまう読書体験でした。現場感があります。
さて、ミトコンドリアって、酸素を利用してエネルギーを作り出す存在ですが、このミトコンドリア独自のDNAは母親からしか受け継ぎません。生物の核DNAだったならば両親からひとつずつ受け継ぐものなのです。そこで思いついたのが、サラブレッド。たとえば競馬の血統を見る上で母系を重要視する考えがありますが、このことと繋がっていそうな知見だと思いました。(p39あたりの知見)
また、二○○一年のアメリカでいきなり行われ報告された不妊治療の「人体実験」ともいえる話の中で、この実験の不妊治療で生まれた赤ちゃんには、正常な卵の細胞質を提供してもらったその女性のmtDNA(ミトコンドリアDNA)が最大五〇%存在していたそう。マスコミなどはこの件の倫理的なところを「遺伝子改変に当たる」などとしてバッシングしたそうなのですが、著者によるとそれは的外れではないか、とありました。というのも、他人のmtDNAを受け入れても人格や知性に影響を受けるという事態はまず起きないのだから、と。生体を作っていくのに関係する遺伝子は核DNAの遺伝子のほうなので、そちらがいじられるわけではないのだから、ということでした。
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どこの発電所のエネルギーを使おうと、そしてそれが水力であろうが原子力であろうが、送られてくる電気のエネルギーに質的な差がいっさいないのと同じである。このように考えると、不妊治療で遺伝子改変があるので問題だと騒ぐ科学的根拠は消失することがおわかりいただけると思う。(p210)
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でも、だからといって人間の受精卵を使うこと自体は問題であって、そこは糾弾されるべき、というような主張はされています。ミトコンドリアはあくまで酸素呼吸によってATP(アデノシン三リン酸)を作り出す器官(というか共生している生きもの)。
ご承知の方もいらっしゃると思いますが、もともと地球には二酸化炭素しかなく、太古に生まれた生物(葉緑体の先祖)の光合成によって酸素が生まれました。人間の感覚からすると、「酸素が生まれたのだからよかったじゃないか」とそれで片付けてしまい考えることがおしまいになりそうですけれども、酸素は生物にとって実は有害な物質です(健康の話をしていると、「活性酸素がよくない」なんて話題になったりもしますよね)。酸素はDNAをボロボロにしてしまうとあり、その説明も電子をひきつける力がフッ素に次いで二番目強いゆえうんぬん、と書かれていました。この、葉緑体の登場でそれまでの生物は絶滅に追い込まれていきますが、そんなとき、ミトコンドリアという酸素を化学エネルギーに変える生きものが出てきます。そして、どこかの時点でこのミトコンドリアを取り込む生物が登場し、ミトコンドリアのほうでもそれを受け入れて、現在に至る共生関係ができあがります。ミトコンドリアは生命エネルギー生産工場といえるような器官ですから、取り入れた生物の活動力がみなぎっていくことになるのです。
また、老化するということはエネルギー生産が足りなくなっていることなので、老化の犯人はミトコンドリアにある、とする学説が世界の主流として大いに唱えられてきたのですけれども、著者はその説に反論してミトコンドリアの無罪を証明していくのです。これは本書の大きな読みどころのひとつでした。
最後の、ミトコンドリア連携防衛の話は、社会のなかでの人間関係のありかたに類推して考えてみるのに値するのではないか、とちょっと思えました。すごく簡単に言うと、差しだし、受け取り、互いの欠損した部分を補い合う関係なんです。根拠があるわけではありませんが、理想的人間社会の縮図、というか、原型、というか、そんな印象を受けるメカニズムでした。
偶然にも、それまで長くしていった基礎研究が連鎖していってさまざまな発見が得られたと自ら認めているのが、著者の研究人生です。たとえばクリエイティブな仕事もそういった幸運な連鎖がでたときって、ちょっと「いいものになった」感があったりして、これってあるあるでもあるし、「ほんとう」でもあるなあと思いました。