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ユーザーレビュー

  • SHOE LIFE~「400億円」のスニーカーショップを作った男~

    Posted by ブクログ

    「明らかにスニーカーは競争相手がいない」と思った。
    ここは僕が戦えるフィールドだと確信した。

    お客さんが今欲しいものだけを集めていたから、反動で在庫過多になることもなかった。商売がうまくいった秘訣は、スニーカーを「好き」ではなく「売れる」という目線で見る冷静さがあったからかもしれない。

    僕は「時間」について、昔から執着があった。大学時代には難解かつ大著で知られるドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーの『存在と時間』に手を出して、およそ理解したとは言えないけど、苦労して読み通したこともある。

    速さがサービスの向上になると信じていた。
    お客さんの時間を無駄にしない。
    より速い流通や提案の仕方が、お客さんの満足度につながり、支持を集めることができるのだ。

    今も昔も情報の拡散や解釈はとても大切だ。情報戦に負けるのは、商売にも負けることを意味すると言っても過言ではない。世界の流れ、国や地域の流れ、商品の流れ、この大中小の情報のどれが欠けてもうまくいく確率は下がる。だから僕は毎日情報収集を欠かさず行っている。
    大きな情報は新聞を読み、小さな情報は人と話してインプットする。そして本屋に行き、平積みされている本のタイトルを見て、世の中のトレンドを分析する。情報収集の時間の使い方が、お金儲けの尺度を決めるのだ。

    お前が好きなものを作るな、他の人が好きなもの、流行っているものを作れ。

    商売は情報が命

    商売の良し悪しを左右するのは、売上を最大にして、それ以外のところで利益を出せるか出せないかである。究極の商売は、いかにお金を外に出さないかで決まる。
    僕はどこでコストを抑えられるかを創業以来、考え続けている。

    差額の節約は儲けと考えるべき

    キャッシュフロー計算書は毎日見る
    毎日、このキャッシュフローと戦っている。

    毎朝4時に起きて1時間歩くことを決めた。
    雨の日も風の日も、たとえ台風が来ようとも、必ず歩き続けた。歩いている時は仕事のことを考えて、どうすれば売上を伸ばせるかを本気で考えるようになった。自分と向き合った時、自分が錆てしまっているのがよく分かった。しばらく仕事に手を抜いていたものだから、そのツケが回ってきたのだ。

    商売は立ち止まってはダメになる。常に走り続けていないと、ひらめかない。売れないものをどうやって売るか。失敗しようが成功しようが、毎日反省しながら一生懸命やり続けなければならない。と心底思った。

    もし僕に才能があったら、朝4時に起きないでもっとゆっくり寝ているだろう。でも才能がないから、一生懸命頑張らなきゃ食っていけない。僕は日々のルーティンの積み重ねで勝負するしかないのだ。

    常識も同じ。
    自分の考えを毎日毎日反省して、変わっていかないといけない。僕がかっこいいと思うものをお客さんがそう見ていない可能性もある。人によって常識が違うから、自分が正しいと思った時点で絶対に売れなくなる。

    僕の価値はスピード感と判断力、売れる・売れないを即決できる実行力にある。
    本当に大切なことは商売を好きになること。それができれば、商売の神様は必ず降りてくる。

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    2025年09月14日
  • スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰

    Posted by ブクログ

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    本明秀文
    「atmos」創設者。元「Foot Locker atmos Japan」最高経営責任者。1968年生まれ。90年代初頭より、米国フィラデルフィアの大学に通いながらスニーカー収集に情熱を注ぐ。商社勤務を経て、1996年に原宿で「CHAPTER」、2000年に「atmos」をオープン。独自のディレクションが国内外で名を轟かせ、ニューヨーク店をはじめ海外13店舗を含む45店舗に拡大。2021年、米国「Foot Locker」が約400億円で買収を発表。スニーカービジネスの表と裏を知り尽くす業界のキーパーソン。
    スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰


    by 本明 秀文
    最初期のチーマーたちは明治大学付属中野中学・高等学校や青山学院高等部など、名門私立大学の附属高校に通う富裕層の高校生が主要なメンバーで、自分たちのチーム名を刺繍したスタジャンを作ったりと、サークル活動のようなノリではじまった牧歌的なものでした。しかし、次第に人数が増えるに従ってチーム同士の対立も増え、徐々に不良グループ化していきました。彼らの溜まり場が渋谷のセンター街近辺であったことから、そのファッションスタイルはやがて渋カジと呼ばれるようになり、あっという間に全国へと波及していきました。

    日本ではじめてストリートカルチャーとファッションがリンクしたのは 60 年代のこと。「ヴァンヂャケット」が提案するファッションに身を包んで銀座に集まった みゆき族* たちを『メンズクラブ』誌が盛んにストリートスナップで紹介したことで、全国的に アイビー* ブーム が起きた時です。みゆき族の時と同様に、渋カジ~裏原ブームの時も局所的に特定の街において発生したブームをブランドと雑誌が最新のトレンドとして紹介することで全国に広がっていく、という流れを辿っています。

    では一体、ストリートカルチャーとはなんなのか。人によって定義は異なりますが、ひとつ確実に言えるのは、 特定の街とそこに集まる若者のなかから自然発生的に誕生した文化 と言えるのではないでしょうか。そして、ヒップホップ、スケボー、グラフィティなど、ストリートの文脈で括られるカルチャーは数多く存在しますが、いずれも不良性を帯びているもの。都会の街にたむろして遊ぶのは、いつの時代も不良少年や不良少女だからです。

    ただし、ヴィンテージブームが起こった 90 年代半ばの古着の中心地は高円寺で、原宿を訪れる人は表参道沿いに軒を並べるハイブランドが目当て。古着屋は「ヴィンテージキング」をはじめとした数店がある程度でした。その代わり、当時は毎週のように全国各地でフリーマーケットが開催されており、特に規模が大きかったのが代々木公園です。代々木公園のフリーマーケットで最も人気だったのは、アメリカから輸入してきた古着でしたが、会場ではリサイクル用品店に置いているような中古家電やトイ、ヴィンテージウェアというよりも中古の服というほうが適切なものまで、様々なアイテムが扱われていました。

    周囲への同一化と差別化という相反する感情に応えてくれるのが、スニーカーがハイプした要因のひとつです。では、新品のスニーカーにプレミアム値段(プレ値)が付くようになった原点を探ると、 90 年に発売された「ナイキ」エア ジョーダン5に辿り着きます。ご存じの通りエアジョーダンシリーズはNBAのトッププレイヤーである マイケル・ジョーダン* のシグネチャーモデルです。当時のNBAは派手なカラーリングのシューズを履くと罰金を取られていましたが、それでもマイケル・ジョーダンはあえて履き続けたというエピソードや、本国アメリカでは発売された際にあまりの人気ぶりから殺人事件まで起きたなど、様々な逸話に事欠かない一足です。

    *マイケル・ジョーダン 84 年にシカゴ・ブルズと契約し、6度の優勝に導いたNBAのトップスター。シグネチャーモデルのエアジョーダンは「ナイキ」の看板商品でもある。

    *エア 「ナイキ」が1978年発売のテイルウィンドで初搭載した、空気の入ったクッションをソール内に設置することで反発性を高め、軽量化に寄与する機構。

    ナイキの勝利はアメリカ自由主義と経済の勝利

     2014年から巻き起こった ハイプスニーカーブームとは、つまり「ナイキ」ブームとイコール でもあります。なぜ、これほどまで「ナイキ」のひとり勝ち状態になったのか。先ほどの項目でエアマックス 95 ブームについて説明しましたが、さらに時代を遡って同社の歴史を振り返りつつ、国際政治の流れと絡めながら説明していきましょう。

    当時のジョーダンは生粋の「アディダス」ファン。 80 年代の人気ヒップホップグループのRUN-DMCが「アディダス」のスーパースターをシューレースを通さずに履いてメディアに登場していたように、当時は「アディダス」こそが世界一のスニーカーブランドとして認知されていたのです。  さて、そこからどうやってジョーダンを説得したかは実際に映画を観ていただくとして、重要なのは、 エアジョーダンの登場をきっかけに「ナイキ」のスニーカーがファッションアイテムとして人気を獲得 するようになったこと。その人気ぶりは凄まじく、アメリカではエアジョーダン5の発売時には殺人事件まで起こりました。

    当時のNBAはどん底だった 70 年代から マジック・ジョンソン* が登場し、 シャキール・オニール* やマイケル・ジョーダンなどのスター選手がしのぎを削るNBAブームが起きはじめていた頃。そのブームはアメリカ国内に留まらず日本でもNBA人気の高まりとともに 90 年から『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『 SLAM DUNK*』が連載を開始 し、一気にバスケットボール人口が増えたことを記憶している人も多いでしょう。  そんなNBAはアメリカのプロスポーツやエンターテインメント市場の成熟ぶりがうかがえる 経済的な豊かさや自由の象徴 でもあり、 デニス・ロッドマン* をはじめとしたファッションリーダーを生んできた場所でもあります。〝エア〟のふたつ名の通りに高く跳び上がって飛ぶようにダンクを決めるマイケル・ジョーダンの姿に、当時の若者たちはアメリカの力強さを投影して試合を観ていたのです。

    さらに「アディダス」や「プーマ」の母国であるドイツでは、 89 年にベルリンの壁が崩壊。ソ連の崩壊によって冷戦が終わると、一気に世界中に 自由主義の波が押し寄せ、アメリカ一強の時代 が訪れます。そこにアップル社やマイクロソフト社がシリコンバレーから頭角を現すと「アメリカ製こそが最先端である」と、みなが考えるようになったのです。 「ナイキ」がスニーカー市場のシェアの大半を獲得できたのは、冷戦終結によって国際政治と経済のバランスが大きく変わったことと無関係ではありません。

    「ナイキ」は巧みにトレンドに乗りながらプロモーションをおこなっているのに対し、独自の路線を歩んでいるメーカーが「ニューバランス」です。  もともと「ニューバランス」は スティーブ・ジョブズ* が愛用していた991やM1300といったヘリテージを愛する本格志向の層に加えて、アジアメイドのMT580をシュプリームのクルーが愛用したり裏原ブランドの「ヘクティク」がコラボしたりといった経緯からストリート層の支持も集めているという、2面性を備えたブランドでもあります。

    当時、CO.JPラインのダンクが人気を博した理由が、日本を訪れた外国人が現地で売っていないカラーのダンクを見つけて「日本には面白いダンクが売っている」と欲しがるようになり、海外での盛り上がりが逆輸入される形で日本でも注目を浴びるようになったこと。その流れは今のインバウンドとも通底するものですし、 裏原文化やコレクター文化といった日本ならではの特徴が、スニーカー全体のカルチャーに影響を与えた例 と言えるでしょう。

    どれだけ販売側が対策をしても転売ヤーはその網の目を潜り抜けるため、いたちごっこの様相を呈しています。  スニーカー好きの個人が半ば宝くじを買う感覚で転売するならともかく、利益を総取りするために組織的に買い占める行為は本当にスニーカーが好きな人たちにアイテムが届かなくなるため、 スニーカー熱が冷める原因 にも繋がっていきました。  また、スニーカーそのものへの愛ではなくお金への執着が動機の転売ヤーたちは、時として非常識極まりない行動も取ります。  彼らは買い占めたスニーカーが二次流通市場で思ったほどの値段が付かないと、 損することを恐れて商品を受け取らずにキャンセル する。

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    2024年08月09日
  • SHOE LIFE~「400億円」のスニーカーショップを作った男~

    Posted by ブクログ

    手に入らないものは武器になる
    野生の雉は十歩ごとに餌を食べ、百歩ごとに水を飲む苦労をしなければ生きていけない。だが、彼らは鳥かごで飼われようとは決して思わない。

    常に挑戦をあきらめない本田さんの物語。

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    2024年05月21日
  • SHOE LIFE~「400億円」のスニーカーショップを作った男~

    Posted by ブクログ

    作者の幼少期からの人生のバックグラウンドを細かく書かれている。
    いろいろな出会いとチャンスを見出し掴んできたとういう、ワクワクする冒険のような壮大なストーリー。

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    2023年07月08日
  • SHOE LIFE~「400億円」のスニーカーショップを作った男~

    Posted by ブクログ

    商売に関しては凄すぎる。
    特にコスト管理。アメリカの州によって違う税制をつき、少しでも安い州からスニーカーを送ったり、そら他のスニーカー屋は勝てないはず。
    売却のタイミングも完璧すぎるし、スニーカーだけでなく世の中を俯瞰してみて流れを読む力が凄いのだろう

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    2026年06月01日

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