小山美砂の作品一覧
「小山美砂」の「ルポ 被爆二世」「核実験場のとなりで生きる」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「小山美砂」の「ルポ 被爆二世」「核実験場のとなりで生きる」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
「被爆二世というテーマから、逃げ出さない。
それは、この時代を生きる私たち一人ひとりの責任であり、未来に対する約束だ。」という一文でこの本は締め括られる。
今を生きる私の喉元に鋭いナイフが突きつけられた、そんな感覚。本書から目を逸らさずに、正面から受け止めなければならない責任があるということ。
「原爆の被害者の人たちというものを絶滅するにはどういう方法を取らなければならないか。これは遺伝的な問題が私は多少あるのではないかと思うのでございます。そうしますと、永久的に被爆者の援護を続けていかなければならないということになりますと、依然もって戦後は終わらなくなりますので、これを絶滅する何らかの方法はないかとどうかということです。」「被爆者には治療を続けさせ、都は、優勢保護的な見地から、完治するまでは子供を持たないような行政指導をするべきた」。
これらは、1976年自民党の都議の発言である。
著者はこれは「言い換えれば、そもそも被爆者の子や孫は生まれてこない方がよいと言っているのと同じだ」と断じます。
優生保護法が施行されていた時代であり、多くの国民はこの差別性に気づいてすらいなかった時代、しかし著者はこの本をこう始めます。「被爆二世への差別を自覚することから、私の取材は始まった」。それはつまり、現在おいてもその差別は続いていて、だから最後にこう書きます。「被爆二世を「差別する私」は、突然うまれたものではない。私の中に、そして社会の中に、ずっと存在していたのだろう。」
被爆者と被爆二世、被爆二世のアイデンティティはどのようにしてうまれたのか、政府の行為によってもたらされた被爆者の二世は何をもとめてきたのか、そして社会はどう向き合ってきたのか、向き合ってこなかったのか。
被爆二世は被爆者援護法の適用対象外であり、国による法的援護は一切ない。戦後すぐからのABCCの調査、現在の放影研の全ゲノム調査まで被爆二世は調査の対象であり続け、遺伝的影響については未だに「わからない」。しかし国は、「わからない」から援護はしないという。
実際に被爆者や被爆二世に取材し、過去の記録を読み込む中で著者は、「被爆二世にも原爆の「被害」は及んでいるという確信だ。「被害があった」というのは、「遺伝的影響がある」との趣旨ではない。調査・研究の対象とされること、結論が出ない問いの前に立たされる苦悩、差別の対象とされること--それらはすべて原爆がもたらした現実だ。そのように捉えると、被爆二世への援護政策も講じられるべきだ、との考えに行きつく。」
私たちには責任がある。
Posted by ブクログ
岩波ブックレットNo.1114です
今回はなかなか進まない被爆者補償について
というかそもそも被爆者認定の壁が高須クリニックじゃない高すぎる問題について(今ふざけちゃダメなとき)
とくに内部被曝を軽く見て、なんとか認定しないようにしている感じ
学校ではむしろ内部被曝の方がおっかないんだよって教わるんだが…はっきりと数値が出てこないというのもあるけど、国と原子力ムラが総力を挙げて「封じ込め」に動いているという論調
まぁ、わいは根が素直なので、そう言われるとそうなのかなって思っちゃうのよ
基本左派なのでね、多少やり過ぎなくらい補償してあげればいいのにって思っちゃうんよな
他に無駄遣いいっぱいしてるやんて
結局は幅広く認めることで、現在の原子力を利用したエネルギー政策に支障が出ることを恐れてるんだろうね
原子力怖い、やめようって世論形成だけは阻止したい
そのためにはもう生き残りなんて数えるほどしかいないんだから、黙殺、黙殺っていうね
ちょっと極端だけど、そこまで疑ってしまいたくなるんよな
ちなみにここまで書いておいて、わい原子力エネルギー推進派ですw
別の話だと思うんだけどな〜
そんなことないのかな
Posted by ブクログ
7月14日午後3時、広島高等裁判所で下された判決は国の敗訴。これは原子爆弾が投下された広島に於いて、投下直後に所謂「黒い雨」を浴びた原告側が、その補償を求めて起こした裁判の二審の結果だ。一審の地裁においても原告の主張を認めた内容となっていたが、それまでの黒い雨が降ったとされる雨域外の住民に対しても被爆者として認めた判決は如何なるものだったのであろうか。本書は毎日新聞記者として黒い雨裁判を追い続けた筆者により、それらの経緯を記した内容となっている。主な争点としては、黒い雨がどこまで降っていたか(雨域)、症状と被曝をどう結びつけるか、の大きく2点となっている。前者においてはそれまで国が線引きした地域を遥かに超えて黒い雨が降ったという住民へのインタビューが基となっている。確かに国が定めた(卵形)地域は地形の考慮や気象条件などの考慮が欠けている様に感じるが、何より今となっては放射能も軽減されている事や80年近く(裁判時点では75年前後)時間が経過していることから、土壌の調査などを行なったところで正確性を追求するのは難しいだろう。また後者についても、日本人の多くが患う病気との因果関係については、放射線の影響が未だ正しく把握できていない現在において、はっきりとした断定は困難だ。だが、本書を読むことでそう言った認識から一歩進んで、これまで原子爆弾を投下された住民たちが抱えてきた不安について十分考慮しなければならない事を理解する。疑わしきは被害者の利益に、これは本書内で一貫した主張になっているが、正にそれが妥当であると理解する。
二審の高裁で敗訴した国であるが、当初は上告予定であったそうだ。だが時の政権を担う菅総理の「政治的判断」により、上告を諦める。これは内閣支持率の低下が影響していたと見られることが大きいが、被爆者の多くが本訴訟中にも亡くなっている事を踏まえ、早期の解決が必要だったと見られる。だが、この影響も大きいというのが国の見立てであり、福島原発の近隣住民や長崎原子爆弾被害者にも拡大していく流れになると予測する。実際に二審の判決後には、今回設定された雨域の更に外側の住人からの新たな訴えも起こっているようである。
一重に広島や長崎に原爆が投下された責任は誰にあるのか、そして福島原発を稼働させた責任についても今一度、しっかり確認していかなければならないと思い知らされる。戦争や原発設置は国が主導して行われてきたのは間違いない。だが、その国が民主的であればあるほどそれを支持した国民全員の責任でもある。勿論、原爆は落とした側の責任もある事は忘れてはならない。以前は70パーセント以上の国民が原爆投下は正しい行為だったと認識するアメリカで、近年、若年層(戦争世代やその子、孫よりも更に若い世代)では、その有効性や責任について考え直す国民も多いそうである。そして被団協がノーベル平和賞を受賞した様に、再び核のあり方が問われる時代に入ったと認識する。それにはロシアによるウクライナへの戦術核兵器使用をちらつかせる態度にも原因があると思うし、何より被爆者と同じ経験を今後の人類全てが負うべきでない、経験してはならないという国際社会の強いメッセージであると認識する。
本書「黒い雨」訴訟は核兵器について考える一つのきっかけになる。